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バラの尻つぼみ

 不同意性交等罪という法律がある。去年2023年7月13日に施行された、とても新しい法律だ。
 趣旨はいくつかあるのだが、そのうちのひとつが「13歳以上16歳未満の者に対し、5歳以上年上の者が性交等をすれば、同意の有無に関係なく適用される」というもの。
 まとめるとこういうことだ。

 13歳の者と性交等をした18歳以上の者は、不同意性交等罪になる。
 14歳の者と性交等をした19歳以上の者は、不同意性交等罪になる。
 15歳の者と性交等をした20歳以上の者は、不同意性交等罪になる。

 ちなみに13歳未満の者と性交等をした場合は年齢関係なく不同意性交等罪になるし、16歳とか17歳の者と性交等をした場合は児童福祉法や淫行条例などに違反することが考えられる。
 要は相手が18歳になるまで待てってことだな!


 今回の記事を書くにあたりこの導入を設けようと思っていたところ、「沖縄県内で2023年12月に起きた米兵少女誘拐暴行事件で実刑判決」というようなニュースを目にした。
 この罪状のひとつがズバリ不同意性交等罪であり、まさに16歳未満の者に対する同意の有無を争点にしていた。被告人は相手が16歳未満だと認識しておらず、なおかつ同意を得ていたという趣旨で無罪を主張し、一蹴されたわけである。
 しかしながら今回の記事の趣旨は、不同意性交等罪ではない。
 先だって無罪判決が出された、俗に言うところの紀州のドン・ファン事件に端を発する。


 この事件そのものに口を挟むつもりはないのだが、こういう事件が起きると、結婚にも不同意性交等罪と同様に、年齢差要件を設けるべきだと強く思う。具体的に何歳にするのかは検討の余地があるだろうが、多大な年齢差では結婚そのものを認めないということだ。
 言い切っておく。多大な年齢差がある時点で、真摯な恋愛感情が存在することはまずありえない。
 少なくてもこの夫婦のように、金で釣って金で釣られるという、およそ人間性に欠く関係ができてしまう。まあエコノミックアニマルのつがいと見ればそれでいいのかもしれないが、あいにくここは人間の世界だ。単に誰かに金をくれてやりたいならば贈与という方法があるし、さらに遺してやりたいならば遺言を作ればよいだけのことだ。
 年齢差によって真摯な恋愛感情が存在しないことに異議があるなら受け入れるが、それならそれで結婚というかたちを取る必要はない。同性婚が認められていない時点で、この国は婚姻関係によって真摯な恋愛感情を担保しようとなどしていない(これについては福岡高裁が違憲判決を出したわけで、今後の趨勢が注目される)。また多大な年齢差がある時点で男女どちらかは出産適齢期が過ぎ去っているはずであり、そんな夫婦が誕生したところで出生率の上昇は望みにくいことからも、なんちゃって保守層も賛意を示すだろう(まあすべてにおいてなんちゃって保守層には何の期待もできないけれどな)。


 こうなると逆に、結婚という制度の必要性と必然性が疑問である。
 バージェスという社会学者は、「制度から友愛へ」というような言葉で、近代における家族観や結婚観の変化を指摘したわけだが、たとえ結婚という制度がなくなったとしても、愛し合う者同士が繋がるという営みは半永久的に続いていくはずだ。
 むしろこの営みは有史以前から友愛を端緒にしたはずであり、それが「友愛から制度」になった瞬間があったはずであり、それこそが結婚という制度の発現だったはずだ。その制度を強固なものにするために夫婦であることによる社会的保障のようなインセンティブが設けられ、相続権も生まれてきたのだろう。
 それによって近代以前のかたちではあるものの、社会が強化されてきたことは事実である。
 そして現代ではそれを悪用しようとする者も登場し、悪用しようとしたと疑われる者も出てきてしまう。
 今となっては結婚という制度をなくすことこそ困難である。となるとその制度の改良が必要だ。過去に戻って先祖をぶん殴れない以上、あるべき未来のためには現在を変えないといけない。今際の際に「バラのつぼみ」と悔恨する者も、減らせることだろう。


 蛇足だけど、無罪判決が出されたこの人の相続権は確保されるのかね。
 前提として民法上、被相続人を殺害した相続人は相続欠格として相続権を喪失するわけだが、刑法的にこの人はシロだとされた。もちろん今後控訴審がなければの話だが。
 だが刑法と民法で判断が分かれるということはままあるわけで、刑法的には無罪だけど民法的には損害賠償責任を負うとかいう頭こんがらがる司法判断はこれまでにもあったから、法廷でこの人が証言しているように目的である遺産を手にできるのか、まだわかんないよな。

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