みなも荘に描いた私の夢
わたしの夢のきっかけはなんですか?
いくつかあります。まず、
私が白老で歌っていた「日常」が函館に足りていなかった
という前提。
そして、
というタイミング的欲求です。
1.前提
白老町は函館市の人口の20分の1(1.7万人)で、土地の面積は函館市より一回り小さいくらいです。そんな場所で私は歌を歌い始めました。白老は、人が少なくて木や林が多いから 自分の声がよく響いて聴こえるわけです。おうちにはギターとピアノがあって、いつでも大音量で弾き放題(笑)。
そんな環境で私は一日中歌ったり、歌詞を書いたり、レコーディングしたりしていました。
一年に一度の芸術祭(札幌のアーティストを中心に白老の廃校を利用して集う飛生芸術祭のこと。)もあって、そこでいろんなお客さんと外で歌うのが本当に楽しいんです。
でも、函館に来て 壁隣に人がいる環境で大きな声で歌うことは、
どんなに騒がしくしてもいいよ といわれても自由な歌詞とか、想いまでは歌いにくいですよね。
外に出ても、五稜郭公園は人が沢山通るし緑の島まで楽器を持っていくのは遠いし
なにより道端で歌ったら必ず誰かとすれ違うので 堂々とは歌えません。
そこで私は、「バンドハウス」「ライブステージ」と呼ばれる、出演料が存在する世界で歌を歌うことになります。でも、お客さんを呼ばないと自分の出演料を賄えないし、何よりそういう場所は「人に音楽を聴いてもらう」ための場所のつくりをしているのです。
音響設備や、1地点に全員が注目できる目の前の段差(ステージ)、音楽の雰囲気を醸し出すライトなど その他諸々。
でも、私が歌ってきた音楽はそういう場所のためのことを考えて作ってきたことがなかったし、友達を呼ぶのも嬉しいんだけど、なんか罪悪感・・・?な想いが続いて 正直「ライブ」と呼ぶもの自体あまり好きではなかったです。今思えば。
しかも、そういう活動をしていく中で
「将来歌手になるの?」「音楽で食ってくの?」といった質問をしていただく度に、「うーん・・・」と答えに迷う自分がいました。
白老でも聞かれなかったわけではありませんが、「白老で歌えることが好き」だと知っていたし、周りに音楽活動をされている同年代に出会う機会が少なかったので、あまり深く考えたことがなかったです。
でも、確かに納得のいくまで音楽をやったことも特になかったから「自分は他にどんな音楽をつくれるんだろう?」と気になって、みなも荘の日々を1つのアルバムにして展示会で売る!
ことを目標に、理想の音楽作りをやってみることにしたんです。PVも撮るつもりだったから、海のそばにあるみなも荘のロケーション、最高だなって思ってました。
そう、秘密基地が 欲しかったんです。
なにをしても みんなコソコソ楽しそうにできるような。
次回は タイミング的欲求です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?