オリンピック開会式・閉会式は混とんとした時代からの脱却のきっかけになったのか。【コラム】
昨日のオリンピック閉会式のモヤモヤ感が解消されず、他の人の意見をSNSなどで見てみました。やはり、私と同じような感想が多く、皆様同じようにモヤモヤが残ってしまったのだなと思った次第です。
もちろん開催にこぎつけてくださった関係者の皆様の多大なるご苦労には、感謝の限りです。しかし、開会式・閉会式はコロナとは別次元のお話だと認識しております。
そして見つけたのが、『幻のMIKIKOチーム案』の記事(例えば、週刊文春など(有料))です。「『AKIRA』のバイクが駆け抜け、スーパーマリオが競技紹介」などと近未来的な設計で、統一感があり、ワクワクするようなインパクトのある演出だったようです。
しかし、昨日の閉会式はこれとは真逆で、日本の過去に重点が置かれたものでした。世界に発信するには少しインパクトもかけていたような・・・。
さて、「この現象をどう捉えるか?」ですが、私は次のように考えました。
企業でも斬新な企画は必ずと言っていいほど強い慣性の法則が働いて、斬新な企画チームから見ると、「邪魔」が入ってしまい斬新なチームは追い出され、ノスタルジックな平凡な企画に落ち着きます。その後どうなるかと言いますと、結局は時間を経て斬新な企画になっていくことが多いのです。
きっと、今の日本は未来志向の人たちと、過去の栄誉にいつまでも浸りたい人たちのせめぎあいにいるのではないでしょうか?それが混とんとした時代の正体のような気がしてきました。
新しい未来志向の人たちから見れば理不尽な「邪魔」ですが、過去志向のパワーがまだ多く残っているうちは、なかなか先に進めないものです。まだ新しい側の練り上げ方や負のエネルギーを追い払うパワーが不足しているのです。
その抵抗によって磨き上げられた先に、負のエネルギーが消え去って新しい時代となるのではないでしょうか?
昨日の閉会式で、こんなにも多くの人が新しい感覚を求めているので、これをきっかけに日本も目覚めて、新しい時代に入っていくことができるのではないかと思いました。