千円の価値/君たちはどう生きるか
数年前、不動前近くのオフィスで働いていた頃に同僚のY先輩(40歳)から声をかけられた。
「さすらいさん、ちょっと今時間ある?」
Y先輩は一見すると好青年イケメンの部類に入るが、しばしばズレた発言をしたりするので顔の割にみんなからの評価が低かった。悪気がないのがわかるので、私は普通に接していた。
Y先輩の元に近づくと、「実は純粋にSさんと話したくて飲みに誘いたいんだよね。でも俺、既婚者だし下心ないとはいえ、誘いづらいから俺とSさんとさすらいさんの3人で飲めないかな?」
と言われた。
このSさんとはY先輩と同年代の女性で、少し前にこの会社に派遣され一緒に働いていた。どうやら良いところのお嬢様らしく40代の割にはまるで少女のような感性を持ち合わせていた。
そんな彼女は海外旅行が好きで、独身でもあるので
バイトや派遣でお金が貯まれば数ヶ月海外に行くという生活を繰り返していた。
実は、私はSさんのことがほんのり苦手だったのでプライベートでは絡みたくないなぁと思っていたらそれを察したY先輩が
「もちろん、全部奢るから!好きなだけ飲んで良いよ!お店もほら!この前ちょっと話していた鉄板焼とかどう??」と言ってきた。
魔法の言葉、「奢り」
奢りと聞くと、行っても良いな.......と思った。
「奢りか〜、それならいいっすね〜ニチャァ」
と素直に返答すると
「もちろん奢るよw!誘ってるのはこっちだから!んで悪いんだけど、さすらいさんの方からSさんに、「Y先輩の奢りで飲みに行きません?」って誘ってくれない?」
私は「わかりました!話してみます!ところで、Sさんと何の話したいんですか?」と聞いてみた。下心は無さそうだが、そうなると理由を知りたくなる。
「あの人海外旅行たくさんしてるじゃん?なんかそういう話聞きたいんだよね。純粋に面白そうだから!仕事の話とかじゃなくて、なんか今そういう話に飢えてるんだよ〜。」
なるほど、その気持ち、わかるよ…(心のサムズアップッ)
というわけで、Y先輩の真意もわかったので早速Sさんに話しかけてみた。
「Y先輩がSさんの海外の話とか色々聞きたいみたいで、私も含めて3人で飲みませんか?って言われているのですが、どうですかね?(要約)」
Sさんは微笑みながらも返答に困っていたので、すかさず「Y先輩の、奢りですよ…!」と伝えるとSさんは「あっでは…行きます!」と答えた。
奢りというパワーワードのおかげで、すぐに日程も決まり、あっという間に当日になった。
たまたま駅でY先輩と会ったので、一緒に店に向かうことにした。土曜日ということもあり、いつもスーツしか見たことなかったY先輩の私服がめちゃくちゃラフだったのを覚えている。(半袖短パンのジャージにクロックス)職場外で会うとそういう一面も見える。
事前にわかっていたが、「(マジで下心とかないな)」と思った。
店について席に着くと程なくSさんも来店したので、海外旅行エピソード縛りの飲み会が始まった。
まぁまぁいい感じに盛り上がり、みんな素直に時を楽しんだ。普通に楽しかった。ご飯も酒も美味しい。最高!という感じで滞りなく飲み会が進んだ。
そしてY先輩がお手洗いに行っている間、Sさんが「いや〜久しぶりに人と飲みました〜楽しかったです!しかも、奢りだしニヒヒ」と私に言ってきた。Sさんも楽しそうでよかった。私はこの人のことが苦手ではあるけど、今日は楽しく過ごせた。
Y先輩が戻ってきて、「いや〜2人とも本当に今日はありがとう。楽しかったよ〜。じゃそろそろ行こうか。」と言ったので私とSさんが「ご馳走様です〜」とお礼をいうとY先輩が….
「全然いいよ!じゃぁ、1人1,000円、いいかな?」と言ってきた。
1,000円…だと…?????????
冗談…ではない様子のY先輩が私たちの前に手を出している。
Sさんの顔を見た。完全に顔面がチベットスナギツネと化していた。
(いや…全然払えるよ…1,000円だし。多分会計、15,000円とかだし。
全然、全然いいよ。ワイは払うよ。しかし、Sさんにも1,000円を?求めている?????Y先輩の奢りなので!という誘い文句で連れてきたSさんから1,000円を?ドックンドックン)
あまりにも突然のイレギュラーで私はただ張り付いた不審な笑顔で1,000円を出すしかなかった。
一瞬、Sさんの分も含めて私が2,000円出すか?と思ったが、それは違う気がしてやめた。Sさんも笑顔で1,000円渡していた。でも私にはわかる。心のシャッターを締めた女の顔をしている。地味に怒っているのがわかる。
会計が終わり、店を出て改めてY先輩にお礼をして駅に向かった。
その間にSさんが私に目配せをしてきたので、私は適当な嘘をついて、Y先輩と同じ電車には乗らず、Sさんと集(喫茶店)で茶をしばくことになった。
席に座った瞬間、Sさんが「あの1,000円は…」と言い出した。私は思わず笑ってしまった。するとSさんも笑ってくれた。
Sさんも普段はホワホワしたキャラではあるが、勘が鈍いわけではない。
むしろこういう場合の謎の鋭さを持っている。
S「多分、さすらいさんもY先輩に、俺が奢るからSさん誘って〜みたいなこと言われて私のこと誘ったんだよね?」
さ「はい、そうですね〜」
S「そんなんされたらさぁ、さすらいちゃんもあそこでの1,000円は驚くよねw全然払うし、多く出してもらって有難いけど、なんかズレてるよね〜w」
さ「マジで気まずかったですw」
S「ちょっと驚いたけど、さすらいさんのことはなんとも思ってないから安心してw」
さ「よかったです〜wちょっと焦りましたw」
よかった。変な誤解をされてなくて、と安堵した。
そのまま引き続き、”Y先輩のここがズレている”という話題で盛り上がり1時間ほどほぼ悪口に近い愚痴を話し込んだ。
たった1,000円徴収しただけで、ここまで言われてしまうY先輩…
(私がいうのもアレだが…)
1,000円の価値って…難しい…
例えば私の場合、1,000円のランチを奢ってもらうと、その人のことを結構太っ腹だな〜と思うのです。
でも今回って1,000円以上奢ってもらっているのに私とSさんの中では既にY先輩との2回目の飲みの可能性が限りなく0に近くなっているのですよ。
同じ1,000円でこんなにも……..こんなことが?
その1,000円の徴収で1,000円以上の価値を失っていないか…?
(いや、そもそも今、共通の話題ができたので、Sさんと喋れているがそもそも私はやんわりSさんのことが苦手だし。でも奢りならまぁいっかなと…と思ったのですよ。奢りじゃなかったらSさんを誘い込むのも苦労しただろうし…わざわざ休みの日に五反田まで出ないし。なので、いかに奢りが大事だったか…!え?たった1,000円で色々言うな?うるせ〜!こちとらそんな話しとるんじゃないんだよ!”生き方”の話をしてるんだ!!!!)
Sさんと別れた後に、やんわり「(ひょっとして私たちの性格が終わっている可能性も?)」と思い、一人で初めて行くBarに寄った。土曜の夜なのにまさかの私だけだったのでバーテンさんにこの話題を振ると「ん〜まぁ確かにそれはないですね〜」と言っていた。でもバーテンさんは基本客に同調してくれるので、真の意見がどうかは分からないなと思った。
….イテっ
おっと、誰かが石を投げてきましたね。
奢り奢られ問題は敵を増やすので、ひとまず退散しようかしら。
1,000円、たったそれだけで人間の評価は変えられる。
(なんなら、1円でも….フフフ…)