都知事選挙結果
都議補選(品川区)については三連単が予想どおりだったわけだが、知事選の連単を外すとも思わなかった。
現職の三選よりよほど驚いているし、我ながら人のことも世の中のことも見る目がないのだなとげんなりもしている。
選挙がネットを駆使する時代になったというのはまあいいが、どうにも度し難いのは候補者の主義主張に金銭的対価が発生することだ。
これこそが、僕が候補者をネットで調べない一番の理由といってもいい。個人献金ならばいざ知らず、街頭でビラを配って金が入るわけじゃなし、演説を聞いた人がおひねりを寄越すわけでもない。好悪はさておき、なぜその人を調べただけで、その人に金が入るしくみができてしまったのか。
アテンションエコノミーは人間をエコノミックアニマル化させるだけなのだが、主客とももうそれが当たり前になっているというか、それで肥る・肥らせることには抵抗がないのだろうな。エッセンシャルワークが軽視されるのも自明の理だ。
さておき、前の記事で自分と約束したように、選挙予想は今回でやめにしよう。
そしてこの動物だらけの世の中でどう生きるかを、改めて考えないといけなさそうだ。
人間を捨てて己が動物化するのは容易い。だが自らが獣に成り下がるぐらいなら人間のまま獣に食い殺されるほうがマシだという気持ちもまだある。
家畜とは別の方向性で家畜の支配者に嘲られてもなお、僕は家畜にならずにいたいものだが、畜生の群の中で人間としての正気を保って生きることの困難さもひしひしと感じている。嫌な時代だ。
too lateというのは僕の人生を象徴するような言葉だが、僕は生まれてくるのも死ぬのも遅すぎたのだろう。