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『それでも天使のままで』
青春地獄物。
しかもちゃんと令和の時代のソレに小道具やシチュエーションはアップデートされつつ、「学校という逃げられない世界」の中で、孤独を抱えた人がどこかに自分をわかって貰える人がいないかと願い出会い、それに「初恋」なんて名前がついて、性愛のどろどろが脳を焼き、世界は地獄のまま明日が来る。
初見の漫画家さんでしたけど、腹をドスンと刺されるようなしんどさは阿部共実の漫画を思い出したり。
つまりは自分が一番好きなヤツでしっかり深くぶっ刺さりました。
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「自分の青春時代」の話にスライドしてしまうのですが、いいとこのボンボンでいわゆる「お受験」で入った私立の小学校は大学までの一貫校で、その中学時代の初手で自分は友達作りに失敗します。
中学3年•高校3年•大学が一留して5年。
11年間「学校の友達」はひとりも出来ませんでした。
だから机に突っ伏して時間が過ぎるのをただ待つ奴の気持ちはよくわかるし、その頃に「何かみんなの知らない物を」みたいな気持ちでわかりもしないのに寺山修司にハマったり、好きな映画のTシャツを来てた同級生にクソドモリながら話しかけたら「これデザイナーが好きなやつ」と言われ、ヘラヘラと笑って棒立ちしてたこともあります。
でも、全部もう、忘れてしまった。
エピソードになっていることは覚えている。
その時に自分がどう感じていたのかを文字としては覚えてる。
でもその時期に確かに自分がいたであろう「地獄」の色とか匂いとか時間の進み方とか、そういう体感を思い出せない。
すでに40歳を超えて、でも何かとても大切なことを置いてきてしまった。もしくは取り残したまま、まだあそこにあるのではないかと、そんな風に思ってしまう。
歳だけは40歳を越えたけれど、ちゃんとした彼女もいたことがない童貞で、作中の牧村先生が「そういう嬉しいことを何も知らずに死んでいくの?」と涙を流すシーンは、現在進行形として理解できる。
自分は130kgのデブ。
鏡を見るたび「生きるのを諦めたゴミクズ人間」の姿が映る。
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いつから太り始めたかというと「もうきっと俺は恋なんてすることはない」「誰かに好きになってもらえるなんてことはない」とハッキリと意識しだした頃から。
それから数十年が経って「もしかしたら間違えていたかもしれない」なんてもう思えない。
それよりもちゃんと数十年経って「ほらね? やっぱりそうじゃないか」という想いの方が強い。
それでも、寂しい。
しんどい。
カウンセリングで太ることもギャンブルやることもあなた流の自傷なんだと思うと言われた。
薄々そんな気はしていた。
でもそれが自分に対する罰だとするなら、なんの罪なのかが自分でもわからない。
「世界を決めつけて見たこと」か?
「死んだという体にした癖に生きている自分の存在」そのものか?
「こんな子どもでごめんなさいという親への気持ち」か?
ごめんなさい。ごめんなさい。
せめてこんなクソみたいな存在で、幸せにだけはならないようにするので、それと引き換えに許してくれませんか?
そんなことをずっとずっとずぅっと考えている気がする。
青春時代は全て拒絶して端の机に顔を埋めて「このまま死ぬまで逃げ切ろう」と思っていたし、そうなるものだと勝手に信じ込んでいたけれど、意外と死なない。
あの時、あの時代、教室の隅で机に顔を埋めていた人間の「その先」が今ここにいる。
それはちょっとだけ、「興味深いな」と思ってしまう。
成長を感じるハッピーエンドだろうが、現実の苦味を感じるビターなエンドだろうが、希望と感じた全ては嘘でまた日常に戻っていく地獄エンドだろうが、青春物として括られた物語のその先のどれかに、きっと俺がいる。
たぶん物語では描かれない存在として。
もしかしたら自分は「青春の成れの果て」なのかもしれない。
その結末だけは少し興味があるので、まだ生きていく。