【2018.311】仙台荒浜
[フォトスライドショー/YouTube版/4K動画形式/2分9秒]
東日本大震災の発災から7年経過した仙台市の海岸にある地区「荒浜」。海岸には震災前より大きな防潮堤が完成し、今は内陸を海岸と並行して走る道路を嵩上げする工事が行われている。海の近くを流れる貞山堀の改修工事は随分と進み、堀と並行する歩道は歩ける所が随分と増えた。全ての歩道が歩けるようになるのが今から楽しみだ。確かに7年の月日を感じるような風景の変化がそこにはある。しかし、その一方で7年経つのだけれども町があった所の変化は緩やかだ。津波で壊れたまま残された建物はきっとこのまま震災遺構としてずっと保存するのだろう。建物が撤去されて土台だけ残っている所もある。住宅地に敷かれた道路もそのまま残っている。町が津波で流されてほとんどの建物が無くなり見通しが良くなった広い土地の上に旧荒浜小学校の校舎が震災遺構として残されている。もうずっと先まで荒浜の景色はこのまま続くのだろうか。
海岸に並行して内陸を通る県道10号塩釜亘理線の嵩上げ工事が随分と進んでいる。津波が来た時に防潮堤の役目を負わすためとても高いところに道路を付け替えようとしている。この高い所に歩道が出来るのかどうかは不明だが、もし歩道が出来たのならこの道を仙台の北側から南側まで歩いてみたい。きっと見晴らしの良いことだろう。内陸の防潮堤といった風情の新しい道路は、今現在車が走っている古い道路のすぐ横に造られている。今は土がむき出しの盛られた道路はなんと言うかもしそれに登ったら土が崩れてきそうな頼り無さそうな雰囲気をしており、これが道路になって良いものだろうかと素人目に不安になってみたりするのだけれども、多くの土木工事がそうであるように完成し外見が整えられたらそんな不安な気分になることも無いのだろう。早く完成を見てみたい。しかし、どうなるか心配なのはこの嵩上げした道路と交差する道路だ。大きな道路は交差できるよう交差点近くは坂を造るのだろうが、細い道路はどうなるのだろうか。工事現場を見ていたら、かつて路線バスが走っていた道路との交差点が廃止となり、10号線から旧バス通りの道へ通行することが不可能になっていた。これは工事の最中に限ったことなのか、もうずっと交差点が無いままなのか不明だが、津波被害により人が住まなくなった土地にある道路への交差点をわざわざ造る理由も無いだろうから、きっとこのまま交差点は消滅したままなのだろう。この辺りの道の歩き方も随分と変わってしまうのだろうと思う。
荒浜に初めて訪れたのは7年前の2011年3月31日、震災から20日後の事だ。午前中軽く雨が降り、津波が来た海岸に至る道路は表面に乗った泥が雨とまざりヌルヌルとしてとても歩きづらかったのをよく憶えている。どこも瓦礫ばかりで、津波により海水が町を引っ掻き回していった様子が見て取れた。大きな交差点にあるガソリンスタンドは、その屋根の上に木造家屋の屋根が乗っており、あの高さまで津波が来たことを記録していた。建物の土台はあれど、建物そのものはあまり多くは残っておらず、住宅が密集していただろうこの土地は今はただただ見通しが良くなってしまっていた。足元は恐らく海岸から津波により運ばれてきたのだろう砂が地面の上にのり、辺りは嗅いだことのない独特の悪臭が漂っていた。海岸に出た。海岸近くの建物は破壊されていたが、海岸の砂浜を歩いていると、津波が来たことが信じられないくらいただただ普通の砂浜と海がそこにあった。
7年前に津波が来るまで、この辺りの海岸には松が沢山植えられていた。今は津波被害により随分と松の数は減ってしまったのだけれども、再び松林を作ろうと海岸近くでは沢山の松を植えている。僕はかつて沢山の松が海風に揺られる仙台の海岸と貞山堀を訪れようと望んだことがあり、実行する直前で震災が発災してしまったために結局叶わずじまいとなってしまったけど、またいつの日か松が大きく成長した時には松の茂る仙台の海岸や貞山堀を訪れゆっくりと歩いてみたいと思う。
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