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道法自然、再考

初出:2010/03/01
改訂:2021/04/16

老子における「道法自然」を再考する

「道は自然に法る」という解釈を私はしておりません。

1. それだけ、4文字句でおかしい、リズムが悪くなる。

2. 自然は、「自ら然り」が本義であること。

3. 楚簡には、「月編に犬(義、犬の肉)」としか書いてない。これの動詞の意味は、「もえる」(然の原義)です。「自燃」と読むべき可能性があること。

4.「天大 地大 道大 王亦大 國中又四大安 王凥一安」世界最古の写本にはこう書いてある。

以上の理由から、「道は自然に法る」という、従来の読みは、最古の写本である楚簡本老子から再考すると、甚だ疑問である。

道は、道に法る。道法自分 = 道法道(道理は、道理に法る。他の助けを借りないで、道は自分自身に法る、老子哲学における最高概念、大の中の大が「道」ということです)または、道法自燃(自然発火という意味もありそう)です。

楚簡老子(紀元前300年まで確実に遡ると年代測定されている世界最古の老子の写本)には、「道」が天下母である「しょうへんに首」に老子がつけた(老子がつけたとは明確には書いてないですが)字(あだ名・愛称)であると、書いてあります。本名が知られていないので、字(あざな)をつけましたと書いてあります。首は頭であり、始まりの意味です。要するに、「道の前に道はない」ということです。すべてのものの始まりですから、今いうところの「自然」なんてものを手本にはできないし、する必要もありません。郭店楚簡には、そう書いてあります。(万物の根源なので、手本にしたくても、するべきほかのものがないのです)

その「自然」の自は、自殺、自発、自爆、自滅などの「自」と同じものです。次の字は動詞が来ます。道法自然の自然は、「自分で自分をそうであると認める」ぐらいの意味です。

もし訓読したいなら、「道法は自ら然り」だと思います。2+2で読むのが、普通でしょう。(「道法は自ずから然り」でもいい)

道法は、天法、人法、刑法などと同じ構造です。道法は、「道之法」ということです。自然の「然」が動詞で、述部になるから、道法が、主語になります。

あくまでも、これは、杜胡道士(杜胡三蔵)の解釈、直観的発想です。

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