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Going back to Mt.Fuji 2002

19〜24歳、夏は富士山にいた。

標高3100㍍にある山小屋の厨房で働いていた。

巨大なリュックを担ぎ、4時間かけて登った初日。霧雨を全身に浴びて、ビショビショだった。

緊張して挨拶した山小屋の親父さん(社長)はキツネの尻尾のついたロシア帽子をかぶって、いかにも山男といった風情。手を付いて「よろしくお願いします」と言うと、ぶっきらぼうに「おう」と言ったきり他の従業員の所へ行ってしまった。

「あっこさん、あなた沢庵もまともに切れないわけ?」
厳しい先輩達にしごかれる日々が始まった。
朝勤の日は4時起きでひとり真っ暗な厨房に立ち、30人分の朝ご飯を作った。

山は夏でも長袖、夜は凍るような寒さ。
電気は通っていないので、ヤンマーで自家発電したのを大切に使った。暖房はないので、囲炉裏で暖めた豆炭を抱いて温まった。水道もなく天水だより。タンクに貯めた雨を囲炉裏で煮沸して生活に使っていた。風呂はもちろん無い。

この厳しい山小屋の生活の随所に、
親父さんと奥さんの「我が家と登山客を思う視点」が散りばめられていた。

ビタミン不足にならないように、生野菜をブルドーザーで上げ、
けんちん汁、焼き魚、ほうとう、茄子味噌炒めカレーにポテサラ、ミルクティーにケーキ、スイカ、馬刺し、物資もエネルギーも満足には無い高山で、工夫された様々なレシピや食材の保存方法を奥さんに教えてもらった。
あかぎれだらけの女の子の手を見て、親父さんが温水器を付けようかと言ってくれたり、
若者はたまには揚物が食べたいだろうと先輩が100枚のカツを背負って登って来てくれたこともあった。
フラフラの子がいれば下界の親父さんの家に送り返し、元気になるまでたっぷり食べて寝て療養させてくれた。
8合目に救護所を設置し、ボランティアのお医者さんと看護師さん達に駐在してもらい、たくさんの登山客の診察をし、救命処置を施した。
環境に配慮したバイオマストイレを作り、
生理用品の無料配布をいち早く始めたり、
厨房の女の子が顔のチェックができるように小さな鏡を柱に貼り付けたり…

従業員思いで、先見の明が有る社長夫妻だったのだ。

そして山小屋で、普通のバイトでは考えられない額の給与を頂き、私は日本画で大学院まで修了することができた。(日本画の画材は非常に高額なのだ)


山小屋勤務の最後の日、誰もいない厨房で朝勤をしていると親父さんが私の名を呼んだ。
初めてここへ登ってきた時は19歳で、
そこから6回の夏を富士山8合目で過ごした。

おいあっこ、おまえは来年から社会人だろ。
どうやって働いていくんだ。
そうか、教師か。
それはこの山小屋での経験が役に立つのか?と聞いてくれた。
はい。役に立ちます。と私は答えた。
(そんなの…役に立つに決まってるじゃないですか!)態度には出さなかったけれど、そう心のなかで叫んでいた。
数年間、山小屋で預かっていた娘を
社会へと送り出す際の、
謙虚な社長の姿勢を見て、これがほんとうの姿なんだ、と思った。

朝の厨房。天窓からの光が差し込み、私達の影が木張りの床に長く伸びていた。

それが親父さんと会話らしい会話をした最後だった。

それから15年
親父さんが逝去されたとの報せを受け、富士吉田へ向かった。

富士山は雲に覆われていて、あるべき姿が見当たらない。裾野だけ見えた。
線香を上げて、奥さんと息子さんに一礼し、
なにか感謝を伝えたかったが、すぐには言葉が出てこなかった。後から後から弔問客が入ってくる。
厨房の同期の女の子たちと少しだけ思い出話をして、
そっと玄関から出た。

梅さんが駅まで送ってくれて、
チケット売り場で、元バイトそれぞれと「おまえ家まで何時間くらいかかるん?」とか話していた。「あっこは遠いんだっけ?」と聞かれ、
「私、車飛ばせば1時間で着くんだよ」と言いながら、そんなに近いのに、なんで一度も来なかったんだろうと思っていた。

改札に着いたら、タイミング悪く電車を逃した。
2時間ほど、駅ビルの屋上から富士山をながめていた。
見事に雲に隠れていた。
じっとりと残暑。だけどどこか秋の気配を感じる空気。こころは凪いでいた。故郷に帰ってきたような、懐かしさ。曇り空をながめながら佇んだ。

その夜こんな夢を見た。

19歳の私は山小屋でのひと夏の勤務を
終え、下界への石段を降りはじめる。
おーーい!という声に振り向き仰ぎ見る。
山小屋の前に厨房の女の子達が出てきている。
少し離れて、穏やかな顔の親父さんとニコニコ笑顔の奥さんが並んで立っている。
手をぶんぶん振ってる子、
またね〜〜〜!!!絶対メール頂戴よ!!!と、涙を流して別れを惜しむ子、
おいてめー、また携帯忘れてんぞ!!!と、悪態ついてくる番頭さん。

私は
こんな自分でも仕事で受け入れてもらえた
という喜びと安堵。
勤め上げて俗世間に戻れる開放感。
そんな気持ちでいっぱいだ。
岩場を下りながら、
皆が豆粒になって
見えなくなるまで手を振り続ける。

思い返すたびに
人生最高の爽やかな瞬間だったと
8合目の風が吹く。

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