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道後温泉物語 5話 婚礼と渚

 県民文化会館のウェイトレスの仕事に慣れてきた頃だった。サニーカンパニー事務所に出勤すると、カナさんが声を掛けてきた。
「あっこ、あんた土曜暇なんやろ?婚礼のコンパニオン入ってくれんかね?人数足りとらんのよ」
 道後の町には、有名な道後温泉本館を取り巻くように、要塞のようなホテルがいくつか、山の斜面に壁を成して建っていた。その中の一つ、「椿館」に行ってこいと言うのだ。
 タケウチさんがよく派遣されとる「小湧」というホテルの話は小耳に挟んだことがあるのだが、「椿館」は初めてで、どのような雰囲気がわからなかった。仲居さんやお姉さんたちが怖かったらどうしよう…っていうか着物着て婚礼って時点で、かなりマナーに厳しいはずだし、自分がそんなところで役に立てるとはとても思えない…。引け腰ではあったが、なんの立場もない浪人生。勉強してない時間は少しでも稼がねば…と二つ返事で引き受けたのだった。
 
 当日は、夏目漱石「坊っちゃん」に出てくる【まどんな】の衣装で行くとのことだった。事務所では木偶の坊になって突っ立ってる私に、姐さんたちが慣れた手つきで赤と白の矢絣の袴を着せてくれた。15名の【まどんな】が薔薇色の口紅を引き、編み上げのブーツを履き道後の坂を練り歩く様は壮観だった。かつての女学校の生徒のようにも見えただろうか。

 件の椿館に派遣されるメンバーの中には、【あっこ的クソ人間オブザイヤー2001 】の1人、渚がいた。渚は20歳の大学生で、キリッとした顔立ちの小柄な美人だった。目の周りをガッツリと隈取りし、前髪はCAのように斜めに流してかためていた。バイトの中では古参らしく、高砂(新郎新婦)の席を任されたり、お客様お出迎えのコンパニオン隊列(?)では中央に立っていた。
仕事ができるのは素晴らしいのだが、とにかく意地が悪かった。
 「なにボサボサしよん?」
「そこにあんたがおったら邪魔なんよ?」
「…………(無言でケツでぶつかられる)」
「ハァ~、今日の新人は使えんわい(←他のバイトに向かって私のことを言ってる)」

 確かに使えんのだが私は。
 意地悪に屈することがない岩のような性格だった。対する渚は、1日目の新人をいびり倒して必ず泣かせるのが信条だったようだ。婚礼のわずかな合間を縫って、いびってきた。飲み物オーダーのお決まりのセリフを言っている途中で被せてきたり、烏龍茶を注ぐのが下手だと取り上げたり、裏に呼んで内容の無い説教をかましてきたり、私だけに告げずに打ち合わせの場所を変更したり…(さすがに焦ってうろついていたら、タケウチさんが裏方でたまたま派遣されていて、場所を教えてくれた。持つべきものは良き同僚)。
 そのこまめさは逆に見上げたものだと思った。
最後には、涙の一つも見せずに憮然として片付けをする私に、渚は「なんでおるん?」
お開きになった後は私の大得意な片付けなのでジャンジャン片付けようとしたら「着物が汚れるけん、コンパニオンはそんなことまでしよらんよ!!も〜アホ!!!」等と悔しそうに言っていた。 
 しかし私は伊達に貧困家庭の浪人生ではない。金を貰うためにここにいるので、何を言われようとカナさんに銭を貰うまでは、帰るわけがないのだ。
 みんなでぞろぞろと道後の事務所に帰り、きれいなおべべを脱いで畳んでいると、カナさんが、社長椅子に座りながらくるっと回り、笑っていった。「あっこよぉ婚礼初回なんに、勤めてきたなぁ。いじめられんかった?アッハッハ。」ちらと横を見るとツンとした渚姐さん。「渚なんか、初めての時は先輩にいじめられてな、涙を流して『もうやめます。できません』言うとったやんか?」顔が真っ赤になって、バツの悪そうな渚。
 「カナさん、婚礼のコンパニオン、袴も着させてもらって楽しかったです。接客の勉強になりました。でも私はケンブン(県民文化会館)でウエイトレスや裏方やってるほうが性にあってますから!」と大声で宣言した。以来椿館には行っていない。

 次の正月の帰省で二十年ぶりに件の椿館に立ち寄ったとして、もしあの頃と同じように袴姿のまどんな達がいたら、今はもうどの娘もひたすらに可愛いだけで、怖くはないだろうな。新しい“渚”役がいたら、新人イビリから守ってあげようかなと思う。

 

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