差別意識と自分ごと
みなさんこんにちは。
ショーゴです。
ここのところ連日のように報道されていた東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森 元会長の話題。
この問題自体についてはみなさんもう十分聞いているかと思いますので、それはさておき、この一連の騒動を通じて感じたことがありましたのでまとめてみました。
意図的な差別と無意識の差別
今回の騒動で印象的だったのは、森 元会長が会見で語った「そういう意図はなかった」という言葉。
僕は人事という仕事柄、社内で人間関係やコミュニケーションの問題が起きた際に事情聴取や調停に入ることがあります。
その際、その問題が「ハラスメント」に関わるものだったとき、加害者側とされた社員に話を聞くと100%本人はこう言います。
「そんなつもりはなかった」
そんなつもり、つまり「意図的ではない」ということ。
でも、被害を受けた側の視点に立てば、意図的かどうかなんて正直どうでもいいんですよね。意図的であったにしろ、無意識にしろ、された「行為」自体によって傷ついたのだから。
ここ最近色々と起きる「〇〇ハラスメント」に関わる問題を見るたびに、意図的な差別言動は問題外ですが、無意識の差別が蔓延していることこそが今の日本において大きな問題だなと感じます。
「無意識の差別」は誰にでも起こりうる
以前にnoteでも書いたのですが、僕は小学校・中学校と結構ないじめを受けていまして。いじめる側といじめられる側、という構造に当事者として長くいた時期があったため、差別やいじめといった問題に対して感覚的に敏感だったりします。(敏感がゆえに、本当は極力そういった情報を目や耳に入れたくないです。フラッシュバックするので。)
「そんなつもりはなかった」という言葉を僕自身も何度もいじめてきた側から言われてきました。
そうなんです。
ほんと驚くけど。
こちらは死のうかと考えるほど苦しんでいるのに、いじめている人たちは大抵の場合、本当にそんなつもりないんですよね。面白いから、黙って受け続けているから、じゃれていたつもりだった、そんな程度だったりします。
強者の論理。
そう思っていました。
でも。
今はそう思わないです。
僕自身を振り返っても、いじめられる側にも何かしらそうさせる要素や匂いのようなものがあったんだなと思います。
実際、僕は中学生の時、意識が飛ぶくらいキレた経験がありまして、そこからパタっといじめられなくなりました。(周囲にドン引かれましたが)
でも、そこまでなってはじめて「あ、やばいことしてたんだ」と気づくんですよね。
無知・想像が及ばない
いじめられている人がどんな思いでいるのか、差別を受けるという苦しみに対して、体験したことがないから知らないし、想像もしない。
でも、そんな「知らない」ことや「想像できない」ことによって、どこかで誰かを傷つけている、それは誰にでも起こりうることだと思うんです。
要因の一つは醸成された価値観
そうした無意識の差別意識はどうして起きるのか。
その一つの要因は、育った環境から醸成された価値観が大きいのではないかと個人的には思います。
家庭環境や世代によって刷り込まれた「常識」や「普通」という価値観。
少し昔を振り返るだけでも、たくさんありますよね。
ドラマのセリフ 「男らしくないんだよ!」
バラエティのネタ 「ホモキャラいじり」「暴力やいじめを笑いにする」
TVのCM 「24時間戦えますか」
今だったら完全にNG、となることでも、その時代においてはみんなそれを「普通」として受け入れ、家族で笑っていた時代。
そう考えると、それが当たり前だったところから、ダメなことなんだと自ら意識と価値観を変えることって、結構ハードルが高いのかもしれません。
それこそ、アンテナ感度高く情報を取り、海外の視点を知り、様々な属性の人と交流する。そうすれば自然と気づけるかもしれませんが、そんな動きを取り続けている人が果たしてどれくらいいるんだろうか。
そう思ってしまいました。
世代交代で解消、じゃ遅すぎる
では、そんな世界的に見たら遅れまくっている私たちの無意識の差別意識はどうすれば解消されるのか。
世代交代。
これが最もわかりやすい解決策ですよね。
幼い頃から醸成されてきた価値観が引き起こしているのであれば、差別意識を内包する世代が全員引退すれば変わるでしょう。
でも、それだと遅すぎる。
現時点で何十年も世界の感覚から取り残されている私たちが、これ以上何十年も今の価値観のままでいることはあり得ないと思います。
じゃあ、どうするか。
僕は待っていられないので「対話を重ねて知る」ことを選びました。
無知で想像が及ばないことで誰かを傷つける可能性があるのなら、その可能性を少しでも一つでもなくしていきたい。
その為にいろんな立場の人、背景を持つ人と繋がり、対話をして交流することを意識して過ごすようになりました。
オープンマインド、という姿勢。
そうすることで僕自身にも、周囲にも変化が起きました。
解決策は「自分事」だと思えるか
僕は今、様々な会社・組織・コミュニティを跨ぎ「越境複業家」として働いています。
人事をしているブライダル企業では、20職種以上のプロと共に働き。
人事顧問をしているJobRainbowでは、LGBTQ+の当事者のみんなと。
PMをしているえぞ財団では、札幌以外の地域の方や主婦の方、町おこしに尽力されている方、公務員の方など。
運営をしているHelloでは、高校生から大学生のクリエイティブを志す若者たちと一緒に。
そうしていろんな人たちと交流していく中でわかったこと。
それぞれの人にそれぞれの背景があり、生きづらさや苦しさがある。
無意識の差別って、何もジェンダーに限ったことじゃなくて、セクシャリティでも、学歴でも、ママコミュニティでも、障がいでも、地域間格差でも、いろんなことで起こりうる。
それら全てに配慮し、寄り添うことは現実問題難しいです。
でも、知ろうとすることはできる。
そして、理解したら気をつけることができる。
もし間違ったときは素直に謝る。
相手の背景を知っていればダメなことをしたと心から理解できるから。
僕自身がオープンマインドで、いろんな人と接していく中で相手のことを知ることができ、仲良くなれたのはもちろん嬉しいことだったのですが、それと同時に、周囲の人たちも僕の背景や価値観を受け止めて理解してくれるようになったのがとても嬉しかったです。
対話を重ねていくことで、
昨日まで他人事だったことが、お互い少しずつ「自分事」になる。
それを続けていくことが大切なんじゃないかなって思っています。
コミュニケーションって結局、
「何を言ったか」ではなく「どう伝わったか」だから。
無意識の差別を極力減らし、もし誰かを傷つけてしまった時にも「意図していない」なんていう言い訳をしないようにしたい。
だからみなさん、僕と一緒にお話ししましょ。
美味しい料理とお酒、珈琲を愉しみながら。
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