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郭店楚簡老子 二つの「道」(タウ)

初出:2010/03/01
改訂:2021/04/18

二つの「道」(タウ)

郭店楚簡老子には、「行構え+人」と「道」(辵+百の中二本)で、書き分けられています。行構えに人を書く字は、康熙字典に「道の字だ」と載っていますが、「辵+百の中二本」この字はどうしても、見つけられませんでした。少し違うだけなので、これは「道」でしょうかね。

郭店楚簡本甲組内において、通行本では、すべて「道」の一字ですが、書き分けられているとなると、意味的に違う概念なのではないかと、強く推測されます。老子における「道」は、現在的理解の「タウ」ではないのではないかという疑問があるのです。

杜胡三蔵の解釈、考え

「道」(辵+百の中二本)は、「しょうへん+百の中二本」百の中二本は、首を表しているものと思われます、につけられた字(あざな)としての「道」。首は、はじめ。はじまり。第一。先頭。また、いちばん上の位。それが、寝台に寝ている字をもって、物事の始まり、根源を表します。

「行構え+人」は、人が踏み行わなければならない道、人道、人倫に相当する義を有する字。徳行の意味もある。

世界最古の老子写本(一部か)である郭店楚簡老子におけるこの二つの概念(文字)は、現行の通行本では、「道」の一文字にことごとく統一されています。そのことが、老子の理解を深める妨げになっているということは、言うまでもありません。

通行本は、いくら読んでも全面にそのようなことがあるので、情報量が減っている。意味がおかしくなっているのです。だから、難解だなどと、陰口をたたかれているのです。

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