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国際結婚してタイに移住したら失ったモノと、得たモノ

タイ人夫にプロポーズという形でオファーされたとはいえ、自分で望んで国際結婚してバンコクに移住してきたくせに、いざ来てみたら思ってたよりきつー!!だった2018年。

人生初の妊娠もしてたので、今では考えられないくらいネガティブだったように思う。

ただバンコクで息を吸っているだけで、何にもしてないのに時間だけが過ぎていくのがイヤで仕方ない。東京の同僚は今日もまたキャリアを積み上げているのに、私はこんなところで何をしているんだろう?今日私は、何を生み出したのだろう?自己嫌悪。

辛くて辛くて、どうにか抜け出したくて。

ネットに答えを探しに行ったり、日本じゃ仲良くならないような人でもとりあえずお茶をしたり、独身の頃の貯金をはたいてタイ語学校に通って、ちょっとでも役に立ちそうなセミナーがあれば参加して。

スケジュール帳に何か予定が入っているのを見てはホッとするんだけど、終わったらまたあの不安がよぎる。

今思うとあの頃の自分って、いろいろと失ったから辛かったんだろうなと思うんです。

働けなかったので、好きなものを買うお金がなかった。

働けない体になった上に同居の義母が私を子供のように扱うことで、自由を失った。

タイ語が話せなかったし、知らないタイ人と話すのが怖かったので人とコミュニケーションができず、家族以外との交流を失った。

友達がいなかったので、気軽に話せる人がいなかった。

家族以外の人から必要とされなくなった。

私なんかいなくてもこの国はまわってるしって、社会貢献ができなくなってしまった。

日本では元気な方だったんだけど。今ではご飯食べてもおいしいと感じないし、青い空を見ても美しいと感じる気力がない。

シンプルなおしゃれが好きなんだけど、母が私を妊娠してた時に着てた年代物の妊婦ワンピース(おばちゃん花柄)を着て、人目気にせず平気で外に出ていた。
今思うとダサって笑っちゃうんだけど、当時の数少ない写真の中の私の目は笑っていない

東京では、当時1番高いと言われていた外資系ホテルのセールス&マーケティング部に所属して、日々有名どころのメディアの相手をしていた自分がかっこよくて好きだった。でももう、もうあの頃のかっこいい自分はいない。

お金、自由、自信、自尊心、仲間、肩書き。あとは何だ??もう、全部よ、全部。

これまで培ってきたコトやモノすべてをはがされて、30過ぎにして丸裸になった気分。

何に向かって歩いていけばいいのかも分からない。そんな未来の見えない感じが怖いし、私はずっとこの国でこんな状態で生きていかなきゃいけないのか?の絶望感

でね、人って落ちるところまで落ちると、そのまま底辺にいつづけるか上がるしかないんですよね。だって、これ以上の下はないから。

底辺でずっともがき苦しむこともできたんだけど、それじゃ息ができなくて苦しいし、落ちるためにバンコク来たわけじゃない。
子供だって生まれるし!
悪いけど幸せになるためにバンコクに来たのよ、私は。

どうにか這い上がって生き抜きたい!と思った。そんな中、コロナでほぼ失業したのをきっかけに起業塾に入って、本格的にビジネスを始めました。

ビジネスを学び始めて1番最初にしたのは「自分との向き合い」でした。
え?自分との向き合いとかどうでもいいから、手っ取り早く稼げる方法を教えて、という人もいるでしょう。

当時の私は、預金が100円を切っちゃった第2の経済的どん底を経験してたので、先生に逆らうことなく言われたことは素直に継続して行動しました。

焦りをエネルギーに変えた結果半年で100万円を稼いだけど、稼ぎ続けるってのができなくて、別居するために家賃払わなきゃって、一旦雇われに戻って。

義母と別居して安定収入を稼ぎ始めて、経済的にも精神的にも余裕が生まれた今、バンコクに来てすべてを失ったと思ったけど、意外と「得たもの」の方が大きかったと感じている。

これまでの人生、こんなに長い時間をかけて立ち止まって自分と向き合うとか、見つめ直すってやってこなかった。日本では毎日忙しかったから、言い訳して紛らわしていたのかな?いや、向き合う必要性を感じてなかった

けど、バンコクでは否応なしに立ち止まざるを得なかった。

妊婦だし、外国人だし、働けないし。お金もプライドも失ったけど、時間だけはたっぷりあった。

その時間を使って、ビジネスをきっかけに本格的に自分と向き合うようになったのが2020年。当時の目的は「お金稼ぎのため」だったけど、やっていくうちに「ビジネスって人生(のあり方)じゃん!」ってことがわかり、今ではビジネスのための向き合いではなく、人生のための向き合いを続けている。それが結果、ビジネスにもつながっていくと信じて。

紆余曲折ありながらも続けてきた自分との向き合いて気づいた「バンコクに来て得たモノ」は、こんな感じ。

本当の自分を知るチャンス。

日本にいた頃の私が「本当の私」だと信じて疑わなかった。いや、あれも本当の自分なんだけど、社会という戦場において、武器も持たずに生身の自分で体当たりしたら怪我するからって、守りのヘルメットをかぶった状態を本当の自分だと勘違いしていた。

常にヘルメットをかぶるのに慣れてしまうと、それが普通になって、ヘルメットをかぶらない「本当の自分」ってどんなんだったっけ?をまんまと見失って、「本当の私はどうしたいの?」を尊重せずに、ヘルメットで心にフタをして生きていたのかもしれない。

ヘルメットの下で「私、ここにいるんですけど…」と静かに訴えている「本当の自分」を、バンコクに来て社会との関わりを閉ざされてすべてを失って裸になって一旦立ち止まったからこそ、世間とかまわりとか、いかに他者の目を気にして生きていたのか!に気づいた。

タイ文字読めないとね、不必要な情報が入ってこないんです。でも日本語だと、いやでも入ってきちゃう。電車の吊り広告とか見てやれ「脱毛」だ「二重整形」だとか見ると、やっとかないと女性としてダメなのかな?とかって、自分はどうしたいの?を無意識に無視して世間に寄せていっちゃう節ない???それが世間の正解=自分があるべき姿なんだと思って。

それって、本当に自分がしたい事じゃなくて世間(何ならその会社)がやっといた方がいいよ、っておすすめしてることに過ぎないんですよね。

本当は別に奥二重でもムダ毛生えてても気にしないのに、気にしておかないと女性としてどうなの?みたいな価値観を植え付けられている。その事に感じていない人が多い。

タイの暮らしではではそれが一切ないから、嫌でも自分はどうしたいんだっけ?にフォーカスできる。むしろ、自分はどうしたいの?の軸がないと立ってられないってことでもあるのだけど。だから、海外在住の方こそ強固な自分軸が必要だと思っている。

ちなみにうちの夫は私のことを頑固とかっていうけど、私が頑固(自分軸がある)だから日本に逃げ帰ることなく、我が家はバンコク暮らしをキープできてるんだよ。むしろ感謝してくれ。

今の自分って本当の自分なの?って思う人もいるかもしれない。うん、分からないよね。どうやって確認したらいいのか、誰も教えてくれないし。「本当の自分学校」とかないし。

その答えはね、実はとても近いところにあることを7年かけて知りました。
それは、あなたの。むしろ、あなたのしか知らないんです。

今のあなたは、本当のあなたなのか?を知らずにずっと生きていくこともひとつの生き方だと思う。それであなたが一生ハッピーなら、それでいいとさえ思う。

けど、私はバンコクに来たことによって自分の意思とは裏腹に「なんか、これまで自分だと思ってたのって、ちょっと違ったらしいわ」に気づいてしまい、さらにそこ追求しないと結果出ないよね?のビジネスの世界に入ってしまい、ここまで来たらもう後に引けない、とことん向き合ってやろうじゃないの、本当の自分ってもんと!な状態なので、もうあと少しで第一ステージのラスボスと会えそうだし、このまま進みます。

私が本当の自分を知るためのツールとして活用しているのはジャーナリングです。毎日朝5時に起きて、30分くらいノートに思ったことをなんでも書くんです。

人生というのは毎日の積み重ねで、毎日は日々の選択や出来事や感情の繰り返しじゃないですか。望む人生を歩みたいなら、まだ来ぬ未来のことばっかり考えるんじゃなくて、今目の前の事に集中することが大切だと思うんです。

昨日の私は何でその選択をしたのか?昨日起こった出来事に対して、何で私はこんな感情を感じたのか?

目の前のこと、自分のことにフォーカスにすることで徐々に本当の自分ってものを理解していくと思っているのでひたすらノートに書いて、見える化して、週1ライブで言語化して聞いてもらって、なんなら仲間と一緒にアウトプットして頭の整理をして、日々自分と向き合っては本当の自分さんにごあいさつしている。そんな感じです。

ノートは100円くらいで買えるので、働いてなくてもすぐできる作業です。
あなたも、本当の自分を知って海外暮らしの生きづらさから卒業し、日本だろうが外国だろうが自分の望む人生を歩みたいと望むのであれば、ジャーナリングで心と対話されることを強くおすすめします。

タイ語学校、ムエタイクラス、高額含む各種セミナー、コーチング、ビジネスコンサルなど、総額いくら使ったのかよく分からない私がたどり着いたジャーナリングを、仲間と一緒にコミュニティでやってみませんか?


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