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熊谷めぐみ & ruff|ART & ESSAY《7》|死が羽ばたく夜

 ユダヤ王ヘロデの王宮。ヘロデ王の妻ヘロデアの娘であるユダヤの王女サロメは、その美貌のために義父であるヘロデから絶えず邪な眼を向けられている。ヘロデが重用する予言者ヨカナーンに魅了されたサロメは彼の赤い唇に口づけしたいと切望する。ヘロデはサロメに自分のために舞を踊るよう所望し、彼女が望む褒美を与えると約束する。踊りを終えたサロメが求めたものは、銀の皿の上にのった預言者ヨカナーンの首であった。

 『サロメ』はオスカー・ワイルドが新約聖書から着想を得て書いた一幕劇である。残酷に、そして情熱的に若き予言者ヨカナーンの首を求める王女サロメの姿は強烈な魅力を放っているが、サロメだけでなく、権力と欲望のままに力を行使するヘロデ王や、サロメの母で妃のヘロデアらもまた、終始不吉な空気に包まれている。

 冒頭の場面から死の気配が立ち込めており、何度も言及される「死の天使の羽ばたきの音」が濃密なリフレインとなり、死の絶対的な存在感を浮かび上がらせる。

 ヨカナーンや自害するシリアの隊長を若き美男子として魅力的に描き出すのはワイルドらしい。血と頽廃の影が色濃くにじむ劇の中で、そうした策略に染まっていないヘロデヤの小姓の怖れが、血に馴染み過ぎたヘロデたちと対比するように効果的に響き、観客に不吉な予感を投げかけている。

聞こえるぞ、この宮殿で死の天使の翼が羽ばたく音が。

オスカー・ワイルド『サロメ』より

 預言者ヨカナーンは自身に欲望を抱くサロメに対して、宮殿を取り巻く死の天使の羽ばたきの音が聞こえないのかと警告する。ヨカナーンの警告もむなしく、この夜、死の天使はその翼を大きく広げることになる。

 ruffが描き出したのは、ヘロデ王の宮殿で繰り広げられる混乱と調和の姿。死の天使はその姿を現さず、羽ばたきの音だけが聞こえてくる。ヘロデ王は大きな黒い鳥が空を舞っているだけではないかと考えようとするが、高まる不安からは逃れられない。王の薔薇の冠は一つ一つの花が意志を持った炎のように赤く燃え、これから起こるさらなる血の惨劇を予感させる。

 首切り役人の指にはヘロデ王から賜った死の指輪が赤く妖しく光っている。剣を持つ人の腕がためらっても、死の天使に支配された剣自体が迷いなく刑を執行する。剣の両側に置かれた二つの十字架は、偉大な予言者ヨカナーンも、この夜最初の犠牲者となった若きシリア人の隊長も、死の前では平等であることを示唆している。空に浮ぶ天使の輪。死はそのすべてを見届けたようだ。

 この夜、宮殿で起きたことは恐ろしい血の混乱であった。しかし、それはruffが示したように、一つの調和のもとに置かれた混乱に過ぎない。死という圧倒的な調和のもとに。

私が銀の皿の上のヨカナーンの首を望むのは、私自身がそれを欲すからです。あなたは誓ったのです、ヘロデ王。誓いを立てたことを忘れてはなりません。

オスカー・ワイルド『サロメ』より

 控えめな黒い台の上にのせられたのは、予言者ヨカナーンを表わす象徴の数々。だが、その台をよく見よ。それは、サロメが舞の褒美にヘロデ王に要求した、ヨカナーンの首をのせるための銀の大皿である。

 皿のすぐ上には、サロメが焦がれた彼の唇が、いや、その唇の赤さをサロメが例えた柘榴の実が、象牙の歯を抱き置かれている。柘榴を左右から囲む白百合はサロメがヨカナーンの肌の白さを例えた花である。

 中央に位置する毒を吐く赤い蛇は、サロメを拒絶し、叱責するヨカナーンの舌。その蛇に寄り添うように真っ直ぐに姿を現すのは、サロメがヨカナーンを例えて言った、清らかな銀の光の矢である。作家が得意とする銀の箔押しを施された矢は、ヨカナーンの清らかさを示すように美しく光輝いている。一方、作中で銀色であることが強調される大皿は、その欲望の濃度を示すように黒く描かれており、銀の矢と対照を成している。

 預言者であり、聖なる者であるヨカナーンの姿は、サロメが欲望する象徴を囲んだ文字となって現れる。だが、それもまた皿の上に置かれた運命か。そのすべてを今夜、サロメは褒美として所望するのだ。

もしおまえが私のために舞を踊ってくれるなら、望むものを何でも言ってみるがいい。それをおまえにやろう、たとえそれが領土の半分であっても。

オスカー・ワイルド『サロメ』より

 兄を殺し、兄の妻であったヘロデアと結婚したヘロデ王は、ヘロデアの美しき娘サロメへの欲望の視線を隠さない。サロメに舞を踊るよう命じ、拒否されたヘロデは思わず何でも褒美のものを与えると口にし、誓いの言葉を立ててしまう。しかし、サロメが望んだのは、王の想像をこえた褒美、ヨカナーンの首であった。ヘロデはなんとか諦めさせようと貴重な宝の数々でサロメを説得しようとする。

 ruffが本作で描いたのは、ヘロデ王の持つ貴重な宝の中でも、特に珍しい二羽の美しい白孔雀である。くちばしは金色に輝き、白孔雀がついばむ実もまた金色に輝くという。

 さらに、白孔雀たちが鳴けば雨が降り、尾を広げると月が姿を現す。その貴重さを示すように輝く二羽の孔雀は、青く美しい糸杉のあいだを優雅に歩いている。幻想的で、夢のような景色。この絵を見れば、誰もが魅了され、その白孔雀が欲しい、とヘロデの説得に応じたくなるだろう。

 だが、唯一の例外はサロメであった。そして、ヘロデが失敗できない唯一の相手こそサロメだったのだ。サロメは、すべての説得を拒絶し、ひたすらにヨカナーンの首を願うのだった。

あなたのために踊りましょう。

オスカー・ワイルド『サロメ』より

 サロメはこれまで、多くの芸術家たちによって、男を惑わす運命の女として客体化され、表象されてきた。サロメが踊る七つのヴェールの舞もまた、そうした場面の一つとして取り上げられることが多い。

 しかし、このサロメはどうだろうか。客体?いや、彼女こそが主体である。彼女に注がれるいかなる邪な眼差しも、ものともしない意志の強さ。妖しげではあるが、凛とした面差し。従順とは真逆の反逆の信念。どんな視線も彼女を分析することを許さない。

 ましてや、欲望のままに彼女を屈服させることなど。黒をまとった毅然としたその姿は、その場を支配する力とともに不思議な静寂さを湛えている。銀色に包まれたサロメの瞳は意思を持って金の光を帯びる。上空に掲げられた扇は、サロメの舞一つで、運命の風向きが変わることを示しているのだろうか。

 ruffは七つのヴェールの舞を踊るまったく新たな「サロメ像」をここに提示した。もはやサロメは他者ではない。わたしが、わたしこそが、サロメ。

ruff|イラストレーター →Twitter
鉛筆や絵具、箔押しなどのアナログとデジタルを組み合わせ、モードとアンティーク、仄暗い雰囲気の世界や住人を描く。

熊谷めぐみ|ヴィクトリア朝文学研究者 →Blog 
子供の頃『名探偵コナン』からシャーロック・ホームズにたどり着き、大学でチャールズ・ディケンズの『互いの友』と運命の出会い。ヴィクトリア朝文学を中心としたイギリス文学の面白さに魅了される。会社員を経て大学院へ進み、現在はディケンズを研究する傍ら、その魅力を伝えるべく布教活動に励む。モーヴ街5番地、チャールズ・ディケンズ&ヴィクトリア朝文化研究室「サティス荘」の管理人の一人。
Twitter|@lond_me



作家名|ruff
作品名|死のはばたき

インクジェットプリント・箔押し
作品サイズ|24cm × 11cm
額込みサイズ|30cm × 17cm
制作年|2023年(新作)

作家名|ruff
作品名|預言者

インクジェットプリント・箔押し
作品サイズ|24cm × 11cm
額込みサイズ|30cm × 17cm
制作年|2023年(新作)

作家名|ruff
作品名|褒美の提案

インクジェットプリント・箔押し
作品サイズ|24cm × 11cm
額込みサイズ|30cm × 17cm
制作年|2023年(新作)

作家名|ruff
作品名|7つのヴェイルの踊り

インクジェットプリント・箔押し
作品サイズ|24cm × 11cm
額込みサイズ|30cm × 17cm
制作年|2023年(新作)

作家名|ruff
商品名|ポストカードセット「サロメ」(4枚組)

オフセット印刷・マット銀箔押し
サイズ|14.8cm×6.8cm
制作年|2023年(新作)
*通常包装(OPP袋封入)となります

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