北朝鮮・中国国境の風景 丹東 新義州 鴨緑江の洪水
朝鮮半島北部
7月末に鴨緑江、豆満江流域で大洪水が起きた際に、北朝鮮は韓国の支援だけでなく、国際機関の支援やロシアの支援までも拒否した。
鴨緑江の中洲の島ではほとんどの家が屋根まで水に浸かり、住民は泥水の中に孤立していた。対岸の中国は救助を申し出たが、脱北者が出ることを恐れた北朝鮮当局はそれも断ったといわれる。
鴨緑江が北朝鮮と中国の国境。左の海は西朝鮮湾、黄海。東の海は東朝鮮湾、日本海。中央下に平壌。
右半分は平安北道。
鴨緑江河口
衛星画像は2024年10月16日。左上に鴨緑江河口。マーカー地点は平壌。国境線を表示している。ズームイン。
丹東・新義州
左は中国・遼寧省・丹東市。
右が北朝鮮・平安北道・新義州市。鴨緑江には大きな中州が見える。中央やや上に新義州の市街地。
河口の様子。
丹東と新義州は中朝友誼橋で結ばれている。下に新鴨緑江大橋。左下に丹東空港。右上に新義州空港。空軍飛行場を兼ねている。
国境線を消した。新義州側には大きな中州の島が目立つ。
中朝友誼橋
よく見ると、橋は二本あるようだ。丹東から新義州を詳しく見てみよう。
丹東駅から新義州駅
参考衛星画像は2023年9月1日。丹東駅構内への線路の本数が多いな。
下流側の橋は1911年に完成したが、朝鮮戦争時にアメリカ軍機の爆撃を受けて破壊された。プロパガンダ用に残され、鴨緑江断橋と呼ばれている。
上流側は1943年に完成した中朝友誼橋。同じく爆撃されたが修復された。鉄道と道路が通っている。
二つの橋のたもとが、観光客にとって絶好の北朝鮮ウォッチのスポットになっている。
橋脚の跡が残されている。
対岸の新義州の遊園地。
ほとんど放置されているような雰囲気だ。左半分中央には長い間動かされていない小さな観覧車が見えるそうだ。
新義州駅。左上は平安北道革命記念館と広場。車が見当たらない。
新鴨緑江大橋
河口側に新たにつくられたのが新鴨緑江大橋だ。2014年に完成したものの、北朝鮮側が接続道路や税関施設をつくらず未完成のままである。左は丹東空港。
中国側は開発が進んでいるが、北朝鮮側は開発意欲なしの風景が広がっている。
中国側。ここも立派なつり橋や北朝鮮を眺める観光スポットになっている。
片側2車線のつり橋だが、やはり一台の車も見えない。
舗装工事の完成度を疑わせるような状態?
洪水の前後
鴨緑江もそうだが、中国と北朝鮮では治水対策、護岸工事のレベルが違う。上記の橋のたもと付近の様子を見てもわかると思う。
衛星画像は2024年6月28日。まず洪水前の様子を見ておこう。マーカー地点は、新義州のすぐ上の中州、威化島。対岸の丹東の住民が日常的に眺めている北朝鮮の風景だ。ズームイン。
マーカー地点を拡大してみた。
家や農地がこんなふうに広がっている。
衛星画像は2024年7月18日。大雨が降り始める前。
7月末、金総書記は列車で新義州を訪れ、ゴムボートで水害現場を視察。一時は5000人以上が孤立していたという。防災当局を叱責し、住宅建設を決めた。
8月2日。洪水直後。島の大部分が浸水したものと考えられる。1000人以上が死亡したと報道あり。5日、水害復旧のために白頭山英雄青年突撃隊員3万人、平安北道の突撃隊員2万人が送りこまれる。8,9日、金総書記、専用列車の前で住民に演説。被災者1万3千人を平壌に避難させる。
8月15日。被災者、平壌に到着。金総書記が出迎え、歓待する。国内の不満を抑えるためと報道される。また、人名被害が一件も報告されていないことが不思議がられている。
8月27日。9月になると、金総書記が幹部の責任者を処刑したというニュースが流れる。中州の青い部分に注目。
9月24日。マーカー地点の建物の陰に注目。9月30日、金総書記が住宅建設現場を視察。
10月4日。高層住宅だね。青い部分が増えている。
10月11日。別の地点でも住宅建設。
10月16日。ちなみに青色の地点は建設作業員の宿泊施設。
10月19日。14階建て以上の高層住宅がつくられている。
対岸の丹東からは、明かりをつけて夜通し作業が進められている様子が見られるそうだ。
注記)
a.衛星画像は、欧州宇宙機関 ( European Space Agency : ESA ) が運用する COPERNICUS ブラウザからスクリーンショットしたものを使用しています。
b.地図画像・参考衛星画像は、ESRI が運用する World Imagery Wayback からスクリーンショットしたものを使用しています。