いざ、オホーツク 〈紋別、稚内、利尻島〉
(2023年6月)
久々に北国を旅した。それも生まれて初めて訪れる最北端の地である。気楽な一人旅を好む私だが、考えてみれば旅先に誰も知り合いがいない一人旅は久しぶりだった。目的は2つ。アザラシに会うことと、ウニを食べることだ。ただそれらを果たすためだけに、完全オリジナルの3泊4日・紋別〜稚内〜利尻島ツアーが完成した。計画は半年ほど前から練り始めていたものの、手配漏れがあっても誰も責任を取ってくれないため細心の注意が必要であった。例えば酔った勢いで予約をした飛行機は一日間違えていて直前に取り直したし、利尻島行きのフェリー予約も忘れていた。そんなこんなで最終的にはシラフの時に何度も確認を重ね、なんとか完璧に近い行程となった。今回はそんなオホーツク旅の、ハイライト部分をかいつまんでご紹介したい。
オホーツクとっかりセンターとアザラシ
最初の目的地は紋別のオホーツクとっかりセンターだ。アザラシ保護施設のアザラシランドと、餌やり体験などができるアザラシシーパラダイスから成り立つアザラシ特化型の施設である。いずれも16時には閉まるため、どちらを優先しどのように動くか、フライト中の機内でシミュレーションを重ねた。まずは14時の餌やり体験を狙い、整理券が配られる13時20分を目指すことにした。紋別空港でレンタカーの手続きを終えると、空きっ腹を抱えたまま大急ぎでアザラシシーパラダイスへと向かう。13時には到着し、500円を払って入場した。出入りは自由らしいが、しばしアザラシを鑑賞することにした。何を隠そう、ここにいる3頭のうち1頭が、会いたくてたまらなかったアイドルアザラシのアグくんなのだ。アザラシのぬいぐるみを抱きしめる写真が一世を風靡した彼である。
あっさりと目の前にいるアイドルにのっけからテンションが上がり、夢中で撮影しているうちに整理券配布の時間が来た。急いで辺りを見回したが人っ子ひとりおらず、いとも簡単に1番をゲットした。お昼を食べていそいそと戻ってくると、私以外にもう一組、熟年カップルが待機していた。わざわざ人がいなさそうな平日を狙っておいてなんだが、自分一人ではないことに少しほっとする。世の中なんでもちょうどいい塩梅というものがある。餌は、アザラシにサインを出してその通りにできたらご褒美として与える形で、事前に『寝ても覚めてもアザラシ救助隊』(この施設の職員の方が書いたエッセイ)を読んで施設のことをあらかた予習してきた私は、説明を聞かずともだいたいわかっていた。とはいえ、あのアグが、私の合図で「恥ずかしいポーズ」や「飛行機のポーズ」をしてくれるものだから、興奮して息が上がった。
差し出したホッケを美味しそうに食べてくれる姿は夢のようだ。しかしながら大興奮の時間はすぐに終わり、アグと別れを告げて今度はアザラシランドへと向かう。こちらでは飼育員さんが餌をやる様子を見られるのだが、14時30分のエサの時間にちょうど間に合った。
アザラシの可愛いところの一つは陸上での動きである。ぬっこぬっことイモムシ式に這う様子、そしてそれに合わせてばいんばいんと脂肪たっぷりの体が弾む様子は、例え口の周りが魚の血混じりのヨダレまみれであっても何とも言えず愛らしい。
餌やりが終わると、それぞれがマイペースに過ごす様子を心ゆくまで鑑賞することができる。ここのInstagramは毎日チェックしているので、個体識別までは無理でも飼育員さんが呼ぶのを聞いて「あれが、あのようちゃんか」という具合に興奮できる。アザラシは大人も毛が乾くとモフモフとするのだが、その様子が可愛くてストーカーとしか言えないほどに乾いた子を撮りまくった。
小さな施設で2時間近くを過ごし、撮った写真は150枚を超えた。
樺太食堂とうにだけうに丼
次なる目的地は稚内、目的はうに丼である。前夜に紋別の居酒屋で仲良くなったおじさんから、次のように言われた。「北海道はね、3時間の道がなぜか3時間じゃ着かないんだよ」。その方はその日ちょうど私とは逆に稚内から紋別に来たらしいのだが、寄り道しつつの道行きで7時間ほどかかったのだそうだ。朝9時に出れば13時には着けるだろうとたかを括っていた私に、7時には出なさいとおじさんは言う。確かにただうに丼を食べるためだけに稚内まで行くのだから、万が一にもラストオーダーに間に合わなければ元も子もない。言われた通り、眠たい目をこすりつつ冷たい雨が降る朝7時にホテルを出発した。道中は道の駅ホッピングで長距離を紛らわそうと思っていたのだが、9時まではどこもオープンしないためしばらくはひたすら走った。右手にオホーツク海、左手に草原、たまに白樺的な樹林を見ながら延々と北に伸びる道が続く。天気も悪いし飽きると言えば飽きるが、中島みゆきやスピッツを聴きながらの知らない土地のドライブはなかなか爽快で、あっという間に枝幸を超え猿払まで至った。
猿払村と言えば、相席食堂の神回で長州力が面白すぎたあの村だ。「食ってみな、飛ぶぞー」のやつである。道の駅でサインを発見し、思わずホタテ開けスプーンを買ってしまったが、果たして出番があるのかどうかは分からない。そして後日談としては、帰りの飛行機で凶器として没収されそうになった。
日本最北端の宗谷岬を回ってしばらくするといよいよ稚内市街だ。ここまで来ると見慣れた景色の様子が変わり、急に都会然としてくる。まるで八王子あたりを走っているような気分になる。北の果ての町は寂れているに違いないというアンコンシャスバイアスを自覚して反省する。市街を抜けノシャップ岬まで来ると、そこに夢にまで見た樺太食堂があった。佇まいには名店感はひとかけらもない。
時間はちょうど12時、1時間並ぶぐらいは覚悟していたのに、店内は空いていてすぐに席に着くことができた。
何度もイメトレをしてきた私は、初訪問とは思えないほどスムーズかつ元気に「うにだけうに丼ください!」と注文し、「あっ、お決まりなんですね」と店員さんのペースを崩してしまった。ほどなく提供されたうに丼は、見た目からしてそれはもう素晴らしかった。うにだけと言っても、実は一部に福神漬のごとくイクラが載っている。イクラ好きでもある私にはたまらない箸休めである。
しばし眺め、撮影し、箸をつける。まずは醤油を付けずそのままで…と頬張ると、甘くてふわふわで濃厚なのに溶けてなくなる。そのまま一気に半分ほど平らげた。そして残る半分はわさび醤油で味変しながら食べ切った。「もしゃもしゃ」という効果音がぴったりな無心具合で、ほぼ記憶がないほどである。一瞬で消えた4,950円。全く惜しくはない。
食後は、「日本最北端の水族館」たるノシャップ寒流水族館がすぐ近くにあったので覗いてみることにした。
寂れた外観、しかも工事中。「やってます?」という感じだが、やっていた。入場料は500円で、隣接する科学館にも入れるらしい。入口を入ってすぐのプールでゴマフアザラシが出迎えてくれた。昨日の今日だが、せっかくなのでしばし目を合わせに行く。やっぱり可愛い。
館内に一歩入ると、迫り来る手作り感におののいた。掲示物はどう見ても手作りのパウチで、なんなら壁も手塗りじゃないだろうか。
ジップロックに入ったアザラシの毛の匂いを嗅げる、という斬新なコーナーまである。なんだこりゃ。と呟きつつ、嗅ぐ。しばらくシャンプーしていない犬のような匂いがした。
歩を進めると、そのまま止まるところがなくものすごく進んでしまった。そう、ここは私の好きな暖かい海ではなく、ひたすら地味な北の海なのだ。雲丹にホヤに毛蟹にタラバ蟹。これらを〝見る〟という選択肢があったのかと思うようなグルメラインナップだ。ほぼ素通りしながら下の階へ降りると、回遊水槽があった。
なかなか爽やかではあるが、回遊している魚はやはり地味である。イチオシだと言う「イトウ」という魚も、白地に黒い斑点。昨日食べたソイってどんな見た目かな、みたいな視点でようやく立ち止まったぐらいだ。結局ほぼノンストップで出口まで来ると、その手前に亀コーナーがあった。そしてそこにいたのはあろうことか、スッポンとミドリガメであった。
ウミガメちゃうんかーい!と突っ込みつつ、「手作り感と地味さ」という個性を貫き通す姿に感服した。500円が高いのか安いのかはもはや分からないが、隣の科学館はなかなか楽しめた。特に南極越冬隊コーナーの樺太犬特集ではしばらく時間を使った。客は私1人であった。
雲丹御殿とうに
稚内で一夜を過ごし、翌日はいよいよこの旅のクライマックスとなる利尻島・雲丹御殿へと向かう。ホテルからフェリーターミナルまでは歩くつもりだったのだが、朝から雨が降っていたのでタクシーに乗ることにした。「タクシーって呼んだら来ますか?」とフロントで聞くと「はいすぐ来ますよ」と呼んでくれたが、その裏に「稚内をナメんなよ」という気概を感じた。フェリーターミナルは新しく綺麗で、冬場が寒いからなのか乗船口が空港のように建物と繋がっていた。片道しか乗らないしせっかくなのでと一等客室を取ったところ、驚くほどゴージャスな2階席で、私の他には一組しかいなかった。波照間行きのスーパーシートを思い出す快適さである。
北の海はさぞや揺れるのだろうと思っていたが、ほとんど揺れることなく、まるで瀬戸内海をゆくフェリーのようで拍子抜けした。2時間弱で到着する。宿のお迎えまで小一時間あったため、昼食がてら少し歩いてみた。なんということか、昨日の稚内に続いて「思ったよりも都会」だった。離島ラバーとしては商店が一軒しかないような不便さをどこかで期待していたのだが、商店は多数あるし、なんならセイコーマートまであるらしい。
漁協で昆布を買い込み、ターミナルに戻るとちょうどお迎えが来た。10分もかからず雲丹御殿に到着する。名前のわりにはこじんまりとしているが、アットホームで清潔感があり、眼下に海を臨む部屋はとても快適だ。ウニを食べる以外に目的もない上に、ちょっと散歩しようにもどんよりとして風が強く寒すぎるため、早々にお風呂に入ることにした。窓から海が見渡せる絶景一番風呂だ。さて、と湯船に浸かろうとしたら、巨大な昆布が沈んでいた。
これが利尻スタンダードなのか。効能はよくわからず自分も出汁を取られているような気分になったが、慣れてくるとなんだか昆布が愛らしくなりいい気分だ。風呂上がりにひと眠りすると、18時から食事が始まる。海が見えるカウンター席につくと、いよいよウニとご対面だ。
まずは生ウニと焼きウニを食べ比べる。とりあえず焼酎を頼んでしまったのだが、ここは日本酒だった。すぐに追加発注する。刺盛の中に見たこともない美味しいやつがいたので何の魚か聞いてみると「タコの頭」とのことだった。ウニ時々その他魚介の三角食べをしていると日本酒がどんどんなくなってゆく。不運にもクソうるさい団体客とあたってしまったのだが、暮れなずむ海を望み爆音でヨーヨーマを聴きながら味わう美食には何の影響もなく、ただ至福の時であった。昆布塩で食べるアワビの天ぷらも美味しく、〆にはウニの三平汁とウニ丼が運ばれてくる。
三平汁は少ししょっぱいような気がしたが、甘いウニ丼のお供としてよくマリアージュしていた。生まれて初めて「もうしばらくウニは食べなくていいです」という気分になる。途中隣の団体客から「鈴木宗男さんからの差し入れのワインが飲みきれないので」と赤ワインのお裾分けをいただいた。団体客の素性も鈴木宗男との関係も不明だが、「宗男よ、どうせなら白ワインを差し入れろ」と思わなくもなかった。
初夏の北海道の日の長さに体内時計が狂ったのか前日までなんとなく睡眠不足であったが、その日は2度目の昆布風呂に入ると9時前には爆睡していた。ウニにはGABA的な何かが含まれいてるのだろうか。いやそれなら昨夜もよく寝られたはずなので、タコの頭だろうか。
翌朝は晴れていた。部屋から見える海も昨日の鉛色とは一転し、青ときどきエメラルドブルーだ。 ちょっと潜ってみたい気すらする。
3度目の昆布風呂に入り朝食を食べる。ふだん朝食は食べないのだが、雲丹御殿なのだから仕方ない。ご飯を控えめに盛ったが、お供の「塩ウニ」が激ウマ過ぎて一瞬で食い尽くした。
食後の腹ごなしに社長おすすめの朝サイクリングをしてみることにした。「電動にする?」と聞かれたが「普通のでいい」と言うと、ママチャリをタダで貸してくれた。宿の前からスタートするサイクリングロードは貸し切りで、ヨタヨタと走っていても誰の邪魔にもならない。
バードウォッチングをしようとカメラに望遠レンズを付けて出かけたが、そう言えばバードウォッチングなんてしたことがなかった。あまりの鳥発見スキルの低さに早々に諦め、植物ウォッチングに切り替えた。朝ドラ『らんまん』の主人公万太郎を真似て「おまん、かわいいのー。なんていうがかー?」と話しかけてみたりしたが、むろん返事はなかった。
小一時間のサイクリングを鼻歌まじりに楽しみ、宿に帰ってチェックアウトする。実は目的地がもう一つあるのだ。
日本一行きにくいラーメン屋 味楽
最後の目的地は、日本一行きにくいと言われるラーメン屋味楽だ。旅の途中にふと、北海道出身の知人から聞いた「利尻島にめちゃくちゃ美味しいラーメン屋がある」という言葉を思い出したのだ。慌てて調べてみると、1時の方角に位置する宿に対し、9時の方角の集落にあるらしかった。これはなかなか行きにくい。飛行機の時間があるので13時には集落を出なければならない。まずは帰りのタクシーを予約し、行きは路線バスに乗ることにした。外回り、内回りそれぞれ1日に5便ほど走る路線バスは、手を挙げると止まってくれるスタイルらしい。9時20分頃に宿の前を通るバスにヒッチハイク然と乗り込み、40分ほどで沓形(くつがた)というエリアに着いた。何はともあれラーメン屋の様子を見に行く。ウェイティングボードに名前を記入し、開店10分前に戻ってくるシステムのようだ。
10時過ぎで2番目だった。近くのカフェで時間を潰し、店に戻る。きっちり11時20分には名前順に呼び出され、入店した。店内は小綺麗で注文はタブレットから。支払いも自動精算機というオートメーション具合である。一番人気らしい焼き醤油ラーメンとろろ昆布トッピングと三食餃子、ビールを注文した。待つこと5分ほどで、濃い茶色のスープが輝く一杯が供される。ひと口啜ると、濃厚な昆布ダシと香ばしい醤油の味がした。これは激しく好みかもしれない。
麺は北国らしい黄金色のちぢれ麺で、とろろ昆布を絡ませながら食べるとトロッとマイルドになって美味しい。とろろの吸収力と相まって普段スープをほとんど飲まない私もかなりの量のスープを消費した。食べ応えのあるビッグなメンマも美味しい。貪り食って店を出ると、まだ11時40分だった。儚い夢のようだった。
タクシー会社で予約より1時間早いんですがと断って、余韻を抱えながら早々に空港へと向かった。
それにしても海と山がこんなにも近くて爽快な島があるだろうか。高い山を囲む丸い島の感じは屋久島と似ているが、潮の香りを嗅ぎながらふりさけ見れば雪山、というのは独特だ。特に飛行機で島を後にする際に見た、海にぽっかりと浮かぶ神秘的なカムイ感は忘れられない。
6月頭。10℃〜20℃に対応する服装を準備して行ったのだが、全国的な荒天の影響から気温はずっと8〜9℃ぐらいで、ウルトラライトダウンが手放せなかった。地元商店のおばちゃんも「昨日から急に冷えるよねー」と言っていたが、何となく昨日来たと言えず「ほんとにねー」と地元ぶってみたりした。そういう意味でも非日常感は満点であった。