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【一章】少年死刑確定囚事典

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戦後犯罪の少年死刑囚のリスト/逮捕日から判決訂正申立まで網羅してます。新しい情報が入り次第更新しています。永続的に情報の引き出しとしてお使いいただけたらと思います。
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#死刑執行

⑦ 鹿児島雑貨商一家強殺 青木敏朗(17)

生い立ち青木敏朗(犯行時17)は静岡県で生まれ実父と死別し家出や盗みを繰り返し関東学院を二年で中退、仕事は何をやっても長続きせずに16歳の時に逃亡、強盗の罪で服役していた軍刑務所を釈放され鹿児島に流れ着いた。 【南日本新聞昭和23年2月21日】【恩赦と死刑囚】 雑貨商一家強盗殺傷事件の内容昭和22年12月10日頃に静岡の雇い主から盗みをして出発し鹿児島に流れ着いた。同16日に天文館付近で生け花用の手斧を買い、18日に鹿児島市西千石町の雑貨商宅に侵入し一家三人を襲撃し主人と長

⑧ つげ口された逆恨み 山本明秋(18)

生い立ち「知能普通。性格は怠惰にして陰険。持続性なし」 山本明秋(犯行時18)は高等小学校を卒業後に自ら志願して水戸航空隊に少年航空兵として入隊し復員するまで軍務していたが、昭和21年6月に復員した後は実家(和歌山県日高郡船着村)に戻り、筏乗りの手伝いや大工見習いなどをしていたが、正業にはついておらずぷらぷらとしていた。 【刑事裁判資料56号】略称は刑資 犯行動機と事件内容そんな山本を見た近所の主婦I(41)が「遊び暮らして金遣いが荒い」と山本の母に言った事で明秋は叱られ

⑨ 粗暴な大男 遠藤進(19)

事件発生まで遠藤進(犯行時19)は異父兄を含めると7人姉弟で貧しく、東京の原宿二丁目でバラックで生活していた。 遠藤自身は船員や米の闇売買などをしていたが、夫婦仲が悪い父が仙台で大工をしていると聞き、昭和22年5月下旬に仙台へ出向いた。 しかし、父とは会うことが出来ずに、仙台駅で寝泊まりをしていた所に共犯者となる藤倉二郎(20)と出会い、藤倉から「一軒家で相当金を溜め込んだ老夫婦がいる」と聞き、金に困っていた遠藤から「そこへ行って金を脅し取ろう」と持ちかけ藤倉がこれを了承した

⑩ 情交を装い女性を殺害 斎藤守(19)

生い立ちと犯行動機斎藤守(犯行時19)は農家に生まれ兄と妹二人がいる。家庭は中流以上。中学校卒業後は地元熊本で建築会社の現場監督を1年7ヶ月勤め、辞めたあとは野菜の仲介業などをしていた。満州から伯父が引揚げ仕送りをしていた金を母親に返済するように催促してたことがブローカー業を始めた理由だが商売がうまくいかずに借金が増え、期日までに八千円を返済しなければならなくなった。 そこで砂糖を買付けて売れば利益になると考え知人の女性(31)を誘ったが、そもそも斎藤は買付けの資金を調達出来

⑪ 典型的な虞犯少年 守護和雄(19)

犯行内容と逮捕日守護和雄(犯行時19)は小学五年生の時に両親が離婚し、家の金を盗んだり家出を何度もしたりして少年教護院(今の児童自立支援施設にあたる)に入院し、退院後は馬車引きや炭鉱夫などをしたが、長続きせずに北海道の各地を転々としていた。 昭和23年3月6日に小樽駅の待合室で共犯者となる佐藤茂(成人)と出会った。 守護から「以前、服を買ったことのある空知郡滝川町の一人暮らしの老女が、お金を貯めこんでいるから強取しよう」と持ちかけ、佐藤がこれを了承し翌7日早朝に犯行を決行した

⑫ 淋病の治療費目当て 山田秀則(19)

小さな農村での事件熊本県八代郡滝峰村で暮らす山田秀則(犯行時19)には父親はいない。11才で死別し実家の零細農家では母親が姉弟四人を育て切り盛りしていた。 秀則自身も農業の手伝いをしていたが、次第に熊本市内に通うようになり映画や女遊びに興じるようになり淋病を患ってしまう。 もともと盗癖があり、親戚からは煙たがられていた事もあり、肺の病気の治療費と嘘をいい金策していたが、うまくいかずに、近隣の老夫婦がアメリカ帰りで相当な現金を持っていると知り、この老夫婦から金を奪おうと計画した

⑬ 旭川三人強殺 山田作一(18)

戦後の少年事件に有りがちな生い立ち山田作一(犯行時18)は8歳の時に母、15歳で父を亡くし孤独の中で仕事も長続きせず、少年院に入り退院後に窃盗罪で懲役10月執行猶予3年の有罪判決を受けている。 その後は伯母の家に引き取られたが、居心地が悪かったのか?飛び出し、北海道を放浪するようになった。 ここまでは気の毒な生い立ちで同情出来る部分はあるが、山田作一は根っからの悪だったのか金のための悪事が強盗殺人にまで大きくなってしまった。 【刑資56号上】 悪質な犯行計画所持金が尽きた山

⑭ 広島両親尊属殺人 宗岡省吾(19)

厳しい家庭で育ち『父は元軍人で短気、母は厳しい倹約家』 宗岡省吾(犯行時19)の両親は厳しい。特に金銭面では相当激しく叱責され、一人息子だった省吾の疑心の強さを形成させるほどの厳しさだった。 広島に住んでいた省吾は昭和21年4月からとなり村の東志和村の小学校で助教員として働いていたが、まもなく同僚の女性と情交関係を結ぶ相愛な仲になり、この女性は妊娠する この事を両親に相談しても結婚を認めてもらえないと思い中絶を決意するが、その費用を知人へ金策していたことや、家からこそこそと金

⑮ 冤罪?兄を庇った 古川高志(19)

少年の確定死刑事件を調べると、冤罪事件が一件。冤罪の可能性がある事件が少なくとも二件ある事が確認出来る。 古川兄弟が起こした強盗殺人事件はそのうちの一つ。 この事件は毎日新聞の「殺人犯人は兄なのだ!」という見出しで冤罪により死刑が執行されたという内容の記事に対し、最高裁判所が「時折新聞と雑誌等に実例として報道され一般人や学者も信じる傾向にある」「事後においてなによりも正しく事実を語るのは裁判記録」「正確な記録を残すことが司法制度の新しい発展のため」 として一つの事件だけを70

⑯ 妻に逃げられ自暴自棄 大谷欣完(19)

一家4人を惨殺した事件事件は福島県石城郡高久村、昭和24年6月3日の深夜。大谷欣完(19)は叔母の家に忍び込み夫婦と子供二人(二人とも男の子)を短刀でメッタ刺しにして一家四人を殺害した。金品を奪う目的だったとされているが、本人は否定している(実際に何も奪えていない) 【最高裁判所裁判集刑事49】略称は集刑 子供まで躊躇なく殺害し、血を洗い流し一度現場を離れてから再び死んでいるのを確認するために戻ってきている。 大谷には年上の妻がいて妊娠10ヶ月の身重だったが、関係がうまくいか

⑰ 小田原一家五人殺害 杉山優(18)

小田原一家5人殺害事件昭和24年9月14日深夜1時過ぎ、神奈川県小田原市の銭湯経営者一家(田浦湯)が襲撃され5人が死亡し、残る一人も重傷を負った事件の加害者は杉山優。18歳の少年だった。 夫婦とその母を鉈で殴打し殺害、子供たちは電気コードで締め付けた上で包丁で刺殺するという残忍な事件だった。同日深夜3時半頃に叔父を起こして相談し朝7時頃に自首を決意し叔父に付き添われて朝9時頃に足柄署に自首した。 杉山の両親は二人とも他界しており(母親は事件の1年前)弟と二人で叔父の元で暮らし

⑱ 殺すなら子供のうち 安斎金蔵(18)

「未成年は罪が軽い」事件は昭和25年4月26日。宮城県仙台市の駅前の魚屋を二人組が襲撃し主人と雇われ人に大ケガを負わせ、妻を殺害し1万円を奪った強盗殺人事件。 主犯の安斎金蔵(18)と少年A(15)は少年院で出会い安斎が「未成年は大した罪にならない。金儲けに人を殺すなら子供のうちだ」とAを誘い凶行に及んだもの。現在も少年法が議論される中で70年前にすでにこのような思考を持って犯罪を繰り返す者がいた事は見逃せない。 【昭和25年4月30日読売宮城版】 酒と女で浪費しながら逃走

⑲ 生野の小平事件 神戸政男(19)

女性ばかりを狙う連続強盗強姦犯昭和23年3月29日に大阪生野区南生野町で私立探偵の妻(35)が自宅近くで衣類を剥ぎ取られて乱暴されて殺害された事件で、同年4月7日に古物商へ女性物の着物を売りに来た朝鮮国籍の神戸政男(19)が検挙され犯行を自供した。 ダンスホールで遊んだ帰り道にホロ酔いの被害者を見つけて狙ったもの。 この神戸は昭和22年11月30日にも浪速区栄町で娘婿の家の法事に行った女性(52)を乱暴し、発覚を恐れて首を絞めて殺害し衣類などを奪っていた(12月3日に遺体発見

⑳ 身代わりになった少年 坂本登(19)

坂本登の生い立ち「お母さんはこれ以上生きれそうにない。お兄ちゃん、お前以外に家には頼る人はいないんだよ。分かるね。弟と妹をなんとか育ててくれるって約束してくれるかい。」 終戦まもなくの満州、坂本が14歳の時に母はこう言い残し亡くなった。父もソ連軍に呼び出されシベリアで行方不明になった。 14歳の少年にはあまりにも重くのしかかった現実。 坂本は妹の世話を一所懸命したが、妹も栄養失調で亡くしてしまう。【天国への凱旋門】 連続殺人鬼古谷惣吉と出会い坂本登(19)は奉天から福岡市に