同窓会事変 2.いい再会と悪い再会がある

 【ご注意】
 この物語はネットの片隅に書かれた怪文書にインスパイアを受けて作られたフィクションです。実際の地名、団体、人物とは一切関係がありません。

前回

幕間 答えの出ない問題

 あとがきに何を書けばいいのか分からないのが正直なところです。ただ、売っている時点で信用はされないでしょうが、利益が目的ではないことは伝えたいと思います。私が過ちを犯したのは、世界を知らなかったからです。外へ出ればまともな大人がいて、私を助けてくれることを知らなかった。だから、私と同じ間違いをする人がいなくなればいいと思い、本に残すことを了承しました。紙の本ならば、図書館に収まって、タダで読む機会が生まれるはずですから。

麻生村雨、浅野陽歌『小さな生存戦略』

「これが、こうで……なるほど」
 陽歌は大学に通う傍ら、ある活動をしている。それは動画サイトでいつでも無料で見られる授業動画を作ることである。今日は地方裁判所で、そこの書記官と打ち合わせをしていた。一般の大学生や配信者では、ここまでこぎつけるのも難しいだろう。浅野陽歌の持つ信用を全力で駆使し、活動にあたっている。
「こういうのも地裁がやるんですね」
「ええ、そういうことでして」
 彼の専攻は英語であり、法学には明るくない。高校までの指導要領で習うことは基礎の基礎に過ぎないため、些細な内容でも新鮮に感じられた。
 近年は、体験格差がどうのと、ご立派な活動をしている団体は言う。しかし陽歌も彼らが声高に、子供の頃にすべきと言っている体験はまるでしたことが無かった。そもそも、できるようになった頃には体がガタガタでキャンプなどした日には死んでしまうレベルだった。
 陽歌は自分の考えで、授業や社会科見学がいつでもできる動画を作っているが、それこそが正解だと言う気もなかった。自分も子供の頃にキャンプをしたことなどない、そしてそれが不幸だと思ったこともない。
 彼は自分が一番苦しい時にはダンマリで、いい顔ができる時にだけしゃしゃり出てきた、そういう連中がむしろムカつく。殺意さえ覚えるレベルだ。本当に子供を助けたいなら、自分が殺しをする前に出て来い、と陽歌は思っていた。
 それと同時に、自分以外がそう思っているかは分からない。あくまで、そういういい顔ができる時にしか出てこない連中に腹が立つのも、陽歌の考えでしかない。
 答えがないから、たくさん答えの候補を用意する。そうすれば、それぞれが答えを見つけられると信じて。

2.いい再会と悪い再会がある

 一年間、無人のショッピングモールで暮らす。5ちゃんねるのスレタイみたいな意味のない、意味の分からない実験を越えた私を待っていたのは、またしても理解を越えた世界だった。
 この少年院では、収容者が求めれば最新のゲーム機だろうがPCだろうが、無限に与えられる。そして更生プログラムへの参加は自主性を重んじるとして、強制することはなかった。授業を邪魔されないのは私にとってうれしいことであったが、甘やかされて出所した彼らの再犯で被害を受ける人のことを思うと、複雑な気持ちだった。
 自主性を重んじると言えば聞こえはいいだろうが、自主的に更生しようとする者は最初から、こんなところに入らない。反省だけなら猿でもできるというが、それさえできない人間は確実にいる。残念なことだが。

浅野陽歌『集団脱走』

「これでよし、と。騒がしくしてごめんねー」
 それは、七年ほど前にさかのぼる。陽歌は家族を殺したあと、一人で生活していた。いじめられる理由を彼なりに解決しようと、髪をどうにかすべく美容室へ向かった時のことだ。
 そこでとある美容師の女性に助けてもらったことがある。
「あの……」
「いいのいいの。あのおばさん態度が悪くてお客さん悉く逃がしてるから少しお灸を据えないと」
 陽歌は故郷で、その目立つ髪色や瞳色が災いして周囲からの扱いはよくなかった。彼の家族自体がこの美容室でも代金踏み倒しなどを常習的にしている問題客であり、家族が本来受けるべきヘイトが目立つ彼に向かっている状態であった。
 故郷、金湧市がおかしい場所だと気づいたのは、この少し後くらいだ。空腹で倒れようが、高熱を出そうが誰も手を差し伸べてくれなかったこの町で、陽歌は初めて優しくされた。
「……綺麗な色ね」
 髪を切り揃えてもらい、傷もワセリンを塗って手当される。レジに立った時、陽歌にトラブルが起きる。財布のお金が全然足りない。この時の彼は、督促状の届いていた電気やガス、水道の料金を払ったせいで手持ちが尽きてしまったのだ。
「……」
「いろいろ大変でしょ? お金はいいよ。また来て」
 しかし、それを察した美容師は融通を効かせてくれる。大人になった陽歌は、あれが優しさからくるものなのか、それとも別の意図があったのか、そんなことをどうしても考えてしまう。ただこの時助けられた、それがとても嬉しかったことだけは確かに覚えている。
「あ……ありがとう……ございます」

 翌日、代金を払いに行った陽歌は、この美容師が殺されたという話を聞かされるのであった。

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「っ……!」
 陽歌はベッドで目を開ける。ここは警察が用意したビジネスホテル。ベッド一つで埋まるような小さな部屋であるが、まとな生活をするようになって十年近く経った陽歌も、風雨がしのげて寝床がある一点で満足なものだった。
「い、今の……」
 昔の記憶が表出した夢に陽歌は戸惑った。あの一件は自分が殺す側を経験したのもあり、トラウマになっていた。ただ、頻繁に夢には見なくなったはず。
「な、なんで……?」
 心臓の鼓動が異様に速い。寝汗で全身が濡れている。部屋の机には、休みの日は史跡でも巡ろうかと思って亡き『夫』が残した資料のファイルが置かれている。
「え?」
 その中から、古ぼけたノートが床に落ちる。落ちるような位置にはなかったはずだ。そして、あのノートは陽歌も見たことがないものだ。民族学者、麻生村雨の資料を全て見たわけではないが、昨日読んでいる時は確かに見なかった記憶がある。
「村雨……? 何か、伝えたいの?」
 陽歌は精神を落ち着けるため、洗面台で顔を洗った。スマホにはこの地にいる知り合いからのメッセージが届いている。
『んだよ、お前せっかく読者が会いたいっつたのに、適当な嘘で断ったんか~? ちょっと厚顔無恥なくらいじゃねーと、お前の目標は無理無理どんぐりってところだ』
 軽口憎まれ口を陽歌は既読無視していた。
『んじゃ、場所はここだから気が向いたら来いよ。差し入れ、忘れんなよ』
 場所を見る限り、明日香のいる同窓会というのはお店ではなく、誰かの家に集まっているようだ。
『勝手に殺人犯に家の場所教えていいの?』
『そういうとこ嫌い。お前が今も殺人犯ならあたしは窃盗犯だろ』
 同じ少年院におり、集団脱走の時にいろいろあって今も腐れ縁といったところ。
『つーか院出る時に連絡先交換しねーでよ。お前どうせ姐さんから言われきゃ一生連絡先よこさなかっただろ』
『悪い仲間と繋がらないために、連絡先を交換しないルールでしょ』
『そういうところ嫌い』
 陽歌も深い関係がある直江愛花刑事が、同じ土地にいるなら何かの助けになるだろうと連絡先の交換を勧めてきたが、陽歌は乗り気ではなかった。少年院の中では、出たあとに悪い仲間とつるまないように連絡先の交換が禁止されている。彼らのいた場所では、他の少年たちと差のある環境では更生に云々という理由で、申請すれば最新のPCでも入手できた異常な状態ではあった。しかしそういうルールは守られるかどうかはさておき存在だけしている。
『ボクも嫌い』
 加えて、二人は非常に仲が悪い。ツンデレとかではなくマジで仲が悪い。理由はお互いに分からず、かつ自覚があるのでお互いに距離を取っている状態だ。今は明日香の件があるので結託しているだけで、それがなければ黙ってお互いに離れる。
「……な、なにも……なにもない……よね」
 頭の中に浮かぶ、家を囲む黄色い線のイメージ。それが振り払えずにいた。陽歌はとりあえず、見に行くだけ見に行こうと決めた。

   @

 額から垂れる汗をぬぐいもせず、陽歌は教えられた場所へ向かった。思考を支配する不安は足を逸らせる。
「大丈夫……大丈夫」
 自分に呪文を言い聞かせながら。
「ここだ」
 道中の記憶は全くない。出発の時も曖昧だ。教えられた家を見るなり、そこで繰り広げられる光景に陽歌は素っ頓狂な声を出してしまった。
「ハァン?」
 金髪の女性が、小太りで小柄なおじさんの首根っこを掴んで吊るしていた。その女性はそこまで大柄ではないのだが、腕を水平にしたままでもおじさんの両足は地面から浮いてプラプラしている。
「あっ」
 おじさんの靴が脱げると同時に、カラーンと乾いた音がする。中に何か入っていたのだろうか。おじさんは週末で仕事もなさそうなのにスーツを着ている。週末に仕事をする人もいるが、仕事着とするなら客先に着ていくにしてもシワが多く、体形に合っていないのかパツパツだ。
「てめぇこっちこいや」
 女性はおじさんを片手で吊るしたまま、裏路地に消えていった。いくらおじさんが小柄でも、小太りな体形かつ成人なのでそれなりに重いはずだ。
「あれ、七海……?」
 陽歌は奇妙なおじさんより、金髪の女性が気になっていた。彼女は腕から鎖骨にかけて、左頬にまでびっしりタトゥーが入っており、見間違えるはずもない。青柳七海、陽歌にとっては腐れ縁と呼ぶべき不仲の相手だ。
「何が……」
 陽歌は不安が解けたと同時に襲い掛かってきた謎に困惑する。ただ、この場で話を聞けそうなのは七海だけなので彼女の後を追う。
「七海!」
「おう、なんだ来たじゃねぇか。お土産は?」
 七海は陽歌の声に気づいておじさんをポイ捨てする。
「姐さんに二度と近づくなよ頭のおかしいストーカーが」
 彼女はおじさんに向けて吐き捨てる。陽歌はその呼び名からてっきり、ここに愛花がいるものだと思ってしまった。
「愛花さん来てるんです?」
「来ていません」
 七海はイラ立っているのか、声に棘があった。それでも場所を選んでいたり、そのあとにすぐ、バツが悪そうに頭を掻きむしったりと冷静さを保とうとしているのわかった。
「な、なんだよこの底辺のクズ女が!」
 おじさんは明らかに不利な状況でも罵倒してくる。七海は拳を鳴らしながら腰の抜けたおじさんを睨みつけている。
「というか何があったんですか?」
『こいつ……マジか』
 状況を聞こうとする陽歌であったが、聞きなれた声を耳にして周囲を見渡す。
「村雨?」
 しかし声の主、麻生村雨はいない。それもそうか、と彼は自分で思い直して気分が沈んだ。
『あの念書の内容を忘れたのか?』
「また?」
 しかし執拗なまでに声が聞こえる。うすぼんやりとしたものではなく、はっきりと声がする。一体、何がどうなっているのか。
「あれ……この人って……」
 一方で陽歌も、七海に吊るされていたおじさんを見て何かを思い出していた。
「クソ! クソおおおおお!」
「あ、逃げた」
 そうこうしている間に、おじさんは逃げてしまう。七海はそれでいいのか、去っていく背中に罵声を浴びせる。
「二度と来るなストーカー!」
『愛花さんから資料を貰っているだろう、それを七海に渡してくれ』
 相変わらず幻聴らしきものは続いた。陽歌が無意識下に持っている記憶などが、かつてのパートナーからのアドバイスという形で表に出ているのだろう。
「七海、あとで資料渡すね」
 陽歌も幻聴のおかげで思い出した。あのおじさんは愛花から、ここに来る前にもらっていた資料に記録が残っていた。だから見覚えがあったのだ。
「資料? なんだそりゃ?」
 陽歌の発言の意味を少し考えたのか、七海は資料を渡す先を指示する。
「でしたら……私より先に渡すべきやつがいる」
「というと……?」
 七海のヤンキーみたいなキャラは作ったもので、真剣になるとところどころで素が出る。この周辺だと作ったキャラの方がいいのが、素が出かけてもなるべく抑えているように見えた。
「おーい七海! 来たぞー!」
 七海と路地を出た陽歌は、一人の若者を目にする。ラフな格好をしているが袖から覗く腕は筋肉質で焼けている。声もハキハキしており伝えようとする意志の強さを感じる。所謂、陽キャに分類される人間だ。
「武村さん、あいつ逃げたよ」
「おお、七海、よかった、無事か」
 武村、という苗字を聞いて陽歌は明日香から聞いたことを思い出す。
「あなたが明日香さんのお兄さん?」
「お、そうだ。いつも妹が世話んなってんな」
 明日香は早くに両親を亡くし、祖父母と兄が面倒を見ていた。明日香からは地元でも信頼されている自慢の兄だと聞いていた。
「陽歌、資料は武村さんに」
 と七海に言われたものの、陽歌は肝心の資料を今、手に持っているわけではない。
「では、あとでお渡ししますね。連絡先を」
「ああ」
 妹の明日香を経由する手もあるのだが、あまり状況が状況だ。巻き込みたくはない。
「あの野郎……明日香に今度近づいたらどうなるか忘れたわけじゃねぇだろうな」
 陽歌は現場を見ていないので全容を把握していないが、あのおじさんは昔、明日香にストーカーをしていた人物というのは知っている。彼も昔の話を知ってしまうのは悪いと思っていたが、迂闊にトラウマを刺激しないために愛花から渡された資料に目は通してある。
「おう、そうだ。お前休んどけよ。へなちょこ体力なんだからな」
「あ、うん……」
 七海は陽歌の疲労を読んでいた。資料はホテルにあり、もう一往復はさすがにしんどい。普通ならばたいした距離ではないのだが、陽歌は体力が極端に少ない。

   @

 ホテルに戻った陽歌はシャワーを浴びる余裕もなく、そのままベッドに沈む。頭の中を巡るのは、この町に来る前に愛花とした会話のことだ。

 話は数週間前にさかのぼる。
「やぁ、わざわざご足労悪いね。こればかりはどうしても、大学で話すわけにはいかないからさ」
 刑事の女性、直江愛花とは昔からの付き合いだ。ある時は犯人と刑事として、またある時は協力者として、立場を変えながらも関係は続いていた。
「ええ、分かっています。警察が明日香さんのことを把握しているということは、そういうことですよね?」
「察しがよくて助かる」
「刑事経験済みですから」
 被疑者としての経験から、警察の事情は陽歌も大体わかる。今回、愛花の所属する管轄超越調査部は犯罪被害者のケアに乗り出している。つまり陽歌が接触する武村明日香も、犯罪被害者。そして男性恐怖症になるような犯罪被害に遭っている。
「ただ、今回は被害者の武村明日香以上に、こいつに問題がある」
「これは……」
 愛花は資料を陽歌に渡す。そこにはSNSのプロフィール画面が記載されている。アイコンはスーツを着込んだ男性で、まるで政治家の公式アカウントのように見えた。
「この人は?」
「武村明日香に中学時代、付きまとっていた男だ」
 端的な話を愛花はする。陽歌はそれでてっきり、早とちりの様に状況を勘違いしてしまった。
「なるほど、年上のおっさんに思春期の女の子がストーカーされれば、当然恐怖心を抱きます」
 陽歌は自分で言っていて、少し胃酸がせりあがってきた。燃えるバス、人が焼ける匂い。肉が一時期受け付けなくなった過去。恐怖と拒絶の結びつきは痛いくらいわかるつもりだ。肉など、魚や大豆でタンパク質を補えば生きていけるが、男性への恐怖となると社会生活は困難だ。
 生物として、社会にいる人間の半分はどうしても男性なのだから。
「ところで、この人は政治家か芸能人なのですか? ……あれ?」
 疑問に思ったところを調べようと、資料を読み込むと海外の大学の学生であることしか分からない。
「政治家や芸能人ではないのは確かだ。所謂、インフルエンサー、とも違うな」
「なんだろう……」
 なんでそんな人が実名と顔出しのアカウントを、と疑問に思った陽歌は資料のページをめくって読み込む。その資料がまた、一個人のそれにしては分厚いのだ。
「え? これ……」
 その中の一つを読み、陽歌は絶句した。今年の四月頃、SNSに投稿された文言である。

もし殺人犯になってでも相手を止めなくちゃ。滅多刺しにしたいくらいです。

【プライバシー権への配慮により秘匿】のTwitter投稿

「え……これ殺害予告ですよね?」
「ああ、殺害予告だ」
 この四月には短いスパンで頻繁に殺害予告を行っている。ページをめくっていくと、七月にも同様の殺害予告をしていることが判明した。

こんなこともあろうかと、切れ味のいい牛刀を買っておいて正解でした。予備もあるので安心して■■■■を滅多刺しにできます。

【プライバシー権への配慮により秘匿】のInstagram投稿

「殺害予告ですよね?」
「殺害予告だな」
 四月の件で捕まっていなかったのである。逮捕というのは要件が相当厳しいようで、なかなか発生しないし捜査にも時間がかかって、四月の殺害予告で捕まるのは早くても半年後の十月とかになるだろう。
 それこそ、商業施設や学校など休業や警備の増員などの被害が出た場合でないと、なかなか逮捕とはいかないだろうか。
「まぁ、私も『チョーエツ』に入ってから長いし、所轄がどういう動きするのかは知らんが……」
 愛花の所属である管轄超越調査部はあくまで、警察署の管轄を跨ぐ事件の捜査を取りまとめる場所だ。所轄がどういう基準で動くかまでは把握していない。知らない、というのも警察の捜査方針が外に漏れるのを防ぐため、質問を防ぐ方便なのかもしれないが。
「というかもしかして、これ伝えるってことはこの人まだ逮捕されてません?」
「うん」
 陽歌はこれが注意喚起であることに気づいてしまった。そして愛花は黙って、催涙スプレーを渡す。
「いいか、これはお前が万が一やり過ぎてしまっても仕方ないという言い訳を作るための資料だ。これを知っているから仕方ない、ってな」
 愛花は陽歌の選択肢に、人殺しが入っていることを知っている。そして自分自身を守るためではなく、他者を守るためにその札を容赦なく切るであろうことも。陽歌自身も、目の前で誰かが危害を加えられたら、自分が牢屋に入って済むならやるかもと思ってはいた。これは二人に付きまとっている懸念だ。
「ま、安心しろ。武村さんはこいつの親父から念書を取っている。次近づいたら、全財産置いて町を出てくってな」
 念書を取った記録も資料には含まれていた。とりあえず、相当なバカでもない限りは明日香に近づかないだろう。
「え?」
 そして一安心したところに叩きつけられる事実。この人物は何度もSNS上で自殺を匂わせており、殺害予告の担当が被害者の住所の管轄、自殺匂わせの担当がこの人物の居住地の管轄となっている。

これから傷つくのを防ぐため、今から死にます。

【プライバシー権への配慮により秘匿】のnote投稿

「これもしかして紙サウナですか?」
「水風呂もなければ、出口もないがな」
 逮捕の要件には逃亡の恐れ、というものがある。この逃亡には現世からの逃亡、すなわち自殺も含まれる。殺人などの重大事件の被疑者が逮捕されるのは、ことの重大さに気づいた被疑者が自殺しないようにするためでもあったりする。
「モロに逮捕できるんじゃ……」
「わからん……。だが、これで何かあったら所轄も責任問題になるし、居場所は抑えてんだろう。県を跨いでいる時点でチョーエツ案件だから、情報だけは入ってくる」
 殺害予告の被害者とこの人物の住む場所が別の県であるため、管轄は跨いでいる。ただ内容もシンプルで、異なる所轄が連携する要素もないので愛花達チョーエツは情報だけ聞いている状態だ。
「場所が場所だ。実家に帰るって話なら所轄も帰らせて。定期的に様子を電話で聞くだけになるんじゃないか?」
 愛花の予想には、警察の内情を悟らせないようなはぐらかしも多分に含まれている。それは陽歌も分かっている。
「親元でバカはやらねぇ、ってのが常識的なラインだが、常識のあるやつはそもそも中学時代に念書書かねぇんだよ」
 これほどまでに愛花が常識外の行動を警戒している理由は、陽歌にもわかった。二人が初めて出会った時、愛花は陽歌が人を三人殺しているとは想像もしていなかった。常識的に考えて、十一歳程度の子供が家族を三人殺しているなどとは思わないだろう。それを後から知った愛花は、相当困惑したという。
そうした過去の経験から、自分の常識で物事は収まってくれない、と愛花は最大限の警戒をするようになった。
「それで収まってくれるのが、一番いいですけど……」
 猜疑心の強さに関しては、陽歌も同等であった。彼も常識を外れる経験は、それぞれ一回で一冊書けるレベルのものを経験してきていた。

   @

予想もできない事態に対し、チョーエツは即座に愛花の派遣を決定した。明日香の勤務先である法律事務所にやってきた愛花は、早速大きな紙に何か文字を書いていた。
「なぁ愛花、これいる?」
「いる。警察ってのはな、ワルモンに圧かけて犯罪を抑止するのも仕事なんだよ。健在アピってやつだ」
 七海はこの行為に疑問を呈する。ただ、愛花も文字に悩んでいる様子が見受けられた。当然である。
 今回、十数年越しに明日香へ接触した人物は、陽歌が愛花から聞いていたあの人物だ。しかし、まだ正式に被疑者入りしていない人間の名前を堂々と入れて『対策本部』とか書くと法律的にいろいろマズイ。
「じゃあいらなくね?」
「いる。ああいうのはこっちが弱気になるとつけあがるんだ」
 七海の言うことも、愛花の言うこともごもっともだなぁと陽歌は話を聞いていた。
「じゃあ、政治家ごっこ留学生気取りの頭がおかしいストーカー親父対策本部で」
 七海の案は無駄に長く、紙に収まらないだろう。そこで陽歌が口を開く。
「へたくそ。癇癪様でいいでしょ」
 この事務所には武村も来ていた。その彼から該当の人物……同窓会に突撃したおっさん改め癇癪様の話を聞いた陽歌は、こう名付けるに至った。
「んじゃ、七海はみんなとお祭り行ってきてよ。みんな楽しみにしてるでしょ」
「それはありがたいが……手」
 陽歌は気を利かせて七海を、このあとにあるお祭りへ向かわせる。しかし手が『しっしっ』と追い払っているような動作だった。協力はしているが本質的には決定的に性格が合わないのがこの二人。
「いつも悪いな、七海」
「いいってことよ」
 七海達が明日香のケアをしてくれることで、武村は対処の方に集中できる。陽歌はホテルから持ってきた資料を武村に渡す。
 その中には古ぼけたノートも混じっており、それを見た武村はある人物の名を呟く。
「まさか、麻生さん?」
 誰もが想像しなかった、明日香と癇癪様の悪い再会。陽歌と七海、そして武村と麻生のよい再会がそれに立ち向かおうとしていた。

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