見出し画像

スマホ組写真について

noteを始めてから、ちょっとしたきっかけで、またちょっとは写真を撮ろうかな、と思うようになった。ただ、「うわーー、キレイ!!」「なにこれ、すごい!!」的な写真は、もういいやと思う。そういうのは過去に追いかけたことがあるし(極めたわけじゃない)、だいたい、インスタとかに溢れている。「きれいな写真」の主役はあくまでも被写体であって、撮影者ではない。どうせ撮って載せるなら、どうしたら写真が「撮影者の表現」たりうるかを追求してみたい。

背景を背景として見せる

これをモットーにやっていこうと思う。うん、これだけだと意味がわからないに違いない。例を示して説明してみたい。

画像1

左の写真の前景(主題)は、水辺(あるいは砂浜)の人影。背景は、海か川(これだけでは断定できない)
中央の場合、前景は流木、背景は同じく海か川
右の場合、前景は砂浜の子供、背景は海(波があるので川ではなさそう)。

こうして背景となる共通項を探っていくと、海、ビーチなどが浮上してくる。そうして掴んだ背景を、読者が想像の中で再構成して、この海、ビーチ全体をイメージしてもらうことが狙いというか、そういう遊びということだ。これはあくまで解釈の一例なので、まったく違った読み方もあるかもしれない。

では、回りくどいやり方をせずに、さっさとその背景とやらの写真を載せればよいではないか。当然そう思う方もいるだろう。試してみよう。

画像2

画像3

上の二枚は、どちらも、ビーチ、あるいは、子供のいるビーチをそのまま写した風景だが、先に示した組写真と比べてどうだろう?ちなみに撮影したのは、どれも同じビーチである。単写真としての二枚は、たしかにビーチを写しているが、どちらも「前景としての」ビーチなのである。そこにはまた違った背景があると思う。

組写真には、撮影者の「背景を想像させる」という意図と、読者の「背景を読み解く」あるいは、「独自に解釈を試みる」という遊び心がある。これは、(短い期間だが)かつて師事した、僕の師匠の写真哲学の、僕なりの解釈だ。「美しい被写体はいらない」といつも師匠は言っていた。

組写真の亜種としてのスマホ組写真

組写真は従来、プリントされた写真を並べることで表現するものだった。が、ガチの写真家でもないと、プリントした写真を大勢に見せる機会というのはほとんどない。現代のデジタル社会では、SNSに公開するというのが、大多数の人たちの写真の楽しみ方だと思う。
僕としては、時代に合わせて、スマホの画面サイズでも、ぱっと見て印象が掴みやすく、シンプルで、絵的にも解釈的にも楽しめる作品を目指し、それをスマホ組写真と呼ぶことにした。このサイズでの表現なので、高級なカメラはあまり意味がなく、コンデジでもスマホカメラでも撮影を楽しめるのも、気軽で良い。noteの画像投稿には、タイトルと説明を入れることができるので、表現力不足を補ったり、読み方のヒントにしたりできるのも良いと思う。

僕みたいな未熟者がこんなことを言ってるのを、あの世の師匠が聞いたら苦笑いするだろうけど、きっと「写真は楽しむことが一番大切だ。それを広めることもいいことだ」と言ってくれるような気がする。

いいなと思ったら応援しよう!