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無罪から有罪へ 気仙沼女店員殺人のT(17)

袴田さんの無罪が確定した。法律の素人なので細かい話はやめておくが、正直なところ『間に合わない』と思っていたので「本当によかった」というのが率直な気持ちだが、一度法律のプロが下した判断が逆転するという事が現実にあるという話
今回は17歳の少年が犯した女店員殺人事件を取り上げる。タイトルの通り一審無罪から二審では逆の判断が下された例になる。検察の求刑は死刑相当の無期懲役となる(犯行時が17歳のため)

事件発生

昭和30年9月5日夜10時半頃。気仙沼市の市営住宅Uさんの自宅に次女のK子さん(19)が血だらけの姿で帰宅、父の「どうしたんだ?」の言葉に「すぐそこで刺された」と言い残し玄関先で倒れ絶命した。
K子さんはパチンコ店に勤務していてこの日も同僚M子さんと二人で帰宅しM子さんの自宅前で別れその5分後に200メートル先で何者かに刺された。鋭利な刃物で腹部と背中に一か所ずつ、右腕一か所左腕二か所の刺し傷があり背中の傷が致命傷となった。
M子さんは若い男が後ろからついてきてたようだったと語り、同じ市営住宅に住む男性は犯人と思われる男の目撃証言で痩せ型でカーキ色の服、草履履きの若い男が手に何かを持って市内の方に走っていったと語った。
K子さんが持っていたハンドバッグには異常はなかったことから、顔見知りで土地感ある者による怨恨の可能性があると見られ、パチンコ店の常連や地元の前科者や不良が調べられた。

難航する捜査から逮捕へ

事件はすぐに解決すると思われたが、聞き込み捜査を続けた6日夜になっても手がかりはなく、K子さんは職場では明るく恨まれるような性格でもなく異性との交際もなかった事、兄が検察官で兄を恨んだ者の可能性まで範囲が広がり7日目には早くも迷宮入りの声も出始めた。
気仙沼では最近、レストラン店員が殺害された事件がようやく解決した矢先に起きた今回の事件に捜査員も疲れを見せ始めていた。
翌年4月に一度捜査本部が解散し二次捜査に引き継がれた。
時は過ぎ…事件から11ヶ月後の7月31日に100人以上をしらみつぶしに調べた内の一人に有力な情報が得られ任意での出頭を求めた。事件時の足取りなどを追求すると自分がやったと自供した。
確証はないが自供は信頼できるとし逮捕状を請求した。逮捕されたのは事件時高校一年生のT少年(17)で被害者が勤務するパチンコ店に出入りし顔は知っていた。
事件当時、帰宅する二人を見つけて後をつけて一人になった所をイタヅラしてやろうと声をかけ押し倒したが、K子さんが「イヤだ」と拒否したためにポケットに入れてあった刃物で脅そうとしたが抵抗されたために格闘になり「顔は知られているし、もう仕方がない」と刺した。その時に死んだかどうかはわからない。人気の無い暗い田んぼ道を逃げて、途中で血のついたシャツを洗い凶器を捨てた。
しかし7月31日と8月2日にTの家を家宅捜索したが凶器など事件の証拠になるものは見つからず、事件からかなり時間がたっているために凶器についても切り出しナイフとか何刀?だったかあいまい。凶器を捨てた場所もはっきりしないという状況だった。

T少年

少年は養父母と祖母、妹の5人暮らしで養父は気仙沼の魚市場で働き実子ではないこともあり比較的大事に育てられ小遣いも貰っていた。当時としては恵まれた環境の方になるだろう。
不良との付き合いなどはなかったがいつも孤独気味で小六の時にはガールフレンドがいてパチンコ店に出入りしたり夜には映画館に行きバーをのぞいたりする早熟な面を持っていた。
勉強は嫌いで学校にはいったりいかなかったりを繰り返し、高校は事件後に退学した。
その後は自動車工場で働いていたが内向的で職場の評価はよくなく叱られるとすぐに泣き、息を吐くように嘘をつく。たびたび夜の街を徘徊するなどがあった。

裁判所の判断

Tの自供と状況証拠のみで公判が進められた。
昭和33年1月29日 仙台地裁 判決公判
強姦致傷と殺人などで冒頭でも記した通り検察の求刑は無期懲役(死刑相当)
判決は無罪だった。理由は以下
Tが実際の犯人でなけれはわからない細かい点を自供しているとしつつ
①死体に切りつけられた傷の順序が鑑定と被告の証言で違う
②道路脇で被害者に抵抗され格闘したとする自供を裏付ける血痕や荒らされた形跡が実地検証や実況検分と食い違う
③K子さんが悲鳴を上げた方向が自供と証人の証言で違う
④凶器がどんな短刀だったか供述のたびに違う
⑤自白は警察官の誘導尋問や激しい追求で気の小さい少年が安易に迎合して答えたと認定

この無罪判決によりTは1年半ぶりに自由の身となり養父母と共に自宅に帰った。養父は「当然の結果」といいTは「すべては夢のようだ」と裁判所を後にした。
担当の検察官は「意外な判決でなにか割り切れない。控訴は上司と相談して決める」
気仙沼署署長「自白の強要はない。筋の通った無理のない自供」
刑事部長「もう一度資料を集める」

覆った判決

検察控訴により控訴審が開かれた。
昭和33年12月18日 仙台高裁で判決公判
裁判長は判決理由から読み始めた。
①出血の多少で傷がついた順序は判断できない。鑑定人が言う背中が先で腹部が後(被告の自白と逆)は信ずるわけにはいかない。
②実況検分で大した血痕が見つからないのは暗夜なので当然。被害者は手首に密着したカーディガンを着用していたから外へ流れた血液は少ない。事件時は残暑の季節で原判決での格闘した際の枯れ草がついていないというのは当然。
③証人が悲鳴を聞いたのは部屋の中で方向はあてにはならない。
④凶器に関して供述を変えているがその事だけで自白の信用性は否定できない。事件があった頃に被告が大きいナイフを持ってたという証人がいる。
⑤被告の服の鑑定は事件から1年後なので事件後すぐに血を洗い流しその後も洗濯をしているのだから血痕が出ないのは自然
⑥被告は気が弱く知能程度も低いから警察の誘導尋問に引っかかったとあるが、太陽族的な性格で嘘もうまい。そもそも事件から11ヶ月も経過して詳細に事件時の事を覚えている方が不自然。

以上を総合すると被告の自白の真実性を滅殺する理由はなく証拠はないもの被告の自供は信頼に値すると認めざる得ない。
判決は懲役15年(少年法51条を適用)だった。Tは同日中に宮城拘置所に拘置された。
その後Tは上告するが昭和34年7月26日に棄却され刑が確定している。 

被害者K子さんの父「長い間の重荷がやっとおりた気がします。K子も浮かばれるでしょう」

【河北55.9.6〜7、11】【朝日宮城56.8.2〜3】
【朝日宮城58.1.30】【河北58.12.18】【集刑134】



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