ホームの中にドラマはあるか
岡崎京子さんのエッセイが好きです。
もちろんマンガも好きです。
ホームドラマにドラマなんかあっちゃいけないって、彼女は書いています。
家庭は機能。家庭はシステム。均一に流れる時間の中で役割を再生産する。
わたしはこれって大切だと思います。
ちゃんと昨日と同じ今日が来る。
子どもが安心して育つには、それが大切だとも思う。
子どもが思春期に入ると家庭内にロケン・ロールがやってくる、と書いてある。この部分がとっても面白い。
楽しい夕食の時間に息子が「ねえねえ、僕はどんな体位のときに出来た子なの?」と質問。
「ハハハ、お前はねぇ……。」とパパが説明。
「やーねぇ、お父さんたら。」とママ。
と、いう家庭は想像しにくい!と書かれています。確かに……。
シャウトする子ども。
清く正しく見せかけておいて、秘密のことをしてるパパとママ。
(だって夫婦は唯一合法的にそれをしていいことになってる)
あくびする犬。
耳の遠いふりをしてるおばあちゃん。
ドア一枚向こうにある家庭というカオス。
わたしが子どもたちに伝えたいのは、家庭から逃走してもいいよってことです。
家庭というドアの中にいなくても、家族は続いていく。否応なしに。無理をしすぎることはないと思います。
父の日も母の日も、心から感謝の気持ちを持てたら素敵なことですし、でも例えそうでなくても。
夫婦の間にドラマが全く無いのはちょっとさみしい気もします。無い方が平和かな。家庭というのは平和がいちばんのようではあります。
*この岡崎さんのエッセイはもともとは、『思想の科学』という雑誌に載っていたものです。過ぎ去りし1990年(!)