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異常性バイアス

 芸能界に疎い僕にとってこの人は、「名前は見た覚えはあるが、写真見せられても当てられる気がしない」レベルでしかない。
 とはいえ誰でもあっても理不尽な事件の(たいていの事件は理不尽だが)被害者になれば同情もするし、加害者への嫌悪や憤慨を抱くものである。
 だが、この報道はどうだ。


 リンクが切れてもいいように抜粋しておくと、以下である。

日本人ならばまず、こんな行為をすることはなかろうが、容疑者は外国籍。出て来た小嶋を見て、何も考えずに体が動いてしまったのではないか。

2024年10月29日 17:59 アサ芸プラス(高木光一)

 先に中国で日本人の子どもが襲撃されて殺された事件でも、僕を含めて犯人の中国人に対し同国人としてとして怒りを覚えた日本人は少なくないだろうし、このような民族性バイアスとでもいうようなものは間違いなく存在する。
 しかし、日本国内で起きた今回と同様の事件のすべての犯罪者が外国籍であるというエビデンスは聞いたことがない。確率の話ならば日本人が日本人に対して行う犯罪のほうがはるかに多い。「日本人ならばまず、こんな行為をすることはなかろうが、」という言い分は、もはや異常性バイアスと呼ぶべきだろう。


 この異常性バイアスは古今東西いつだって存在するものであり、「男だから」「女だから」「精神障害者だから」など、いくらでもこじつけができる。性別的異常性バイアスとか、障害的異常性バイアスと呼んでもいいかもしれない。
 そして昔以上に情報の正確性が担保されている現代でもこの傾向が留まることはなく、むしろディープフェイクなどの技術の発展が拍車をかけつつある。
 結局は誰しもが自分の信じたいものだけを信じ、信じたくないものを否定することで自己を保ち、同様の価値観の者と結合を繰り返すことでその意識を盤石にしていく。これに地域的歴史的な営為が加わることでより強固になっていく。そしてできあがるのが今回のような民族性的異常性バイアスといえる。


 善人も悪人もそれが国籍に直結する理由はひとつとしてなく、まして同国人ならば絶対に間違いを犯さないというのは根拠にも思慮にも欠けるのだが、そういう当たり前のことが、まともではない人間にはわからないのかもしれない。
 つくづくまともに生きるのってつらいね。

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