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音楽経験0から作曲を約1年半と、活動を約1年やってきた軌跡
これは私が音楽経験0のところから作曲を約1年半と、Twitterでの活動を約1年やってきた軌跡をまとめ、1年ほどの活動の末に考えたことを文章化したものである。途中、私的な音楽トークが挟まれている。
ㅤ私自身の話がとても長いので、忙しい人は『その漆』から読むと良いです。
注意:勝手ながら一部、個人で活動する実際の作曲者の方の活動名を使っている部分があります。問題がある場合、名前の削除の申請は私のTwitter:@sasuraluluのDMにください。ご了承のほどお願い致します。
————はじめに
Twitterで流離として活動を開始してから約1年が経った(厳密には10月25日で1年)ので、自分の作曲活動の歩みを振り返り、記録としてnoteをつけてみる。私の1年ちょっとの活動の歴史を思いつく限りいろいろと書き記す。所謂雑記や日記のようなもので言わばただの『自分語り』なのでこれから作曲をするという人たちに特段役に立つような情報はおそらくなく、また誰に向けているわけでもない。
————その壱 きっかけ
今思うと私が作曲を始めたきっかけはいろいろと考えられるが単純に曲を作ることに憧れが生まれたからだろう。作曲開始以前はまだ音楽は今ほど好きではなく、楽器の演奏や歌うことが好きなタイプでもなかったので音楽とはほとんど縁のない生活をしていた。ただし音MADには昔から釘付けだった。
しかし、数年前にサカナクションというバンドにハマったことがきっかけで電子音楽への関心が強まり音楽そのものにも興味を抱くようになった。エレキギターも買った(現在絶賛持ち腐れ中)。実はこの時はまだ作曲への関心は持っていなかったが、これを契機に音楽への関心が滾り、あっという間に生活の一部に組み込まれた。
直接私がショックを受けた曲は何かというと、YouTubeでなんとなく動画を見漁っていた時にたまたま見つけた「イワシがつちからはえてくるんだ」と「柴又」—厳密には音MADだが—の2曲だ。この2曲の作曲者はそれぞれすでにネット上から姿を消している。そのミステリアスさとリスペクト作品群の質の高さ、原作品の底知れぬ魅力に酔いしれ(誇張表現でない)、その後例の界隈の深い沼に沈んでいくこととなった。勿論、現在も好きであるが自分の中でのブームは下火である。ちなみに大きな衝撃を受け、現在でも一番に尊敬している作曲者はSpeder2氏でありこの方も現在、姿はなく謎が深い。
現在も活動している作曲者の中で自分の音楽の好みに刺さり、当時からただならぬ魅力を感じていたのはろりたみ氏である。ちなみにこれを執筆中にも今までのものを含めた大量の曲が収録された新アルバムの告知をされていてちょうど私は腰を抜かしていたところである*。界隈とは無関係である。この方のアルバムの『ろりたみのろ』は私の音楽観を変える程に衝撃的(当時は本当に音楽を知らなかったのでほとんど誇張表現でない)でかなり聴きこんだことを覚えている。「深夜徘徊」が好きです。
*追記:執筆後、買うチャンスを逃すまいとノータイムで買いました。ついでに可愛いキャラクターが描かれた缶バッジも買って大満足です。
まとめると、メジャーな商業音楽しか知らなかった私がインターネット発の音楽に出会い、軽めのカルチャーショックのような体験をして、個人的に作曲することへ憧れを持つようになったということだ。
————その弐 作曲開始 初期PCでの活動
恐らく去年の2月ごろが最初だったか、まだ1年半ほど前の話である。私は作曲をPCで始めた。その当時はデスクトップPCを持ってなかったために古いノートPCで重い動作にストレスを抱えながら、ひたすらネットで作曲法を調べながらReaperに打ち込んでいた。思えばあの時が最も熱心に創作活動に取り組んでいたのではと感じている。勿論、音楽理論などかじってすらおらず、すべて感覚で『音楽』と言うよりは『音を並べたもの』を作っていた。いくら自分が作った曲とはいえ流石に最初期の作品は聴くに堪えない。とはいっても不思議と、作っている最中の自分は良い曲だなぁと思っているものである(これは今もそう)。
初期の作品はサカナクションやその当時にハマったテクノのジャンルの影響を受けたような作品が多い。コード進行は何の理にもかなっていない。
またこの頃は界隈に影響されていてボーカル曲を作りたいという願望が芽生えており、UTAUを初めて使い、「二枚貝海底」という海の底の歌を作った。この頃で一番労力をかけた曲である。界隈に影響されていたとは言え思ったより影響が作風に出ていない。それは今の自分の曲を聴いてもそうなのだが、自分なりに咀嚼して好きなように音楽を作ると知ってる曲に似つかない。これに関しては自分では気づけていないだけかもしれない。
「二枚貝海底」はこれまで経験のなかった歌詞作りが一番大変であり、楽しかった。正直気に入っているので黒歴史とまではいかないが、メロディは良いとは言えないのでグレーな曲である。残念ながら先日バックアップを残し音雲から消した。
ちなみにこのノートPC時代は現在ある音雲のみでの活動だったため、聴かせる人もほとんど周りにおらず、すべて自己で完結していた。リアルの友人がゲームを作っていて、BGMを作ってくれという注文があり、その時にだらだらと作っていた程度だ。音雲に上げていた初期の作品にゲーム音楽っぽい雰囲気が感じられたのはそれが原因だ。つまり全部没になったのである。
————その参 PC購入 環境が変わる
間もなくして、私生活の方でももっとまともなPCが必要になってきたことや単純にノートPCの性能にうんざりしていた私はデスクトップPCを購入することにした。どうせ買うならいいものを買いたいのが私の性格であり、なかなか高い出費であったために少しでも費用を抑えるためPCをパーツで買い、自作することにした。これは拡張性もあり、自由なカスタマイズが出来ていいだろうという考えによる判断だった。精密な機械なので組み立て中に破壊して予想外の出費が発生することが何よりの懸念だったが、問題なく組み立てられた。感想としては思ったよりも難しくないなといった感じだ。見通しがちょっと甘く、周辺機器等をそろえていくと予算を超えてしまったが素晴らしい買い物をしたと思っている。しかし結局はBTOのものとほぼ値段が変わらなかったかもしれない。
話が脱線してしまったので作曲の方に戻すと、ここで私はReaperからcakewalkに乗り換えている。理由はcakewalkの方がなんだか便利そうだったからである。具体的にはcakewalkで作曲していたほかの方の作業動画を見て、打ち込んだmidiノートが透けて見え*(?)、トラックごとに色分けされてて使いやすそうな機能に魅力を感じたからだったような覚えがある。あいにくReaperの機能についてはあまり覚えておらず、もしかしたらReaperにもこの機能はあったかもしれない。最近、Soner(現cakewalk)は初心者にあんまり良くないぞという意見をちらほら見たが音MADを作るでもない自分はReaperでなくとも苦なく使っていた。
*Aのトラックで打ち込んだノートがBのトラックの打ち込み画面で裏にうっすらうつるやつ。初心者の私はここの場面でこのコードを使っているとかをいちいち把握して打ち込んでいないので、これのあるなしで作業効率が違ってくる。リズムの管理もこれが無いと大変。
このころに作っていた作品といえば後述する「えま★future」や「Heated」などでEDMに寄っている作品が多くなる。好みの音楽もテクノからEDMに移っていき、ダンスミュージック的な要素を積極的に取り入れていこうとする。しかし、ドラムの経験がなく、曲の分析もロクにしていなかったためにドラムの打ち込みに相変わらずの独特さがある(今もそうかもしれない)。そしてHeatedの前半部分はもう2度と再現できないのではないかと言うほど独特な雰囲気を出していていい感じであると自負している。
この頃に音楽理論を独学で少しずつ理解していって、最低限のことは頭に入れた。しかし音作りの面では未熟だったので曲の出来栄えは微妙と言ったところだ。
————その肆 Twitterを始める
2020年10月、にじさんじ所属のえま★おうがすと様の音声を勝手にサンプリング素材に使って、Future Bassを作ろうと考えた。思い立ったが吉日、なんとその日の週末の3連休で作り上げてしまった。当時の私にとっては改心の出来でいたく気に入っていた。完成した即日、私が作曲しているとも知らないにじさんじ推しの友人に意気揚々と紹介したのを覚えている。
Future Bassが作りたい、でも声ネタがない、ならえまちゃんの声をサンプルにしてみよう!という思考の流れだったがとても軽い。勿論、Future BassどころかEDMすらまともな作曲の経験がなく、サンプルは購入したことがなかったのでフリーのサンプルとシンセで作っていた。結果、かなり自由な創作になり、声ネタメインの音楽のような作品になった。
10月25日、「えま★future」をツイート。タグは #にじさんじ だけであったが本人のエゴサ力(りょく)にカバーされ無事本人に届き、二次創作の経験のない私は反応に喜んでいた。しかし、えま★様はfavだけに終わらず、EDのBGMに使ってくださることとなり、今現在も作曲者としての私の最も嬉しかった出来事である。(🦐🥚が無くなったのはちょっと惜しい)
リアタイは逃したが、初めてEDに起用してもらった動画を見に行った時、コメントの皆の反応が結構よかったことを覚えている。
ちなみに「えまが最高~!」の部分は唱和することを全く意図していなかった。そのためこの音声が組み込まれている位置が盛り上がりのピークが若干収まったころのサビの後半の方になっている。
実はこのときはまだ流離名義ではなく、ただの個人的なTwitterの閲覧用アカウントだったのだが、「えま★future」を投稿するときにツイート履歴をすべて消し、しばらくして名義を統一して流離に変え流用した。
今現在はこれが最初で最後の二次創作になっているが、またいつか新たに二次創作の作品を作ってみたいと思っている。非公式テーマソングなどを作っている人にはその行動力と労力を考えると本当に頭が上がらない。
ここから作曲者(かつ音楽とにじさんじのオタク)の流離として人格をもって活動するようになる。
————その伍 EP、アルバム制作
ずっと欲しかった作曲ソフトのFL Studioを購入し、さらに環境が強化される。プラグインもこのころから積極的に買うようになっていった。ただしサンプルパックは未だに買っていない(2021年8月26日現在のこと)。
この頃の音楽の興味は一時的にChiptuneというジャンルに強く向かった。もともとChiptuneと言える音楽については知っていて、音源の入手のしやすさからChiptuneは作曲初心者なら1度は作った経験があるのではないかとまで思うが、私はChiptunerのしのりゅー氏主催の『光のチップチューンVS闇のチップチューン 対決コンピレーション』の1作目に出会ったことがきっかけで興味が増幅された。以前はファミコンなどの所謂レトロゲームを通ってこなかったこともあり、せいぜいネットで動画を見たり、最近ではバーチャルコンソールで遊んだりした程度の知識しかなく、その音楽に特別魅力は感じていなかった。しかし、このコンピやその他複数のコンピを聴いて各作曲者の表現力やChiptune独特の空気感、同じジャンルの中での音源の違いによる異なった雰囲気の面白さに惹かれた。
またほとんど同時期に興味は日本のトラックメイカーが作るEDMに深く向いていった。これは現在でもそうだが私は海外のアーティストはRooseveltやAviciiなど1部を除きほとんど興味を持たず、日本のアーティストばかりを聴いている。PSYQUIさんやmameyudoufuさんをはじめとするトラックメイカーが好きになり、この辺りの音楽体験や前述した「柴又」の作者の2号.氏などから刻まれた音に強く惹かれるようになった。(長谷川白紙氏などの前衛的な音楽のクリエイターや軽めのノイズミュージック要素を取り入れたような音楽に出会うのはもう少し後の話。)
私が初めて作り上げた一連の作品である、1stアルバム『SALAD BOWL』について書く。これは全編Chiptuneを意識しつつもあまり厳密なルールは設けず自分なりに思うまま作ったものである。制作当時の一連のツイートによってわかるが、アルバム作りたいな~と嘆いてから完成させる間がかなり速い。これを書くにあたってツイートを振り返ってみたのだが、5月13日に作りたいと発言し、その翌日はグミを竹串に刺して串焼きのようにしたよという画像付きのツイートをし、6月6日までには新たに10曲を作り終えてかつクロスフェードの用意を除くアップロードに関するすべての工程が完了している。それぞれの曲のクオリティで作業時間が左右されるにせよ、わずか24日ほどで10曲を作りあげる当時の思い切りと作業に傾注する活動力に驚いている。中にはGlitch hopをイメージしたり、Lo-Fiをイメージしたりしたトラックがある。音楽のジャンルがあまりに細分化されていて、またそこまで詳しくないので厳密にジャンルが合ってるかは分かっていない。聴いての通り、アルバムでありながらもChiptuneである以外の統一性のなさから題名は『SALAD BOWL』とし、ジャケットはサラダの画像を参考にしながらドットで表現されたサラダを描いた。
少し経ったある日、ドラムンベースのフリーサンプルを手に入れるチャンスがあり、以前からドラムンベースにハマっていたので自分も作ってみようと決め、お洒落な感じ(に仕上げたつもり)であるEP『Bustle』を作った。当初は新曲2曲だけの収録の予定だったが、シングルではなくEPにしたいと思い、以前作っていた曲の2曲のアレンジ、改良をしてアルバムにおまけ程度に収録した。自分は新曲2曲の雰囲気がとても気に入っている。ジャケットの都会の夜のシルエットを表現したドット絵も夜の街の見下ろし画像を参考にしながら絵の経験がまるっきりない人間にしては良い出来に仕上げられたと思っている。このEPは配信を始めて早々に買ってくださった方が2人もいて私は笑顔になりました。
————その陸 コンピに参加
私がほとんど初めて作曲者としての流離の名を背負って参加したイベントが前述した『光のチップチューンVS闇のチップチューン 対決コンピレーション』の2作目である。1作目に感銘を受けただけに、ほとんど衝動で参加を表明した。初心者歓迎の企画でエントリーから提出までの制作期間も長く参加しやすかった。実は、あのコンピに参加させてもらっておいて失礼ながら、私はChiptuneのリアルで開催されるイベントのことやほかの有名なChiptunerの方のこともほとんど知らず、Chiptuneについての背景知識がほぼ0での参加で、提出する作品も直前までこれは邪道なChiptuneなのではないのかと疑ってやまなかった。最終的に提出した私の作品の『Hopeful Journey』は実はあの完成品の75%くらいの進捗度の時に一度投げ出し、その先が生み出せず1か月ほど放置していたことがあった。実は、Chiptuneのアルバムに着手する以前にはある程度今に近い形になっていた。もしかしたら最も制作に時間を書けた作品かもしれない*。作曲者のコメントとして1,2言ほど寄稿する際に「邪道なChiptuneになりました。」と書いたがChiptuneらしさはそこそこあったようで自分と相手の音楽の受け取り方の違いを感じることがあった。
このコンピはとても温かいイベントであり、また新たに自分を知ってくれる方も増えたので本当にいい経験をしたと思っている。あのコンピに自分の名を並べられたというだけでもかなり喜ばしく思っている。このコンピに参加したことをきっかけに新たな知見を得られたので、Chiptuneの音楽、アートワークなどを今後も楽しんでいきたいと思っている。
*ちなみに『Hopeful Journey』のプロジェクトファイルを見るとかかった時間が36時間と記録されていた。思ったより短い。それでも恐らく最長。
————その漆 活動の原動力
作曲を始めて気づいた私の内面の遷移について触れる。
私は界隈にハマっていた頃、作曲者個人が趣味などで制作している音楽にのことを知り、好きな作曲者を何人も見つけた。流離と名乗り人格を持ち、活動を始めた当時も、私がネットで活動する作曲者たちへの熱烈なファンであることには変わりなく、そのために私もネットで活動する作曲者の1人であるのだという意識は薄く、ほかの作曲者の方と同じTwitterというフィールドに立ちつつも距離を保っておりなんとなく孤立感があった。それに気づいてからはガラパゴス化(?)した作曲家を名乗っている。(実際は意識的にも無意識的にも他者の音楽を自分の曲に取り入れているので厳密には違う。)
それらが直接自身のモチベーションや精神状態に影響していたかというと実はそうでもないのだが、自分が作曲者としてフットワークが軽くなったように思い始めたのは、周りの活動に参加するという経験をしてからのことでありまだ直近のことである。
光闇コンピに参加したことはもちろん、作曲者の集まるDiscordの鯖に参加させてもらうなどによって自分が作曲者として有る感覚、所属している感覚を意識させた。それは私は私自身が思っていたよりも所属欲求が強いのだということに気付かせた。(しかしながら今現在でもほかの作曲者をどこか遠い存在のように思っている。)
具体的には何が変わったのかと言うと、直接的にはDTM知識の吸収、情報の収集であり、精神的には作曲のモチベーションが上がる、保たれるといったことだ。あえて囲まれに行く(大抵はほとんど黙って傍から見ているが)ことで自分がこの先音楽をやめてしまうのではないかという恐れが和らぐように感じた。これは根拠がないように思えて、不思議な恐れの感覚だと思われるかもしれないが、私が作曲を始めて最初の方は作曲活動は完全に私1人のものであり誰かの承認を得ることはなく、また得ようとすらしておらず、動力源として私自身の作曲への意欲に依存するほかなかったし、そうでない必要がなかった。
かつてはそれで良かったが、ずっしりとしたノートPCで音楽制作に夢中だった頃と違って、現在は環境がある程度整っており、音楽についての知見も広がっている。選択肢が増えると選ぶ道を迷うもので、この1年で急激に選択肢が増えたことで選ぶことに疲れてしまい、今後いつか選択をやめてしまうのではないかという恐れが生まれていたのかもしれないと思っている。だからほかの作曲者の活動、すなわち各人の得意な作風、ジャンル、制作プロセスによって自分の道を選び進んで創作している様子を見ることが自身の活動の原動力になっているとすら感じる。
こう考えるのは現在の自分の悩みの1部である、『自分の作風が分からない。』『私なりの特徴が出ててほしい』という考えが生まれるからこそかもしれないと思った。
確かに自分より優れた個人の作曲者をみると嫉妬に近い感情が生まれるかもしない。私もかつてはそうだったのだが、今現在では同じ創作する人間の活動で良いものが生まれているのはもはや喜ばしいことではないかと思うようになった。これは自分がネットで活動する作曲者の集団の1部になれているのだという意識が現れている証なのだろうか。
しかしこれはただの抽象的であり浅はかである、不完全な解釈かもしれない。
————その捌 【相手】の創作物に向き合う
作曲者側になって初めて気づいたことがある。良い作品には言葉にして感想を伝えるのが大切だということだ。これは単純に私自身が作品をインターネットに晒す以上は何らかの反応が欲しいと考えるために気づいたことである。Twitterでリプを飛ばすのはなかなかハードルが高いので私も気が引けてしまうのだが、YouTubeなどは感想を残しやすいので書き込むことが多い。音楽に限らない他の色々な創作物にも言えるだろう。
私はどんなものであってもその人が頑張って作ったものなんだから無条件に良いと評価するべきだとか、また出来が悪いものでも無理に褒めろだとかを言っているわけではない。勿論、私は私が作ったものは不格好な作品でも良いと言われたいが、問題は受け手が本当に心から「良い!」と思えたものに対する反応なのではないか。
今、インターネットでは簡単に莫大な量の作品を目にする、耳にすることが出来、良い作品に出合う機会も多くなっている。良いなと思う作品にいちいち向き合ってられないかもしれないが言葉にして感想を届けるのとfavするだけでは制作者としては受ける喜びがかなり違うだろう。少なくとも私は文章だと格段喜ぶ。褒められて嬉しくない人はいるのだろうか?
良い創作物には向き合って、制作者のメッセージを受け取ったことのレスポンスとして感想を文章化し届けることが製作者がより良い創作を生むことになると思っている。
自分の作品を肯定してくれる人間がいるという確固たる証拠を持ち確信していると気分の持ちようがまるで違う。
とは言うものの、私がいつもfavするVのファンアートに関しても言えることなので私が言えたものではないと言えばそうである。自戒の意味も込めている。
つまりは私がたまにツイートする、私の短編のスケッチのようなトラックに反応してくださる方々のおかげで私のモチベが保たれますというごく普通のことである。
そう考えると食って掛かるアンチたちもわざわざ書き込む手間を割いてくれているのだと考えられてあまり気にしなくなるかも。私のアンチに出会ったことがないので分かりません。
————その玖 【自分】の創作物に向き合う
私が作る創作物について、これは私だけかもしれないが「自分はナルシストなのかな?」と心配するほど自分の作った作品が好きだ。先ほど私の作曲初期の曲は聴くに堪えないと言っていたが実はふと思い出すと再び聴いている。特に曲を作った直後はもはや自分の作った曲に酔いしれていた。それらの作品が後から確認すると変なメロディーになっていたり、気持ち悪いコード進行になっていたりしているなどということは大抵わかる。しかしやはり自分の生み出したものには愛着が湧くものだと深く感じる。
私は作風に特徴のある、または独自の特徴を出せる作曲者に魅力を感じる。私が敬愛するSpeder2氏は音雲に上げていたような未来的なジャンルの音楽ばかりでなくゲーム音楽も作っており、私はニシキガツオ*のゲームや「うみとまもののこどもたち」の統一感のある独自の雰囲気が音楽だけでなくグラフィックも含み大好きだ。独自の特徴はあえて奇妙なコードやメロディを使い音楽を作ることだとは思っていない。最近になって自身の作風を洗練する工程が不可欠なことに気付いた。まずは自分の音楽の強みを探すところから始めていきたい。
*ゲームを作っていたサークル。今は活動していないようである。中でも「閃輝虫」はBGMゲームデザイン、グラフィックなどの全てが神である(個人の感想)。
また良いものを作りたいなと思いつつも実際は自分が好きだと思えば何でも自分は満足してしまうのではないか。別にそれでもいいのではないか。などと色々と自問することがある。
私の現時点での考えでは、私のような立場でただ個人的に作曲する人間は別にそれでいい、あまり出来を気にしないのがいいと考えている。私は高みを目指して創作を続けているうちに実力はあとからついてくるのだと信じ、半ば自分に言いきかせている。
作りたいジャンルが自分の技量によりなかなかうまくいかない辛さはあるにしても少なくとも作曲中はいつでも自分が良いなと思っている音楽を作れているのでなんの問題もない。
つまり自分の作る曲ならなんでもいいのだ。私はナルシストかもしれない。
————その拾 活動の将来
現在、これといった将来像は無くなんとなく活動をしている。勿論、この先音楽を作ることで生活していけるようになりたいなどとは微塵も思っていない。だからこそ、【その漆】で述べたような音楽から離れる恐怖を感じているのだとも考えられる。私は音楽が好きであり音楽を作ることも好きだ。そのために人に知られることで自分の好きな音楽を続けていけないことになるかもしれないという一方で、多くの人に知られて自分の作品を誰かに肯定してほしいジレンマが生まれる。ただ十分な職にしたいとまでは思っていないとはいえ、誰かの期待を買って依頼を受け音楽を制作してみたい気持ちはある。(期待に応えられるかは別である。)
また今後やりたいと思っている作曲活動は「ゲーム音楽を作る」や「誰かと合作をする」、「ボーカル曲を作る」...等。しかしまだ自分の実力が伴ってないものだと思う。
何より、私が作曲をしていて一番に思っていることは、自分の曲が誰かしらの好みに刺さっていて欲しいということだ。その人に刺さっているということはその人にとっては特別で有れるということだと思っている。作曲する者として、私はその誰かをずっと求めている。
————おわりに
noteに記録を長々と記したが、私の音楽歴は執筆時、8月26日現在たったの1年半である。
私的な小話や稚拙な考察を多めに挟みつつ、やや読みづらさのある駄文になったのだが最後まで読んでいただけたなら有難い限りである。飽き性な私であるがおそらくは今後も根気よく作曲を続けていくだろう。次は何を作ろうかな。以上です。
2021年8月26日
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