他人の幸せ、俺の松露饅頭。
前に住んでいたアパートに越してきてすぐの頃の話。
九州のド田舎から上京した私は、果たして隣人に挨拶は必要なのか?をぼんやり考えていた。
今どきそんなの要らないよな。というのが結論なのだが、母親がわざわざ挨拶用の菓子折を置いていっていたのだ。(しかも、あの松露饅頭)
少し考えた結果、軽く挨拶するだけだし...別に渡して困るもんでもないし、あの松露饅頭をタダであげるのだし...と思い隣人のチャイムを鳴らした。
................不在
次の日も、その次の日も隣人は不在だった......
これは縁がないなと思い諦め、仕方がないので自分で食べることにした。
そして次の日の仕事終わり、「(今日帰ったら食べよう…)」と思いながら電車に揺られ最寄駅に着き、帰路についていると、私の数歩先を1人の女性が歩いていた。
歩いている中、なんとなく心の中で「(この人、もしや隣人では?)」と思っていた。
その予感は見事的中し、エントランスを通過しそのまま部屋の前に着いた。
女性が振り返ったので、私は軽く会釈をした。
彼女も会釈を返してくれたので、私は最近隣に越してきたことを伝えた。
すると彼女は、満面の笑みで
「あ〜そうなんですね!ここしばらく空いてたから。人が入ってたの気づかなかった〜!」と言った。
そしてすぐ、「でも私今週末で退去するんです〜!なので、引っ越しの時にバタバタするかもしれません!すみません〜!」とも言った。
私が「あ〜そうなんですね〜」と答えると彼女はとても幸せそうな顔で
「はい!!!結婚することになって!!!同棲始めるんです!」と言った。
彼女の薬指には一粒ダイヤの婚約指輪がついていた。
「(めでたい!でもこの人…婚約指輪を通常使いしている??)」という心の声を押さえ「ワァ…!おめでとうございます!」と言った。
年齢は35~42?くらいで、顔は藤田紀子に似ていた。
その祝福の言葉が嬉しかったのか、そのまま部屋の前で彼女はマシンガントークをしだした。
・30過ぎてから諦めていたけど、なんとか結婚できた。
・このアパートには6年世話になった。
・もう一人でもいいかなと思っていた。
・両親からも諦められていた。
・結婚相談所に入ってよかった。
・旦那さんは3個年上の同郷の人
ざっくり上記の話を久本雅美ぐらいの会話速度で話していた。
ボディランゲージも含め、伝えようとする熱意がすごかった。
おぉ…と思ったけど、でも別に困ることでもないし、とても幸せそうなので
私もニコニコしながら聞いていた。
多分、部屋の前で30分以上は話を聞いていた。
一通り話し切った彼女は「すみません、なんかフフッ、本当にフフッ嬉しくて、すみません…フフッ」と言っていて思わず笑ってしまった。
本当に嬉しかったのだろう。
なんだかこちらも楽しくなったので、せっかくだし渡すつもりだった松露饅頭を渡そうと説明したら、あっさりと「すみません〜!私、あんこダメなんです〜!」と言われたので一瞬スンッとなったが、これで名実ともに松露饅頭は私のものになったので良しとした。
すっきりした彼女は「なんだかたくさん話してすみません〜」と言って部屋に入っていった。私も部屋に戻った。
松露饅頭を食べながら「(全然いいけど、なぜ婚約指輪を…結婚指輪では??)」と考えたりしたが、恋は盲目というし…と無理やり納得させた。
人の幸せそうな顔と、松露饅頭でいい気分になれる自分も、案外いいもんだねと思ったね。