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かつてニキだった踊る熊

 ニキはいらない子だった。

 父母の違う、寄せ集めの13人の兄弟姉妹の末っ子で、地下室で育った。
 『クリスマスの12日間』を歌うのには12人で足りる。

 ニキの毛むくじゃらの身体を見て、母親は正気を失った。

 学校には行かせてもらえなかった。

 暗く狭い地下室で、ニキの手足は育たなかった。


 冬が近づくと兄さんや姉さんたちが『クリスマスの12日間』の歌を練習する。

 ニキは、梨の木もウズラも見たことがなかった。
 真実の愛がくれる光り輝く金の輪も。

 光というものを、ほとんど知らなかった。
 目の高さにある横長の小窓は、外から何かで覆われていた。
 歌に合わせてニキは育ちの悪い手足を動かした。
 ニキは声を持たなかった。

 ある日、家人の誰かが外套を地下室に投げ入れた。

 ニキは乾いた黒パンを食べ、毛むくじゃらの身体の上に、外套を身につけた。

 ニキは目の高さにある横長の小窓を内側から押し開けた。
 木箱を積み上げてよじ登り、身体を窓枠に滑り込ませた。
 手に冷たいものが触れた。
 雪だった。


 真夜中。
 ニキは初めて玄関から家に入り、兄さんの長靴とひと塊りの黒パンを盗んだ。


 ニキは下水の入り口を見つけて、そこから中に潜った。
 やはり地下のほうが馴染みがあった。

 そのうちに地下鉄の線路に迷い込んだ。

 ごうごうという音から逃げまどった。

 地上に出るとまばゆい太陽が、ニキの目を焼いてしまった。
 

 日暮れどき、ニキは劇場前の広場にたどり着いた。

 劇場の中から道化師がふたり現れた。
 道化師はニキに尋ねた。

「光が見たいか。」

 ニキは声を持たなかった。
 ニキの目はうまれて初めて見た太陽に焼かれてしまっていた。

 ニキはうなずいた。
 
「何が待っていたとしても、光が見たいか。」

 もうひとりの道化師が尋ねた。

 ニキはうなずいた。

 ニキは真実の愛がくれる光り輝く金の輪を、見てみたかった。


 道化師たちはニキの長靴を脱がせ、外套を取り去った。

 毛むくじゃらのニキの代わりに、そこには毛むくじゃらの小熊が立っていた。

 ニキは目の前にそびえる木を見た。

 緑美しい木がよく見えた。

 あれが梨の木だろうかと思った。

 ニキは知らなかった。
 それはもみの木だった。
 もみの木は豪奢に飾り立てられ、天使が笛を吹いていた。

 金色の輪が降ってきた。

  かつてニキだった小熊は、踊った。
 あまり育たなかった手足さえ、愛くるしく。

 軽やかなステップ。
 道化師の奏でるバイオリン。
 小熊は踊る。

 つま先立ちで進み、シャッセから跳躍。
 くるくると澄ましたピルエット。

 もみの木に飾られた金色の天使たちが、小熊の目の中で、光の筋となる。
 飛び跳ねると星に近づく。

 赤と緑と金色と。

 かつてニキは一度も回転木馬に乗ったことがなかった。
 くるくると回る魔法のような。
 光の輪の戯れ。
 しゃらしゃらとはしゃぐ笑い声。
 舞い散るシャボン玉。

 かつて無縁だった祝祭のときめき。

 かつてニキだった小熊は光を纏うように踊った。

 お金持ちたちは優しく微笑んでコインを投げた。

 踊り自慢のご婦人がひとり、前に進み出た。
 小熊は立ち止まってお辞儀をした。

 小熊とご婦人は踊った。

 人々は素晴らしいと褒め称えた。

 なんて優雅なワルツでしょう。
 あの短い手足をごらんなさい、可愛らしい。
 まあ、毛むくじゃらの顔の中の賢そうな目。

 小熊にはどうすることもできなかった。
 飛び散る、わずかな飛沫。
 小熊の小さな鋭い爪がご婦人の柔らかな手の皮膚を、傷付けた。

 紳士が前に進み出た。
 ご婦人の震える肩を抱いた。

 よく通る声がこう告げる。
 いけないな、きみ、ご婦人を傷付けては。

「さあ、そろそろ正体をお見せ。」

 紳士淑女の手たちが、小熊の身体をまさぐった。


 縫い目はどこだ。
 ボタンはどこだ。
 継ぎ目はどこだ。

 さあ出てこい。


 もちろん継ぎ目などどこにもなかった。
 小熊はあたたかい内臓の上に本物の毛皮を身につけていた。


「ほんものだ!!」
 誰かが叫んだ。

 非難と憎悪と恐怖が吹き抜けた。


 かつてニキだった小熊は、声を持たなかった。

 小熊は身をひるがえした。
 馴染みの地下への入り口は見つからない。
 黒々と口を開けているのは、劇場の入り口。

 小熊は逃げた。

 劇場の入り口からは警ら係が飛び出してきた。


 小熊を待っていたのは銃口だった。

 放たれた。


 ぱあん。


 かつてニキだった小熊は倒れた。


 道化師たちは飛び上がって、手を打った。

 さあこれが最後の奇跡。

 動かない小熊の身体からは花が咲き始めた。

 道化師たちは花を配った。

 紳士がご婦人にその花を贈った。

 お金持ちの皆さんが、花を手にして慈愛の笑みを浮かべた。

 風に吹かれた花びらは、靴のかかとに踏みつけられた。


 もみの木の天使たちは金の笛を吹く。


 拍手喝采。



 これにてニキのお話は、おしまいです。


《 完 》

 

 
 


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