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道後温泉物語 3話 ツーフィンガー

リーダーの声が響く「いらっしゃいませ!」
続いて他の者が声を揃えて言う「いらっしゃいませ!!!」
料飲部のスタッフが勢揃いで、広間に等間隔に立ち、お客様を出迎える。お辞儀の角度は90度。頭を下げている時間はたっぷり10秒。この仰々しいお出迎えを見たお客様に自分は王様か、姫様か、と感じてもらえればパーティーの間の気分は上々…。
我々給仕人は待機するときは右手を左手で軽くにぎる。これは、「利き手を抑えることで、私はあなたに逆らいませんよ」という主従関係をはっきりさせる仕草なんよ、と後にカナさんに教えてもらった。

真珠の間での宴会は200名、ここにしては小規模の立食パーティーだった。自分以外はベテランスタッフで、トラブルも起きず、進行していった。
宴会が始まる直前、バイトリーダーのタケウチさんが指示をくれた。
「新人さんは、とにかく空いたグラスをトレンチに載せて引いてきて頂戴」
「トレンチってなんですか」
「あんたが手に持ってるそれのことよ」
さっき渡された丸いお盆を指してタケウチさんは言った。
グラスを10個も12個も載せると重心が定まらず、お客を避けながらよろよろ運ぶのが精一杯だった。
必死の形相で空いたグラスを回収して回っていたら、へべれけの社長さん(かどうか知らんけどそんな風体)から呼び止められた。
「姉ちゃん、水割り!ツーフィンガーで持ってきて」
???
ツーフィンガー?フィンガーって指のこと?
よくわからないが、かしこまりました。少々お待ちください、と言い残して 裏にすっ飛んでいった。

「お客様をおもてなしする側の人間は、NOという言葉は使われんよ。できないことでもできないと、わからないことでもわからないと一言目に言っては駄目やけん。必ずかしこまりました少々お待ちくださいませ、と頭を下げて一旦下がってこんといかんよ」事務所でのカナさんの教えが耳に残っていた。

裏に下がると、気怠目の安室奈美恵ことミクさんが居たので
「ミクさん、お客様にツーフィンガー持って来いと言われました」と言うと
「あっそ、作ったらな」と素っ気ない。
「どうやって作るんですか?(てゆうかなんのことですか?)」
「あらン、あっこちゃん、そーんなことも知らんで働いとるん。しゃーないお姐さんが教えたげるわァ」と、急にホステスバージョンになったミクさん。(ミクさんはケンブンのウェイトレスだけでなく、ここの事務所が持ってるラウンジとやらでもホステスとして働いているようだった)
「まずハッタンのグラスを用意します♥」
「はったんてなんですか?」
「ハッタンたらハッタンよ。このグラスのことよ」
「???(よくわからないけど)わかりました!」
ミクさんは慣れた手付きでアイスペールからグラスに氷を入れた。「ここでクルクルかき廻すとグラスが曇るやろ。よく冷えて美味しくなるんよ…これがワンフィンガー、これがツーフィンガー」と指をグラスに当てながら、指2本分の高さまでトクトクとウィスキーを注いでいく。銀の水差しから水を注ぎ、再びかき混ぜ、最後にミクさんは、やけにていねいにマドラーを抜いた。これはあれかな。ワインのティスティングの時にグラスをガチャガチャ振り回さず、まあるく丁寧にまわすと美味しく感じるみたいなあれかな。
「はい、できた。紙ナプキン巻いてお渡しして」
ありがとうございます!!とお礼を言い、すぐさま宴会場に戻り、さきほどの社長に
「水割りお持ちしました」とコースターを敷き、ナプキンを巻いてお出しした。
様子をうかがっていると社長は「あぁ、ありがとう」と当たり前に口をつけて飲み始めたため
(よっしゃ!これで合ってたってことだ。ミッションクリアー!次回は一人で作れるかな)と、胸を撫で下ろした。

 午後20時半、宴も酣ですがの挨拶があり、立食パーティーはお開きとなった。
ケンブン兄さんズが狛犬のように観音開きのドアの左右に立ち、にこやかに挨拶をしながらお客をクロークへお手洗いへ出口へと誘導する。姐さんたちはありがとうございましたと深々とお辞儀をしつつ横目で会場の忘れ物をチェックしていた。最後の一人のお客がよたよた出ていったその瞬間。
バターーーーーーン
重いドアが閉められた。と同時に、
バーカウンターは真っ二つに解体された。モーセの十戒並みに潔かった(皆早く片付けて帰りたいからね)。バンジュウ満載積載のメタルラックと、空のビールケースが積まれた台車が、グヮラグワラと真珠の間に引いてこられた。きらびやかな立食パーティー会場が一瞬で残飯処理戦車に占領された広場になった。
中国語をしゃべる二十歳くらいの元気なバイトたち…よその事務所から派遣されてる子達…が、数名片付け部隊として投入された。
彼らは宴会料理が盛られた白い皿をおもむろに両手に取り、カトラリーも使わずに残飯を根こそぎ青いバケツにぶっこみ始めた。そりゃもうバンバンと、カチャカチャと、雪崩のように生ゴミ廃棄。空になった皿は20枚ごとに番重に放り込まれ、カトラリーも種類ごとに別けて回収されていく。
新人(あっこ)が下げきれなかったグラスをまとめて4個鷲掴みにして、手が汚れるのもいとわず 銀のザルの上から汚水缶にジャージャー流す。あまりの手際のよさに見惚れていると、あっこ、ぽーっとしてないであんたもやるのよ!とミクさんに番重でどつかれ、慌てて見よう見真似で残飯をバケツに放り込み始めた。

怒涛の片付けをしながら、何ヶ月ぶりかで、自分がとても爽快な気分になっているのを発見した。今まで受験生で、机やイーゼルに向かいガリガリ勉強し絵を描いて、一年を過ごしてきた。浪人してふと気が向いて道後温泉で働き始めた今、身体を使って働くことの気持ちよさを思い出し、サービス業という仕事の世界の扉を開いて覗き見し、愉しい気持ちになっていた。
優美な音楽が流れる宴会場というエセ王宮で、エセ給仕人になりきり、ハイヒールをかつかつ鳴らして銀器を運ぶ。貴族(お客様)のご注文にはキビキビとお応えして、フォーク一つ落とせば新しいのをうやうやしくトーションに載せて渡して差し上げる。お客が引けば部屋の模様替えで一斉にどんでん返し。なんだろう、なにか、皆で一つの演劇をやっているかのような楽しさがこの仕事にはあった。
帰りの挨拶をしにガマガエルのとこに寄ると、「お疲れ、15分多めに付けとくわ」と、タイムカードを多めに押してくれた。「そこの冷蔵庫のやつどれでも持っていき」と顎でさししめす先には、色とりどりのフルーツジュースの缶と、幕の内弁当が大量に入っていた。


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