自分の「心」を置き去りにしないで
先日、子供達を送迎する車内で"心"の話になったんですよね。
何でそんな話になったか忘れたし子供達はちゃんと聞いてなかったけど、母は朝からクソ真面目に語りました。
「いつか自分の心に従えない時が来るけど、自分はどんな人間なのか?何をしてる時に楽しいと感じるのか?誰といると居心地良いか?はなるべく忘れないでね。」
子供が小学校に入学すると苦手な授業受けないといけないとか、宿題しないといけないとか、自分で選んだ訳じゃない担任の先生やクラスメイトと過ごすことになる。
本当はおもちゃで遊びたいけど、義務教育を受けるために「自分の意思通り」に生きていけなくなる時が来る。
そうすると、最初は「もっと〇〇がやりたいのに!」って心が抵抗しても、そのうち「抵抗しただけムダ」と頭で学んで、気づいたら本当は自分は何をしたかったのか?を忘れてしまう。
特に苦労を美徳とする日本では、大人になった頃には「自分とは」?みたいな自分探ししなくちゃいけないくらい自己喪失を起こしてしまいがち(私も含めて)。
いつかそういった社会で自分の気持ちを押し殺して生きていく日がやってくるけど、だからって自分や「好き」を忘れてほしくない。(なんなら、好きじゃないけどお金のためにやってる仕事の大半はAIが代わりにやってくれる時代が来るから、今以上に自分の好きに忠実でいないといけない時代になると思っている)
「本当は〇〇が好きなんだよな」を忘れず、放課後や週末とかに存分にやってほしいと思う。
だから我が家は習い事しなくていいよポリシー。日本語だって母との会話のみ。流暢な日本語を話す前に、まず自分はどんな人間で、どんなことに興味があって、人とどんな意見を交わしたいのか?がないと「言葉」ってツールを学ぶ意味がないと思っているから。
だって小児脳科学の先生が「5歳までは習い事より睡眠命!」て言ってたし
やりたきゃ自分から言ってくるしょ的な。そして安上がり、送迎不要。サイコーか。
そんな気持ちで話しました。(子供達はポカンとしてたケド)
一度自分を見失った大人として、(まだやってるけど)伝えたいことはたくさんある。
年を重ねれば重ねるほど本当の自分が見えなくなるわよ…若いうちにちゃんと分かっときなさい自分てもんを!
そして誰よりも大切にしてね。将来愛するパートナーと出会っても、自分ありきのパートナーだからね。自分を満たせない人が他人を満たすなんて無理なんだから。愛する人のためにも、まずは自分を満たす。
私はバンコク移住やコロナを機に色々と失って(と感じて)、移住直後に妊婦になって時間だけはたくさんあったから、たくさん考えて行動して立ち止まっては遠回りしてきた。
苦い過去と向き合って、仲良しなんだけど昔から感じてた心のモヤを泣きながら実母に電話したりして「本来の私」と向き合う努力をしてきた。
そりゃ〜もう、恥ずかしいくらい泥臭くさ。
今だって、ほぼ日手帳に書きなぐって自分の心のうちを見える化して、頭と心と魂を統合させて。
そしたら友達は一気に減ったし、前ほどオシャレ気にしなくなったし、別にイケてるカフェでなくても近所のセブンの安いラテで満足できる「地味」な私になったけど、逆に言えばよりシンプルでナチュラルな自分でいれてるってことだし、今まで生きてきた中で1番心は安定しててなによりも自分を大切にしてる気がする。
バカ正直で、不器用な自分が愛おしいんです。かわいいやつめ、みたいな。
子供達にも、今後いかなる時代が来ようと自分を愛して、誰よりも大切にしてほしい。
生きるのが心地よい大人になってほしい。そばで見守る母はそんな思いであります。