道後温泉物語 4話 阿婆擦れ
道後温泉の裏には花街がある。温泉本館の側道をゆるゆる登っていくと、左手に上人坂なる路が現れる。さらに登ると、一遍上人の宝厳寺に辿り着く。上人坂は昭和の時代にはネオン坂と呼ばれバーやパブが軒を連ねていた。私もここの【バー姉妹】といううらぶれた看板と、宝厳寺の大銀杏のおかしな取り合わせを、上人坂下から見上げたスケッチとして描いた覚えがある。
それくらい、かつての道後は、俗世間と聖なるものが分け隔てなく共存し、そのカオスぶりが旅人の目を惹き付けたものだった。
さらに遡り明治時代には、松ヶ枝遊郭という立派な遊郭街だったという。漱石はこれを「山門の中に花街がある、前代未聞の現象だ」と坊っちゃんの中にも記している。
そんなカオスな道後の町にあるサニーカンパニーのパーティコンパニオン事務所には、街の性格とよく似た、アバズレた感じと品の良さ、そして阿呆さと知的さが同居するちぐはぐな女の子が多く集まっていた。
その筆頭が事務所の女の子の纏め役、カナさん。レディースの総長だったか、番長の女だったか忘れたが、その呼び声に相応しく、冷静沈着。道理が通らないことは大嫌い。キレたら怖い。キレなくても凄味がすごい(日本語おかしい)金髪美女だった。
ただやはりコンパニオンの頂点にまで登り詰めたひと。サテンのドレスに身を包み、夜会巻にした彼女が宴会場に足を踏み入れると、天女が間違えて道後温泉に降臨しちゃったのかな?と思わせるほど儚げで美しく、微笑めば薔薇のように愛らしく、口を開けばお客を虜にする相槌の巧さだった。
そんなカナさんだったが、めちゃくちゃ普通で優しいとこもあって、
「あっこ、おじいちゃんに幕の内弁当もって帰っておやり」
「あっこ、おじいちゃん心配するから早う帰り」
「あっこ、おじいちゃんの家まで車で送ってってやろわい」
と、なぜかうちの年寄りをとても大切にしてくれたのだった。確かに爺さんはこのバイトが水商売なんじゃないのか?と心配していたし、初出勤の帰宅が遅くなったときは、事務所にクレームの電話を掛けてきたりした。だからカナさんはすぐに爺さんを安心させるように動いてくれた。その人、その人の要の部分を見抜いて行動できる、すごい感性の持ち主だったのかも、と今は思う。
次に思い浮かぶのは、ラウンジガールのミクさんだ。安室奈美恵を気怠くしてムダに色気を増したような外見(カナさんがよく言ってた)で、23歳で3人子供がいて、末っ子はまだ3ヶ月だった。シングルマザーっぽさを醸し出してくるので、それとなく聞いてみると「旦那は塀の中」と言う。この小麦色の肌で、豹柄のチューブトップがやたらと似合う姐さん。知り合ってすぐは、ダサい私に対しては素っ気なかったのだが、毎日顔を合わせるうちに互いに仲間意識が芽生え、1番の仲良しになった。
勉強の話や時事ネタもよく振ってきて、干支の話や今年の芥川賞が誰か、好きな小説は何か、とかいう話をよくしていた。ある日のコンパニオンの帰り、皆で着替えてる時に、大真面目な顔でミクさんが言った。
「あのな、怒らんといてや。あっこちゃんて、ちゃんと女の子の顔しとるんよ。そうなんやけど、筒井康隆の妹って言われたら、ねえ。皆、納得してしまうことない?!」そこにいたコンパニオンの女の子たちが全員爆笑した。女の子たちは、文学が盛んな地方都市松山で生まれ育ち、保育園児の頃より短歌や俳句の洒脱さを競わされ、長じてラウンジガールとなってからも季節の挨拶や世間話のハウツーを叩き込まれ、時には元華族の集まりや、県知事や企業の社長など立場のある人のコンパニオンを務めるため、思ったよりもっとずっと文学的な教養があった。
私はというと、キョトーン。読書は好きだったが、筒井康隆の顔など知らなかった。
しかも後から検索して、え…確かに似てるけどふざけんなよ٩(๑`^´๑)۶となったのだった。
マジフザケんな。でもそういう所が好きだった。
※また続きを書きます