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2022/02/06“言葉”

「あなたは言葉が激しすぎる」

「0か100しかない」


って真っ向から言われた
新しく働く予定だったサロンの人から



まあ確かに、否定はできない


その一件から、“言葉”ってなに?

って、凄い疑問に思っている

言葉がよくわからなくなった
人と話す時、なんだか、不思議な感じがしてくる



そんな時、ふと養老孟司先生の『養老訓』に手が伸びた

“言葉”について書いてあるではないか 

A=Bの違和感

 今の人が言葉の重要性に気づかないのは、そのためです。つまり、感覚が抜けた人たちは思考の全てが言葉から始まってしまう。初めに言葉ありき、になるのです。
 言葉というのは概念的思考の産物だとお話しました。私の「熱い!」と、他人の「熱い!」という感覚は同じであるはずがないのです。人によって感覚はそれぞれです。しかし、とりあえず「熱い!」という概念を共有できないと話は進まない。だから「熱い!」という言葉が必要になるのです。
 しかし実際には感覚の世界は人それぞれ全部違うということがわかっていれば、言葉を「ありがたいもの」だと感じられるはずです。もともとはわかりあえなかったかもしれないことについて、お互い通じる部分を抽出してくれるからです。
 ところが概念的思考だけが肥大してしまい、言葉の世界から始まってしまうと、そのありがたさがわからなくなります。話が逆になる。通じることが当然であると思い込んでしまう。すると実は通じない部分のほうが大量にあるということになかなか思い至らなくなります。
 養老孟司:養老訓より


通じて当たり前って思っている自分がいることに気づいた

概念を理解するために、言葉がある

でも、言葉も大事だが、感覚ももっと大事

そして、感覚は人によって、全然違う

通じて当たり前なんてことはない


はじめは、あんな風に言われてショックだったけど、こんなに言葉や感覚について興味を持てたのは、あのある意味での“言葉”があったから


人生面白いね



これとは別の話で、なぜか、私にきっかけを与えてくださる先生がいる

先生ありがとう

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