父が死んだ日 2話
その日は油絵のモデルだった。ポーズは20分、タイマーが鳴れば5分休憩。それを1セットとして、合計 6セット。最初のポーズを終えて休憩に入ったところだった。傍らに置いたバックの中から携帯のバイブが響いていた。見ると兄からの着信。普段電話をしてくることなど無かった。これは只事ではないと電話を取る「どうした?」「今病院に行ったら看護師さんがバタバタしてて処置中だから、と病室に入れなくて。廊下で待ってるとこ。なんか急変したらしい。今、意識なくて昏睡してるって」
「え…」
昏睡ってあの、昏睡?
え、
さっきまでしゃべってたじゃん。
普通に昼ご飯文句言いながら食べてたし。
え?昏睡で意識ないって?
この後で回復する可能性もあるんだよね?
ぐるぐる考えながら、
電話を切り、
すぐそばにいた油絵の先生に
事情を話す。
するとその、40前くらいの男の先生は
両手を大きく振り上げて、はーい皆さんと呼びかけ「1ポーズめではありますが、ここで中止します。モデルさんのお父さんが危篤状態とのことです。」と言ってこちらに向き直り、病院どこなの。すぐ行ってあげなさい。と静かに言われた。
周りの日曜画家のおじさまたちも、木炭を握ったまま腕を組んで、ウンウンと頷いていた。
四方八方にお辞儀をしながら、コスチュームのままあわててアトリエを出た。山手線の駅の階段を走りながら、
「さっき、先生、危篤って言ってたよな。昏睡ってつまり危篤なのか」と、変な所にひっかかっていた。しかし、頭が回っていなかったため、そのままポーズを続行しようとしていた私。先生が【あなたの父親は現在危篤なんですよ、さあ行きなさい】と事実をわかりやすく言い直してくれたことで、やっと無理矢理ではあるが、脳が了解したのだった。
ホームで待つ間、弟に
父 昏睡状態 ハヤクコイ と電報みたいなメールを打つ。
まだ電車が来ないので、母には電話した。「落ち着いて聞いてください」「はい」「お父さんが、入院してます。もう危ないので、来てください。」「それは、今日明日の命、ということ?」というので「はい。そうです。」と答えると、
「わかった」とだけ言って、電話を切った。
母は父と離婚しているので、家族の中ではひとりだけ、父が末期がんであったことを知らなかった。
三軒茶屋駅に着いた。つい2時間前にも見舞いに来た病院に走り込んだ。4階まで上がると、兄がギターやらなんやら大荷物を携えて廊下に佇んでいた。
「お父さんは?」と聞くと、まだ中に入れてない。と。しばらく待っていると、扉が開き
「ご親族ですか?どうぞお入りください」と招き入れられた。
酸素マスクと心電図が取り付けられ父が横たわっていた。地響きのような低い呼吸音。それを聞いて、もうすぐ死ぬんだなとなんとなく分かった。
看護師さんが説明してくれるには、昼食後、嘔吐して倒れ、意識消失。おそらく脳内出血でしょう。
呼吸を司る所が正常に機能しなくなってしまい、こういった状況になっている。とのことだった。
なるほど…と妙に冷静になり、兄と二人、無言でベッドの横で座っていた。そこへ弟が現れた。こうこうこういうわけで…と説明。そして母が、続いて叔父叔母たちが現れた。母が呼んだらしい。(親族のどこまで声掛けるとか、そこまで気付かなかったのでさすが主婦と思った)
叔母たちの顔を見て「お久しぶりです」と挨拶をした。ほんとうに久しぶりだった。お互い東京に住んでいるのに十年ぶり。
誰かが登場するたびに私か兄が経緯を説明して、親族がずらずらと椅子に座っていったが、人が多すぎて他の患者の邪魔になってしまうため、母が皆を談話室へ誘導して、叔父叔母たちはそこでコーヒーを飲みつつ話をしていたようだった。
ベッドサイドには、兄27歳、わたし25歳、弟23歳の3名が所在なく座っていた。
弟に、お腹空いてるでしょ?セブンでおにぎりでも買ってきたら。と千円渡すとそそくさと出ていった。私も弟も社会人なりたての初夏で、そんなにお金が無かった。兄はプロのギタリストを目指して、サラリーマンをやめたばかりで、もっとお金が無かったと思う。その夜がギタリスト活動第一弾のライブとのことだった。すげータイミングだな。
もう開演やん…でも兄、そこに座ってるし。どーすんの?って思いつつ、大きなイビキを立てる父を眺め、ボーっとしていた。