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「森の生き物たちのように」-Hidekuni Yano
僕は今、「みんなのお金プロジェクト」という取り組みに参加しています。発起人の西山さんの言葉を僕なりに解釈すると、「誰もが経済的不安を抱えることなくほんとうにやりたかったことに取り組み、それが愛に基づいてさえいれば自然と有形無形の応援が集まり、ゼロサムゲームでなくみんなが豊かになっちゃうプロジェクト」です。いわば、恐れではなく愛を基盤にした世界なのですが、そこに近づくには損得感情で動く世界にも同時に向き合わなければなりません。僕自身、このプロジェクトのお金を使ったり入れたりするとき自分がどんな価値観に基づいてお金を扱っているのかを何度も問い直してきたし、ときには罪悪感や見返りを求める自分も発見したりします。
非営利団体で働いていたころの葛藤
以前、僕は東京で地方創生系の非営利団体に勤めていました。理想に燃えて働いていましたが、組織の規模に比べてリーダーの持ってくる仕事が大きくて、常にみんなのキャパシティを超えて疲弊しているのに、誰もそれを言い出せない状態でした。「世のため人のため」と言いながら自分たちを犠牲にしている組織の在り方に違和感を感じていました。
3年目くらいから、このままではいけないと思い始めましたが、周囲の期待に押され、辞める決断ができませんでした。頼まれた仕事を一つひとつ頑張れば状況が良くなると信じていましたが、何も成果が出せず、ただ消耗していく日々でした。
また、ある事業で成功者の考え方や成功法則を他の人に教える内容を扱っていたのですが、自分がそれを実感していないことに違和感がありました。自分の経験でもないことを「良いもの」として伝えることに嘘をついているような気がしていました。
そんな中で「自分が本当にやりたいことは何か」に向き合えず、自分を見失いかけていました。今振り返ってみれば、がむしゃらに働くことで、自分の本質から目を背けていたとも言えるかもしれません。そこで、組織を離れる決断をしました。経済的な不安はありましたが、自分と向き合う時間を強制的に作り出しました。
出会いと全国を巡る旅
組織を離れてから、さまざまな場所を訪れました。その中で千葉県のいすみ市にある『パーマカルチャーと平和道場』という、築150年の古民家で持続可能な暮らしを仲間との共同生活を通じて探求・実践するプログラムにボランティアスタッフとして参画することになります。そこで、同じ時期にプログラムに応募した一人の女性と出会い、意気投合しました。
僕たちは全国を旅し、各地で農作業や大工仕事を手伝う生活を始めました。宿泊はウーフ(WWOOF)の形で労働と引き換えに提供され、生活費を節約しながら旅を続けました。
薪を集めてきてご飯を作る生活はパソコン仕事にはない充実感を与えてくれました。自然の中での生活は、自分とのつながりを取り戻し、心が満たされる感覚をもたらしてくれたのです。
しかし、パートナーが都会での暮らしを望み、僕たちは別々の道を歩むことになりました。この別れは辛かったですが、彼女の価値観に依存していたことに気づき、「本当に自分がやりたいことは何か」を考えるきっかけになりました。
湧水町での新たな暮らし
旅の中で、特別な感覚を得た場所が鹿児島の湧水町でした。初めて訪れたとき、懐かしさを感じたのです。それは、僕が3年間の旅を通して得たかった感覚でした。
最初に出会った人たちは家族のように僕を迎え入れてくれて、その日の夜、みんながいる中で横になりながら天井を見上げたとき、自然と涙が溢れてきました。「やっと見つけた」という感覚が胸に広がり、この土地での暮らしが自分にとって特別なものになると確信した瞬間でした。
湧水町での暮らしは、ただ自然の中で生きるだけでなく、地域の人々と深くつながりながら、共に生活を築いていくものでした。家も仕事もスムーズに見つかり、この場所に呼ばれていたかのようにすべてが順調に運びました。
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与え合う社会の実践者
湧水町では、地域の人々同士の助け合いや交換が生活の中心にあります。畑で取れた野菜を分け合ったり、薪を割る作業を手伝うことでお米をいただいたり、もちろんすべてではないですが、物々交換に近い形で互いのニーズを満たす場面もよくあります。
まだ一部ではありますが、ここでの生活は「人とのつながり」が生活の基盤にあります。愛と信頼を基にしたギブや助け合いが湧水町や周辺地域の社会を支えており、すべてをお金で交換する暮らしと比べると心の充足感は計り知れません。与え合う社会の実践者に溢れたこの土地での暮らしを通じて、人が人らしく生きる上で本当に大切なことは何かを改めて考えさせられました。
森の生き物たちに倣う生き方
まだ僕が大学生だったころ、「どうせ働くなら利益優先の企業よりも社会変革に重きを置いた会社で働きたい」と思うようになったきっかけが「恩送り」という考え方と出会ったことでした。19歳のとき、フィリピンで詐欺に合って困っていた僕を助けてくれた日本人に恩返しをしようとしたとき、「恩返しはいらない。君がいつか困っている人に出会ったら無条件に手を差し伸べてくれればそれでいい」と言ってくれました。それは後に「恩送り」と呼ばれる行為だと知りました。この経験がその後の活動につながっています。個々人のギブ&テイクを超えて、誰かから受け取ったものや自身から湧き出てくるものをシェアし合う世界です。森の虫や動物、植物の社会が交換でなく循環で成り立っているように、人間社会もただ無条件に無理なく、楽しく働くことで成り立つのではないかという仮説を持っています。とは言っても、今の社会で生きようとすればお金は必要だし、ときには潤滑油のような機能も果たしてくれるお金を否定する気は一切ありません。ただ、恩送りの精神をベースに、より自然原理に近い形でのカルチャーや経済活動を拡げていくことは可能だと思っています。
恩送り制のおむすび屋
そんな考えを現実にするため、僕は恩送り制のおむすび屋を始めることにしました。湧水町で家族のように一緒に活動している仲間に場づくりがしたいと相談していると「おむすび屋をやったらどう?」と言われ、「やるよ」と答えたことがきっかけです。おむすびという老若男女問わず愛されるわたしたち日本人のソウルフードを通じて、自然に生きることを問い直す場を作りたいと思っています。
値段をつけないおむすび屋は、ただ利益を上げるためのものではなく、自然から受け取った愛の橋渡しです。お母さんが子どもにおむすびを作るように、ただお腹が空いた人に食べてもらう。そんな場を作り、僕自身が精神的、経済的に豊かに暮らしていたらきっと誰かの心の変容につながるでしょう。そして、そんな世界観に共鳴してくれる人たちと共に森の生き物たちような与え合い、支え合いの社会・経済を当たり前の選択肢にしていきたいのです。
豊かさは循環にあるという仮説
もちろん、理想と現実の間にはギャップがあります。お金のために働くことを辞めてから、経済的な不安は何度も訪れました。でも、自分の肚で納得することにていねいに取り組むことで、必要な物事が運ばれてくるという体験を何度もさせていただきました。物質的にはギリギリかもしれませんが、心の豊かさを感じながら、自然に生きる道を歩んでいます。
ほんとうに人間らしい生き方は交換ではなく循環にあるのではないか。この10年間の体験を通じてそんな仮説をもっています。このプロジェクトやおむすび屋を通じて、少しずつ自分が信じたいことをこの世界に表していきたいと思っています。
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