オールオアナッシング沖縄
僕が日本共産党に幾ばくかの好感を持っていたのは、つまるところただ一点、先の戦争との向き合い方である。
その歴史は古い。戦前戦中から反戦を掲げ、同志が拷問にかけられ虐殺されてもなお、戦争への戦いをやめることはなかった。その意気やよし。
結果的に日本共産党は大日本帝国に勝利することはできなかったわけだが、反戦思想を暴力と恐怖によって取り締まってきた大日本帝国もまた連合国による暴力と恐怖にひれ伏すという目も当てられないほどみっともない結末を迎えるわけで、当時の為政者の無能さには呆れ果てるばかりである。
先の戦争の為政者側の問題行動は数多あるわけだが、そのうちのひとつが大本営発表に代表される虚偽と欺瞞である。戦果を水増しする虚偽。敗北を勝利とする欺瞞。先の戦争よりはるか昔から、嘘をつかないことや誠実実直であることは善や美徳として扱われていたはずであり、それを放棄してまで得たものが賊軍という評価である。もっとも彼ら大日本帝国は「勝てば官軍負ければ賊軍」と嘯いていたのであり、それに則っているだけなのだから、これは誹謗中傷にもあたらない。
とはいえ賊軍賊軍と言い募られれば、僕とは異なる性的指向の愛国心の持ち主たちは、おそらく気を悪くするだろうしガチギレすることもあるだろう。大好きなご先祖様のお言葉に盾突く思考と言動たるや、みっともないったらありゃしない。
しかし今回の沖縄県議会の土木環境委員会での出来事は、まるでその当時の為政者を模倣するかのようなみっともなさである。
報道によれば以下である。
双方に言い分があって意見や主張がぶつかり合うのは当然のことであるし、それは健全な民主主義の有り様ともいえる。かつての大日本帝国では、こうはいかなかった。
しかしながら今回の件に関する県政与党会派委員はどうだ。都合の悪い事柄には言及さえしない。大本営発表に等しい愚行だ。
かつての特高警察の暴力に対してならば、また現代の出所もわからぬネットの書き込みに対してならば、この行為もまだ理解できる。
だがこれは曲がりなりにも議会の場である。民主主義の場である。そこでとるべき態度行動ではない。議員は有権者の代表である。ひいては県民の代表である。これが多くの県民の意思だとでもいうならば、先の戦争は起きてよかったということにだってなっていきかねない。
僕は沖縄県民ではなく、父母双方のルーツもかの地にはなく、足を踏み入れたことさえない。
それだからこそ先の戦争の理不尽な犠牲や、現代まで脈々と続く不利益不都合には、内地の人間の末裔として責任を感じるぐらいだ。
しかしそれも、これきりになりそうだ。
沖縄県民ではない僕ができることは、オール沖縄に近い日本共産党への好感を捨て去ることだけである。戦争を是とする思想や、それに繋がり得る行動は、それがどこの誰であっても支持できない。
歴史は繰り返す。
このレトリックはそれがレトリックになる程度には正確なわけである。
正しさを捨て大日本帝国に近づいたオール沖縄が無様に敗北する未来は望むまでもないことであり、僕が願うのはその到来ができるだけ近いことだけである。