山小屋物語 1話 バイト募集のチラシ
何気なく目を落としたスマホのニュース
雪解けの富士山の写真が大きく載っている。見出しには「夏の富士山が閉鎖に 新型コロナ感染防止のため」とある。昭和35年、県が主体となって登山道を管理しはじめて以来初の、山開きしない夏がやってくる。
だって。ふーん、そうなんだ。
まあ山開きしないなんて、前代未聞の現象だわな。と独りごちて、
ニュース画面の、山肌のところどころが露になった富士山をじっと眺めるうちに、登山道がうっすらと浮かんで見えてきた。六合目まではなだらかな坂道、七合目から上はジグザグの砂利道になっている。ジグザグ道の少し上、岩場に貼り付くように建てられたちいさな要塞のような小屋がいくつか見える。その中の1つ「Kの舘」で、学生時代の私は働いていた。
2003年、6月。
北関東。
大学の構内にある「スラム」と呼ばれる古い宿舎の、立て付けの悪い扉にそれは貼られていた。
「暑い下界にサヨウナラ」
斜字体で大きく書かれた謎のキャッチコピーに、私は目を奪われた。
何にサヨウナラって?
一度通りすぎたけれど、気になって引き返し、その紙を、
学生がWordで作ってコピーして貼り付けたであろう
山小屋バイト募集のポスターを、
まじまじと見つめた。
「暑い下界にサヨウナラ」
富士山の山小屋で働きませんか?
標高3100m、雲の上にある山小屋での住み込みアルバイト
期間は夏休みの海の日とお盆を含めた6週間
日給は8000円
三食昼寝オヤツ付き。寝床アリ。
お金を使うところがないので、貯まります。
登山経験は無くても大丈夫。
この夏、涼しい山の上で、人とは違う経験をしたいという貴方!お待ちしています。
なんかめちゃくちゃしんどそうなバイトだな。
軽ーく明るいノリで語ってるけど、その後ろに体育会系のど根性が透けて見える。
あームリムリ。バイトは探してるけど、私には合わなさそう。こういうの応募する人って、元気でマッチョな女の子でしょーね。宿舎で お向かいのきみえちゃんなんて、モーグル選手だし、お似合いじゃないかねぇ。
今度こそポスターの貼られている扉を通りすぎ、自分の部屋がある四階へと階段を昇り始めた。
その思いとはウラハラに、
頭の中では計算が始まっていた。
1日8000円
かける7日で56000円
かける6週間で336000円。
すごい大金が稼げるな。
大学の授業料、ほとんど払えるんでないの?
うちは貧乏なので、親に生活費や学費を払ってもらうことへの後ろめたさがいつもあり、バイトして、自分でも払いたいと考えていた。
遊ぶ金欲しさに、というのもあった。なんとか学生生活は送っていても、カラオケや遊園地で遊ぶ金は無かった。
数日後、宿舎の食堂で開かれた山小屋バイト説明会に参加した。希望者が二十名ほど集まった。
元気いっぱいの体操のお兄さんのようなイケメン学生が、はきはきとした口調で山小屋の生活について一通り説明した後、
「なにか質問ある人」と聞いた。
すると隣に座っていた女の子がすっと手をあげて「ひとりの時間は持てますか?」と、尋ねた。
体操のお兄さんと、その相方のお姉さんが一瞬顔を見合わせて、向き直り、言った
「ひとりの時間は、持てないかな。皆といる中でも、ストレスを解消できる人に、来てほしいな。」
やさしく微笑みながらの答えだったけれど、その一瞬の間と、皆といる中でもストレスを解消できる人・・・という言葉に、
私の心が波立つのを感じた。
こいつぁーヤベーバイトだぞ。
一人でいることは許されない
もしくは場所がないから一人でいられないんだ
ということが、この問答から判明した。
体操のお兄さん「明後日の日曜に、同じ場所で面接を行いますー。希望者は11:00に集合してください!それでは解散!」
さ、帰ろう。
その時はそう思った。
その後、
銭湯でお湯をかぶっていても、
部屋でうどんをすすっていても、
山小屋バイトに感じた違和感をぶち破るほどの額の給料が、頭の片隅にチラついた。
いくら体育会系のバイトといっても、登山経験は要らないといっていたし、真面目にがんばればわたしにもできるのではないか。
2日後の朝、履歴書を手に、面接会場の椅子に、私は座っていた。