大著「歴史の研究」私達の価値観や既成概念は、知らぬうちに条件づけされている。
今、私はA・J・トインビーの『歴史の研究』を読んでいます。
自称・読書家の私でも、読み込むのに大変骨が折れる一作です。
トインビー博士の長年の研究があればこその深い思索の末の一文一文となっています。
それを感じる度に背筋がゾクゾクしてします。
トインビー博士は、20世紀最高の歴史学者と言われています。
彼のことは、私が10代のときに、実母から聞きました。
そもそも歴史好きな私にしてみれば、そこまで高名な方って、どんな人なのかと興味をもちましたし、次のような彼のエピソードを聞いて、その生きざまにとても感銘を受けたことを覚えています。
70歳も過ぎても「服がぼろになっても、服を買うよりも本を買いたい」と。
死ぬ病室の枕元には本が置いてあって、死ぬまで学び続けようとした方です。
そんな、真摯な生き方は著作『歴史の研究1巻「日本語版への原著者の序」』の1文にも表れていると思います。
『歴史を眺める際に、我々は全て、我々の見地が、たまたま我々の各々が生まれた時代と場所によって、大部分決定されていることに気づく。人の見地は、要するに、特定の個人、特定の国民、特定の社会の見方である。
歴史をあるがままの姿において見ようとするならば、我々は、最初はどうしてもそこか出発するほかにない、この局部的な見方を超越しなければならない。
(中略)
「歴史の研究」を書いている間、私は絶えずこの限界を意識し、それを乗り越える為に最善を尽くしたつもりであるが、はたして成功したかどうか、私にはわからない。』
私達の価値観は既成概念は、知らない内に呪縛に縛られている。
そうは言われても気づけないことが多いと思う。
それが、頭が固いとか、そういうことなのかもしれません。
それでも、そのような呪縛に縛られたままの人生でも悪くはない。
そのような人生で幸せを感じる人はいるはず。
でも、私にはどうもそういう生き方は向いていないように思う。
私もトインビー博士の百億分の1の挑戦になってしまうかもしれないけど、是非挑戦をしたいと思います。そうで無ければ私のテーマは果たせませんからね。
【追伸】
願わくは、一緒に歴史探索をしてみたかったです。
これは来世の目標の1つにしたいと思います(笑)