山小屋物語 2話 面接~登山
面接では、てきぱきとした女学生2人が面接官をしていて、
「ストレス解消法」
「うるさくても眠れるか」
「食べ物の好き嫌い」
について訊かれた。
ストレスの解消法は、寝る・・・ですね。と言うとなぜか喜ばれた。寝るかしゃべるか以外のストレス解消法は山にはないから、ということだった。
眠るときは、比較的どんな環境でも眠れると思います。と答えた。
食べ物の好き嫌いはありません。と答えたけれど、実は嫌いなものばかりだった。
しどろもどろ無難な答えをして、10分間の面接が終わった。他に協調性があって明るくて仕事ができる、なんて人はたくさんいるように見えたし、
平凡な私は落ちるだろうと決めてかかっていた。
数日後、風呂から上がって、部屋にいると、メールの受信音が鳴った。
「件名:山小屋バイトの面接結果」
「厳正なる審査の結果、あっこさんとぜひこの夏山小屋で一緒に働きたく、連絡差し上げました。宜しくお願いいたします。つきましては、持ち物は~、連絡先は~、山小屋へ電話で挨拶をしてください、うんぬんかんぬん」
おっまじで?受かっちゃった。
聞けば女性バイト希望者20名のうち2名が採用となったらしい。もう一人の新人バイト・法子の連絡先も教えてもらったが、
結局初めて顔を合わせたのは、
七月二十日、富士登山のその朝であった。
眠い目を擦りながら、朝8時、JR新宿駅の改札。巨大なリュックを背負って、法子を待った。
どんぐりのような目をした短髪の美少女が近付いてきてこう言った「あっこちゃんですか?」
「そうです。法子ちゃん?よろしく」
もう一人、明奈さんという、面接官をしていた先輩アルバイトが合流した。
法子と私は初めてのバイトが不安で眠れず、妙にテンションの高い状態だった。すぐに意気投合し、行きの高速バスではおしゃべりに夢中になっていた。「若い子は元気ね😊私は昨夜飲み会があったから眠たくって・・・バスでは寝るよ〰️」と、明奈さんは落ち着き払った様子で睡眠を取っていた。
富士山五合目にはあっというまに到着した。
ハイシーズン前の平日で、小雨が降っていたこともあり、五合目の駐車場は人影がまばらだった。
土産屋の2階でラーメンを食べ、そのまま少し休憩した。トイレに行くとチップ制になっていて、たかが用を足すのに100円も払うのかと心の中で思った。
身体が少し高所に慣れてきた昼前、五合目を出発した。
六合目までは森林の中をゆっくり歩く。馬がお客を乗せた馬車を引いていて、その様子が物珍しく、じろじろ眺めながら歩いた。
安全指導センターを過ぎたところからジグザグ道になり、そして岩場が七合目から始まった。
富士山は登山道が整備されているから初心者向け、なんていう人もあるが、天候が悪いとわりと命懸けである。
明奈さんから、とある男性バイトが、今日みたいに霧で視界が悪い日に一人で下山していて、あと一歩で崖から落ちるところだった、という話を聞いて、ぞっとした。
さらに雨足が強くなった花小屋の前のベンチで、リュックからカッパを引っ張り出し、装備した。
標高が高くなるにつれ息苦しくなり、心拍数が上がっていく。平常心を保とうとゆっくり歩みを進めた。明奈さんはさすが4年目のベテランで、新人二人がはしゃいでペースを上げすぎないように、要所要所で「富士山の恐い話」「登山のあんちょこ」を挟んでクールダウンさせつつ、タイムキーパーをしてくれた。
岩場の鎖を握りしめ、登り続ける。やがて会話も途絶え、まだ着かないのか、と本気でバテて来た頃、
三日月形にカーブする登山道の先に、
少し大きな山小屋が見え始めた。
「あれがKの舘だよ」
明奈さんが教えてくれた。
安堵し、最後の石段数十段を踏みしめて昇った。
昇りきると小屋の前は幅三メートルほどのバルコニーのようになっていた。そこには年配の番頭さんと、若いアルバイトの学生が数人いて、威勢の良い声を張上げながら、ツアー客の誘導をしていた。皆、そろいの藍色のはっぴを着ていた。
「場違いなところに来ちゃった」
私は思った。
カラカラと引き戸を開けて小屋の中へ入り、その思いはいっそう強くなった。だだっ広い広間。今っぽい茶髪の女の子が、くのいちのような身のこなしで囲炉裏のやかんから水を汲んでいるのを見て、平成の世に囲炉裏がまだ現役なの?!?!とくらくらした。
親父さんと奥さんに挨拶に上がる。明奈さんが巨大な菓子折りをザックから取りだし、「三人からです」と、奥さんに手渡した。手土産という常識すら持っていなかった小娘の私は、目を白黒させながら先輩に感謝した。
親父さんはいかにもという感じの山男で、ロシアの毛皮の帽子を被っていた。威厳があり、少し怖かった。
奥さんは品があり静かなひとだった。が、気安く話し掛けられるような雰囲気は無く、私は縮み上がっていた。
「あっこと言います。これからお世話になります、宜しくお願いします」と言うので精一杯だった。
「おう、がんばれよ」親父さんはそれだけ言うと他の従業員のところへいってしまった。奥さんは「よろしくお願いしますね」と少し微笑み、ひと呼吸つくと、帳簿に目を落としそろばんを弾き始めた。
その後、お茶を飲んだら、新人二人は女子の部屋へ下がり、体を拭いて着替え、もう寝なさいと言われた。当然風呂はなかった。
履いてきたスニーカーをビニール袋に入れろと言われ、先輩に渡したら、からくり屋敷のように階段下の壁を外し、その奥に放り込まれた。
単なる山小屋の収納なのだが、そのときの私は
「履いてきた靴を取られた。今後どんなに辛いことがあってももう山小屋からは勝手に帰れないんだ」と、少し恐怖を感じたのだった。
女子部屋では、大きな二段ベッドの下の段をあてがわれた。シングルの幅の布団に法子と私で潜り込み、赤い掛け布団をかぶった。疲れているからすぐに意識は遠のくのだが、なぜだか一時間半ごとに目が覚める。お腹も張るし、頭が割れるように痛かった。標高が高いとそうなるというのは、当時はよく知らなかった。