ブロガーやライターは記事を書くことが最優先
おっさんはTwitter初心者
意図せずnote連続投稿を1ヶ月くらい続けると、「今日も何か書かなくちゃ」という思いが頭の片隅にあるものだ。でも昨日noteを書くのを忘れた。今そのことに気づいた。思わずカレンダーの日付を確認した。
実は最近遅ればせながらTwitterをやる様になったからだ。もう2年も経つというのに、ただ書いたブログの更新情報を垂れ流すことだけにしか使っていない。だからフォロー・フォロワーも30人くらい。それが最近フォロワーが増えたことがキッカケでやるようになった。感想とはして、昔やってた無料ブログに似ている。友達繋がりになった見知らぬ人の新着記事を確認しコメントを書く。自身の記事に書かれたコメントを返す。確かに楽しかった。Twitterはブログとは違うけど、いいね♡をつけたり、お互いのコミュニケーションツールであるのは同じこと。
今回Twitterで繋がりによって、ほんと、たくさんの人の意見を見た。「この人のつぶやきに”いいね”をしたりフォローをすると、別のフォロワーの人に嫌がられるかも」こんな風に。リアルと同じでSNS忖度を考えしまう自分がいる。そんな思いの中、見知らぬアカウントを探していたら、正直、消耗した。私には合わない。だから昔無料ブログをやめたのだ。それは本当に自分の好きな話題での繋がりではなかったからでもある。
SNS=向き不向き
やはり私世代の男性にとってSNSとは、男性よりも女性に適したツールだとTwitterをやってみて再認識した。なぜなら男性は1人で何かを極める特性があるからだ。男は狩りに出て女はコミュニティを築き家族を守る。そんな太古の昔のDNAがそうさせると私は信じている。だから男性と女性の脳の隔たりで、長く付き合うと上手くいかくなる人もいる。とても自然なこと。どっちも悪くはない。
SNS利用データでは年齢が上がるほどTwitterをやる人は少ない。私の周りには「知り合い限定LINE」使いはいても、Twitterをやる人の話をほとんど聞かない。やってる方が少数派としか思えない世代。実際私もブログをやっていて、Twitterからのアクセスは微々たるもの。年代を見ても20~30代が圧倒的に多いと思う。
私の場合、本当はTwitterでブログ更新しても意味ないと気づいている。なぜなら記事の内容が「社内の人間関係の悩み」もあるが「園芸・大人向けのライフハック」など若者向けじゃないからだ。ターゲットが曖昧で的を得てないともいえる。
「そういうのはテーマをしぼって垢分けして運営しましょう」それも分かるが私はその先を見ている。大事なの継続できるのか。結局ブログって、誰が書くのかで、その人の生き様だと思う。Twitterでそれを感じることは私には出来ない。
そして時流にあったお店を次々変え出店するよりも、いつもそこにある田舎の駄菓子屋でありたいからだ。例えるなら、一日120万稼いで1年で消滅するよりも、一月10万、年120万、それを長期に渡り稼げる商売を成功者と思うからだ。
私の年代ではフェイスブックにこそ需要があるのも何となく分かる。でも今回のTwitter沼の様な「ミイラ取りがミイラになる」になりかねない。お付き合いの方に時間を割いてしまうこと。これを「互助会」と揶揄する人もいた。ブログ記事を書くことこそがメインなのにそれでは本末転倒だよね。そうやってSNSを断ってnoteに来る人もいると思う。これを上手にこなせるスキルを私は持ち合わせてない。そんな自分との相性が良くないと分かるので、今フェイスブックアカウントを持たないでいる。きっと、あっちもこっちも中途半端に終わるのが分かるからだ。
SNSとの距離
とはいっても、いまの時代SNSの発信力が絶大だということも大変勉強になった。時間をかけた長文よりも、たった数文字をこまめにやり取りすることも凄いと思った。しかしながら短文では伝えきれないこともあるし長文には長文の魅力はある。豆な人はTwitterを、マイペースな人はブログがいい。
危うくTwitterの波に飲み込まれそうになったが、いま現実にもどり我に返れた感覚だ。しかし乗りかかった繋がりが気になるし勉強のためにも、しばしフォロワーとやり取りするつもりだ。そしてフォロワーを増やすための心なきフォローはしない方が長い目で見たら自分の為になることには気づけたので昔の経験が生きたのでは?。私はそう信じている。おっさんは石頭だ。
一日あけての投稿だが、連続投稿になるのだろか。もしそうならなかったら、ちょっと間を開けるかも知れない。(*´ω`*)