同窓会事変 1.償いの旅

 【ご注意】
 この物語はネットの片隅に書かれた怪文書にインスパイアを受けて作られたフィクションです。実際の地名、団体、人物とは一切関係がありません。

1.償いの旅

 これは私が体験した、ひと夏の物語です。外から見ただけの私でさえ、これまでに感じたことのない恐怖を覚えました。私の経歴を知っている読者ならば、そこまでかと絶句するでしょう。何度も命の危険を味わい、人殺しをも経験した私が慄くおぞましさ。殺人犯ですらここまで歪んでいない、と強く実感しました。

浅野陽歌『同窓会事変』

 浅野陽歌は目を覚ました。
 ここは大学の書庫、その空き部屋に組まれた仮眠室だ。使用する人間は彼しかいない。
「ん……」
 陽歌はベッドの枕元に置いたスマホを拾い上げる。今回はアラームをセットしていない。課題を終えて、疲弊した身体を休ませるために仮眠室を使っただけだ。あとに授業が控えていれば、必ずアラームを付ける。
「……ふぅ」
 身体を支える左腕、袖から見える僅かな部分には稲妻のような傷が見える。それは服で隠れているが身体を伝い、左頬にまで及んでいる。幼少期にした数々の無茶や生育環境から、彼の体力はかなり低下している。授業を受けるのも、昼寝を挟まないとならないほどに。
「……」
 それでも学ぶ目的が彼にはある。身体の疲弊に反して、瞳の中は強くぎらついている。過酷だが強い闘志が燃えていた。
「あ、これは……」
 陽歌はスマホの着信を確認する。知り合いの警察官からであった。緊急時以外は彼が眠っていることを考慮し、ショートメッセージで連絡をよこす。

『よぉ、大学はどうだ? パンキョーの単位取り終わったんだって? 早いじゃないか』
 メッセージの内容は口語主体の砕けたもの。一応、送られている番号は末尾が『0110』で警察のものなのだが、乗っ取りを疑いたくなるレベルだ。この文章で陽歌は誰からのメッセージかをすぐに把握した。
 場違いに緩い文章を読み、陽歌は口角が上がる。優しさを受け止めることに、罪悪感を覚えなくていい。それだけで彼には幸せだった。
『夏休みに用事が空いていたらさ、少し協力を頼みたいことがある。びっくりするくらい女顔の男なお前にしか頼めないんだ』
 メッセージを読んで、陽歌は自分の頬を指でつつく。こう書かれるのも納得できるほど、彼の見た目は中性的を通り越して女性的だ。二十歳越えても声変わりも来る気配がない。少年院で規則正しい生活と栄養のある食事を経験し、背丈は175くらいまで伸びたが、華奢さも顔の女っぽさも変化はない。
 というか今でも、言わないと女性で通るレベル、正直に言っても疑われるレベルだ。陽歌自身はちょっと面倒程度にしか感じてはいないのだが。
 幼少期の生育環境が原因、傷の原因である感電によるもの、など様々な要因が考えられたが、どれもはっきりとしない。
(ピンクのとこ増えたな……)
 しかし、染めてもいないのに髪にピンクのグラデーションやインナーカラーが入る体質など、考えてもしょうがないと彼自身が思うところが多いので、その辺りはどうでもいいことになりつつあった。

   @

 陽歌は知り合いからの依頼に応じて、夏休みを利用してある場所へやってきた。特筆することもない、関東のある地方都市だ。
 田舎でもなければ都会でもない、という絶妙な町。大きな道路はあるが店舗が密集しているわけでもない。
『うちの知り合いにさ、男性恐怖症を患っている子がいるんだ。あんたなら慣れるためのクッションになれないかなって。あんたが良ければ、その子の了解も取るよ』
 今回は陽歌の変わった見た目が役に立つらしい。その話を聞き、彼は二つ返事でこの依頼を引き受けた。
「長生きすれば、ボクのこの顔、役に立つんだ」
 一般的には美人に分類される整った顔立ちをしている陽歌だが、自分の顔は嫌いだった。桜色をした右目の虹彩はカラーコンタクトを入れているわけではない。生まれつきこの色なのだ。今はくすんでしまって分からないが、左目は空色をしていた。珍しい色でのオッドアイ、これが彼の育った地では化け物の証として扱われた。
 見た目を蔑まれて育ったせいか、右目の泣き黒子という比較的一般的な特徴でさえ、彼の中では忌むべき存在になっていた。
 自分にとって大嫌いなものが、誰かの役に立てると思うと居てもたってもいられなかった。夏休みに詰め込む予定も、車校に行く予定もないので、恩人からの頼みというのもあって迷うことはなかった。
 かつて、自分に手を差し伸べてくれた人達を裏切った陽歌は、刑期を終えてもなお贖罪を続けていた。愛花達はそれでいいと言ってくれたが、陽歌自身がまだ納得し切れていないので自分にできる形で、彼らの力になるべく動いている。
「めちゃくちゃ暑いね……ここかな」
 暑さに悩みつつ陽歌がたどり着いたのは、ある法律事務所だった。役目が役目だけに、男子大学生候といった長袖のシャツとジーンズ姿で陽歌は行動しており、外では暑さを感じる。半袖になればいいのだが、そうなると今度は冷房で身体を壊してしまう。陽歌の身体はすさまじく繊細だ。
「表から入ればいいのかな?」
 こういう事務所に足を運んだことがない陽歌は、お客さんでない自分は裏口から入るものなのか分からず、とりあえず表から入る。
「失礼します。あの、警察の方から来ました。あ、これ詐欺みたいだ……」
 たどたどしく挨拶をする陽歌だが、緊張と世間知らずから消火器を売りつけるみたいな流れになってしまった。
「あらー、いらっしゃいね」
 陽歌の声を聴き、恰幅のよいおばちゃんが出てくる。事務所の人員は彼女一人しかいないが、地方の法律事務所ならこんなものだろう。弁護士の仕事は訴訟だけではない。法律関係の書類なども扱っているので、そういうタイプだろうか。
「あー、名前からまさかと思ったけど、本物?」
「あ、はい」
 おばちゃんは陽歌の姿を見るなり、そう発する。
「うちから本もって来ればよかった。あとでサイン頂いても?」
「あの……ボ……私ただの乱筆署名しか書けないですけど……」
「それがいいのよ!」
 サインをねだられたが、陽歌はそういうものが上手ではない。ただ、おばちゃんはそれがいいようだ。喜んでくれるのはうれしいが、なんだか手を抜いているようで申し訳ない。
 浅野陽歌は自身の体験をまとめた書籍、『小さな生存戦略』を出版した。その中にある裁判編はいろいろと伝説であり、法曹関係者の間で話題にもなっていた。
(やっぱり珍しいんだ……)
 そもそも、国選弁護人が期日をブッチすること自体が前代未聞なのだ。そういう裁判を陽歌は経験している。
「話は愛花さんから行ってると思いますが……大丈夫ですか?」
 陽歌は言葉を濁しつつ確認を取る。彼はかつて殺人罪で少年院に入っていた。法曹だと色々あるのだろうが、陽歌にとっては何がどう作用するのか分からないので聞くだけは聞いておく。自分で公表している以上、隠すようなことではないのだが。
「ああ、それはもうわかってるから」
「ありがとうございます」
「まぁまぁ、うちじゃ喧嘩で警察のお世話になる若い子、珍しくないから」
 彼の場合は喧嘩とはわけが違う、ガチ殺人ではあるが、読者ということは陽歌の過去もしっかり把握している。
「あの子、今日はお役所行ってて、もうすぐ帰ってくるからね」
 件の人物が戻ってくるまでには時間がある。陽歌は事務所の応接机と椅子のセットに通され、そこでお茶を飲んで待つことにした。

   @

「元々、自分の罪を償うために出頭したのです。死刑以外なら、なんでもよかった。それを心身喪失だので無罪にされてはたまったものではありません。罪を抱えきれずに出頭したのに、まだ抱えろというのはできなかった。それが国選弁護人の怒りを買ったのでしょう」
 陽歌は国選弁護人が自分の弁護をボイコットした件について、自分の口から語る。件の人物を待つ間の雑談だったが、少年犯罪で弁護士が期日に来ないという事件は法曹関係者の興味を引くようだ。
 ただ、あちこちで語っていると慣れてしまい、自分でも感情が動かなくなるばかりか芝居がかってしまっているような気がした。
「やはり、弁護士というのは依頼人を無罪にしたいのですか?」
「それが依頼人の利益ならねぇ。珍しいし難しいと思うけど、依頼人が有罪になりたいって言ったらその通りにするもんさ。というか、依頼人の意志に歯向かったら本当はダメなんだけどね」
 おばちゃんは陽歌の担当弁護士に呆れていた。あの時は陽歌もまだ子供で、弁護士というのは何が何でも依頼人を無罪にするのが目的なのかと見ていた。そうでなければ、不起訴にも適用できて表に出られる時期が分からない刑法三十九条まで持ち出さないだろう。
 ただ、こうして歳を重ねたり少年院の集団脱獄事件などを乗り越えたりしていくと、犯罪者にも人権があると鼻息荒くするのは声の大きい少数の弁護士しかいないと理解できるようになった。そういう弁護士も、本気で人権どうのを思っているというより、自分が気持ちよく振りかざせる正義として使っている側面は多い。
「ただいま戻りました」
 話をしていると、件の人物が戻ってきた。若い女性でかなりの美人だ。
「あら、明日香ちゃんおかえりなさい。こちら、以前お話していた浅野陽歌さん」
 おばちゃんは明日香に陽歌を紹介する。肝心の陽歌は緊張したような面持ちだ。基本的に彼は人見知り。いつも初めて出会う人には緊張してばかりだ。
「ど、どうもです」
「よろしくお願いします」
 一方で明日香は落ち着いていた。スーツの襟には弁護士バッチが光る。
「お若いのに弁護士なんて……凄いですね」
「陽歌さんこそ、いろいろ経験されて」
「そ、そんな、年下にさん付けなんて……」
 この腰の低さが、浅野陽歌という人間だ。出した本がベストセラーになろうが関係ない。これは彼が謙虚な性格をしているわけではなく、幼少期に褒められた経験が欠如した結果として自分の価値を低く見積もる癖があるだけだ。まともな環境に身を置き直しても、昔からの癖は直らない。
 謙虚な性格という印象を与えるのは、『そんなことはない』という否定待ちや構ってもらおうという、対価や狙いのある言動ではないから。
「……確かに、刑事さんの言う通り女性にしか見えませんね」
 明日香は陽歌をよく見ようと近づく。しかし彼は自然と距離を取り、明日香と一定の間隔を維持する。
「どうしたんですか?」
「あ、そのー、ボクあんまり近づかない方がいいかなって。いきなりは」
「え? あー……」
 目的は明日香の男性恐怖症へのリハビリ。なので陽歌は彼女を気遣ってこの変な行動に出たのだ。
「それは私で調整するので、自然に過ごしていてください」
「あっはい」
 明日香の指示で、陽歌は事務所の置物として活用されることになった。
「そうだ、バイト代あげないとねぇ。せっかく来てもらったんだから」
「あ……その」
 おばちゃんからの提案に陽歌は言い淀む。世の中には、報酬の伴わない仕事はいい加減になるという考えもある。とはいえ陽歌の役目は明日香が男性恐怖症を克服するための道具であり、本当に陽歌からすれば報酬を貰うほどのことはないのだ。
 むしろ、自分のコンプレックスを誤魔化せる機会として彼の方がお金を払いたいくらいだ。
「……刑事さんの方から調整がありますから、ここでもらっちゃうと大変かも」
「あらー、ならよかったわ」
 咄嗟に角が立たない嘘を陽歌はついた。おばちゃんが愛花に話したら一瞬でバレるのだが、咄嗟の嘘なんてものはその程度だ。

   @

 陽歌が置物のミッションを開始してから数日、明日香を見ていてわかったことがある。
 生活に支障をきたしてはいないが、彼女は男性が近づくと喋りや動きがぎこちなくなる。そしてこの事務所に来る男性は明日香の現状を把握しており、あまり距離を詰めないようにしている。
(怖いのって、何か劇的なことがないとなくならないよね……)
 陽歌は自分の経験から、明日香が時間をかけて今の段階まで恐怖心を緩和してきたことを悟る。
 過去に陽歌はバスの事故に遭い、横転したバスに取り残されたクラスメイトが焼ける匂いが忘れられず、肉を食べることができなかった。今でも出されれば肉を食べるが、自分から好んで食べたりはしない状態である。
 この依頼を引き受けたのは、自分の経験から恐怖を乗り越える助けになりたいと感じた側面もあるのだろう。
「もうすぐお祭りねぇ」
 おばちゃんがカレンダーを見てそう呟く。
「あ、もうそんな時期かぁ」
 明日香も心当たりがある様に、地域の定番みたいな扱いらしい。陽歌はあまりお祭りに行かなくなったので、どうにもそういうのに疎いところがある。出先の話ともなればなおさらだ。
「ということは同窓会ね。みんなと会えるの楽しみだなぁ」
 この町は都市部からそこまで離れていない。休日に少し足を延ばせば帰省できるため、鉄道や高速が込み合うお盆を避けて早めに里帰りをする人が多いそうだ。
(ホテルは取ってあるけど、一回家戻ろうかな)
 陽歌も事務所のお休みに合わせて、自宅へ一度戻ることを考えていた。たまには戻って軽く掃除機でもかけてやりたいところだ。任務中に滞在するホテルも警察が抑えているが、ひと昔前ではかつての被害者のために警察がここまで動くというのは、権限的にも予算的にも考えられなかった。
 『リアル藁の盾事件』、『少年院集団脱獄事件』といった、陽歌も巻き込まれた様々な事件を経て警察も予算が増えたり、活動をいろいろと工夫している最中なのだ。陽歌は愛花から、この任務を受ける時に聞いた言葉を思い出していた。
『お前が巻き込まれた、世間ではリアル藁の盾とか言われてる事件だがな、未だに心的外傷になっている人も多い。警察の仕事は基本手遅れだというが、それでも何か、未然に防げなかった我々にできることを模索したい』
 渦中にいた彼からしてもあの事件は異常だった。被害者のケアに力を入れたい、という愛花達刑事の意志が反映されて、陽歌が派遣される流れなどが生まれたという感じだ。
(少しは役に立てているといいけど……)
 明日香も少しずつ陽歌に慣れていき、思惑通りに事は進んでいるように見えた。
「陽歌さんも来ますか? 本のファンが友達にいまして」
「あ、すみません……その日は用事が……」
 陽歌は明日香に誘われたが、咄嗟に嘘をついた。確かに家へ一度戻るつもりだったが、別に必ず戻る必要があるわけではない。
「せっかくの同窓会ですし、クラスメイト水入らずでぜひ」
 明日香とその友達の時間を邪魔しないように、というのが陽歌の考えであった。
「埋め合わせはお盆にしましょう。そちらの方が、来れる人も多いかと」
 嘘を吐く時に饒舌になるのは、陽歌の昔からの癖だ。一応本心ではあるのだが、最初の用事が嘘なので口数が増えている。
「そうですか、ではまた今度予定を調整しましょう」
「はい、よろしくお願いします」
 明日香と陽歌がそんな話をしていると、おばちゃんが三冊の本を手に話へ入ってくる。
「うちの家族にもファンがいてねー、次の本は何出すのって気になってて」
「えーっと、さすがにもう本出せる体験はない……かもです」
 陽歌が出している本は一冊ではないのだが、それぞれが創作ではなく珍しい体験を記録したものであるため、これ以上は書くことができない。
「あらー、それは残念ねー。でも平穏ってことだし、いいことねー」
 陽歌が本を出さない、ということは本になるような体験や事件がないということ。彼からしても二冊目以降は、書く予定のなかったものだ。
 しかし、彼はこの時思ってもみなかった。四冊目を書くことになるなどとは微塵も。


 前日譚に当たる物語ですが、読まなくても本作は楽しめます。

 次回


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