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ど〜せしなきゃいけないんだったら楽しもう!!<昭和なウチの母>
こんにちは、さちこです。普段は、外国の方に第二言語としての日本語を教えています。どうぞよろしくお願いします。
先日、母が亡くなった。
いつまで経っても、「敵わないなー」と思わされる母だった。
子供の頃のことなど、だいぶ忘れてきているけれど、
忘れないために、忘れても思い出せるように、
母のことを書き留めておきたい。
「うちの母、なんかちゃう!?」と思わされる出来事は多々あったけれど、
結構、度肝を抜かれた出来事の1つが、
小学校4年生の時の、毎学期親子学級行事事件(※勝手に命名)である。
1学期のとある週末、クラスの皆と
来ることができた家族(親や兄弟姉妹など)が、
小学校から遠足程度の距離にあった県のキャンプができる施設に集まり、
飯盒炊爨をする等、半日楽しんだのである。
昭和も後半、既に台所のコンロもお風呂もガスとなり、
薪を焚べた経験を持つ子らは少なく、
子らをサポートして、ちゃっちゃっと火をおこす親達にはソンケーの眼差しが向けられていた。
(ちなみにウチの借家はお風呂がまだ薪だったので、バリバリできた✌️)
驚いたのは、その行事を首謀した親グループの1人が母だったことだ。
どうもクラスのP T A役員決めが良くないムードになりかかったので、
「どうせ子が小学校にいる6年の間に1度は引き受けなければならないのだから(子が2人、3人といれば1度では済まないかもしれないし)、それなら気の合う者同士で一緒にやってしまおう!!」となったらしい。
そんでもって、「どうせやるなら楽しんだ方がええじゃろ」となり、
くだんの飯盒炊爨企画が爆誕したそうな。
飯盒炊爨企画は、次の日以降の教室で何度も何度も話題になるほど大盛り上がりだった。
その勢いのままに、
2学期は「缶ポックリ、竹馬、割り箸鉄炮作り大会」が行われた。
前日までに各家庭で缶や割り箸、輪ゴムを集めたり、親達はクラスメイトの親戚が所有する竹林まで竹馬用の竹を切り出しに行ったりしていた。
昭和も後半、おもちゃは既に買うものとなっており、
自分たちで遊び道具を作って遊んだ経験を持つ子らは少なく、
子らに作り方を教えながら、ちゃっちゃっと缶ポックリや竹馬、割り箸鉄炮を作り、
缶ポックリや竹馬をブイブイ乗り回し、割り箸鉄炮をビュンビュン飛ばす親達には、またもやソンケーの眼差しが向けられていた。
クラス全員が3学期の企画発表を心待ちにする中、
突然3学期の行事中止が発表された。
曰く、
あのクラスだけズルい
と他のクラスから苦情が入ったというのだ。
それで、校長(学校サイド?)から中止するように求められたという。
クラス中が憤っていた。
「やりたければ、自分たちのクラスでもやればいいじゃろ」
理不尽を学んだ出来事でもあったが、
4年生の時のクラスの“変わった”母達からは、
「ど〜せしなきゃいけないんだったら楽しもう!」ということを学んだ。
(お読みくださり、ありがとうございました。)