アニメ「モノノ怪」と女性学

 アニメの「モノノ怪」を昔見たときは、勧善懲悪にしか見て取れませんでした。
 それが、最近見ていて女性学と変わらないなと思いました。

 「座敷童子」を観ていても、出産間近の女性で、複雑な恋愛が原因でできた子どもを産み育てることができないまま死んで、旅館の秘密を解いていくのをみて、いかに、婚外子が厄介で、生まれても複雑な身分なのは、江戸時代も変わらないのかと思いました。


 「のっぺらぼう」は結婚をした理由が、家が栄えるために頑張って自分を殺しながら、結婚してもその生活が続き、のっぺらぼうが幻覚を見せながら楽しんでしまい姻族を殺してしまいます。のっぺらぼうは自分の願望や欲望がみせた幻であり自分の本心であったことに気が付きうたれなくなった。
 この話の中では、家制度と結婚を問われている気がいたしました。家族といっても、姻族は他人であって、結婚しても満たされることは無いし、むしろ、悲しい生活が待っていて、いつも、家事のことや嫌な態度を示されては、なんでも居づらくなり、自由が無いのがうかがえました。
 いくら結婚をしても夫婦は他人同士で、家族という単位では一括りにされて、家に住んでいても、いつも誰か見方でなければ、淋しいんだなと思いました。

 「化け猫」は職業婦人で新聞記者の方が殺された事件のいきさつを化け猫が見せていました。
 職業婦人という、明治の世の中では珍しい存在でありながらも、記事をつかんで、政治家のことを載せたばかりに、殺される羽目になり、その上司に賄賂を渡し、殺させたことを妬み、たまたま、通りかかった猫と一緒に電車でひかれ死亡した話です。
 職業で上司にも相手にされずたまたま、時代の波に翻弄されて、亡くなるなんて、哀れでどうしてよいものかわからないと憤りを感じました。
 その時の男性上司の豹変ぶりといえば、何も女性の働く権利何てどちらでもいいような話で、問題さえ起きなければ何でもいいようで、嫌だった。
 

 このような話を考えれば、出産、結婚、就労と女性のライフコースをみていて、その中で、妖怪と絡めて話をみていて、世の中の本質は今の令和になっても変わらないと思いました。

 自分たちが結婚を間違えなかったとしても、姻族の気持ちや複雑な人間模様を見ていると、今も問われている問題はかわらないし、働くにしても、女性だからと差別することも無いけれど、女性が働く環境も変わらないし、今でも政治家に目を付けられては、声をあげづらいのも事実だなと思いました。

 時代は変わっても女性の権利や結婚をみていくと、本当に同じことでしかないと感じました。


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