稲荷様のおくりもの【ショートショート】

私はパン屋でバイトをしている。

商店街の小さなパン屋だ。

昨年は売れ行きが良くなく、とうとう店主は正月も店を開けると言い出した。

私の実家は遠い離島だし、お金もかかるから里帰りしない。

寝正月にしようと思ってた。

でも、店主は私に頭を何回も下げて頼んできた。

「1月2日、お願いだから出て!」と…。

冗談じゃない。


私は寝正月にしたかった。

休みが終わればまた大学の課題が忙しくなる。

実家に帰れば親戚はたくさんいるし、兄妹の家族もぞろぞろやってきてあまり休めない。


食事の用意やら、買い出しやら手伝わされるに決まってる。

だから正月は一人アパートで休みたかった。

だけど…店主のおじさんも気の毒だ。

売上げは減っているのに、私達バイトを良い待遇で雇ってくれている。

パンやスイーツを持たせてくれるのもしょっちゅうだ。

結局、私は渋々バイトに出ることにした。

店主への日頃のお返しだ。

だが、楽観的に考えることにした。 

正月だ。皆おせちを食べるだろう。

うちのパン屋に来る人は少ないんじゃないかな‥。


客が少なければ、バイトだって楽なもんだ。

そして元日の夜、つまりバイトの前日…私は友達とお酒を飲んでいた。


「えー!明日バイトなの!?」友達が言う。「どんだけ頑張るの?」


「最低よ!私‥寝正月したかったのに」そう言ってお酒を飲む。


「お客さん、少ないといいね。忙しかったらせっかくの正月が台無しね。神様にお祈りしときなよ」

友達の冗談で私は思い出した。

確か、アパートの裏に小さな稲荷様がある。


誰も手入れせず、くすんで、朱色は剥がれて気味悪いくらい寂れてる。


酔っていた私は、願掛けすることにした。


小さなパック牛乳と、油揚げを持ち出し、友達と寂れた稲荷様のところへ来た。

「何ここ!こわっ!」友達が言う。


「初詣よ、初詣。明日のバイトの無事を祈るのよ」

私はケタケタ笑いながら、牛乳と油揚げを供えた。

さらに、気前よく千円札を賽銭箱に入れた。


酔って手に持っていたのでくしゃくしゃだ。


そして、私と友達は素っ頓狂な声で願掛けした。


「明日のパン屋で、最高のシフトが過ごせますよーに!」


そして、ケタケタ笑いながら帰った。

結局は日が変わるまで飲んでいた。


1月2日。
バイト当日、私は二日酔いの頭をさすりながら、パン屋に着いた。


そしてギョッとした。

パン屋には見たことのないような行列が開店前から並んでいたのだ。

私は店に入る。

店主が、青ざめた顔をしていた。

「人気ラーメン店じゃあるまいし‥なんてことだ!かおるちゃん、ごめん、すぐにレジ立って!」



店主に言われ、私は慌てて準備した。


最低だ、こんなことなら何が何でも休めばよかった。


開店からは地獄だった。

店主と私しかいないが、客は全く途切れることなく、行列を作っていた。


次々と売れるパン。

売り尽くしてしまうと、客達は「次が焼き上がるまで待つから、売って欲しい」と口々に言う‥


正月よ!?パンを食べる以外にも他にやることあるでしょう!と私は心の中で叫んでいた。


休む間もなく働いた。

食事もろくに取れず、出来損ないのパンをかじっては働いた。


結局、怒涛のラッシュは夜の閉店まで続いた。


最低だ…やはり忙しくなってしまった。

今まで感じたことのないほど、忙しく、辛かった。


店主は言った。

「かおるちゃん、過去最高売上だったよ…一体何があったんだろう…地元のテレビ局に紹介された時すら、こんなことはなかったのに」

「ええ。もう、死ぬかと思いましたよ!」私が、へそを曲げて言う「良かったですね、店長!」

「怒らないでよ…ぼく、キッチンの方片付けてくるね」

店主はそう言って消えた。

その時だった。

閉店間際に一人客が来た。


すらりと背が高く、和装姿だ。

和装姿と言っても‥神社で神主さんが着ているような狩衣だ。

頭には烏帽子を被っている。

髪は銀色というか、陶器のような色をして長い。

顔は鼻筋が通り、切れ長の目をしてすごく…イケメンだ。

何かのコスプレだろうか。

謎の男はレジに来ると、くしゃくしゃの千円札を取り出した。

「この金で買えるだけの品物をくれ、何でもいい」

私は、「変なの」と思ったが、食パンや惣菜パンを千円分詰め込んだ。


そして、謎の男に渡す。

「これはせめてもの礼だ」男はつぶやいた。

「はぁ?」

「本当は口にしてはいけないが…あまりに嬉しくてな。何年も放置され、誰一人供物はおろか、祈りすら上げてくれなかった」

男はじっと私の目を見て話す。

瞳が薄い青色をしている。


「もはや、このまま朽ち果てるだけかと思っていた…。じっと時が過ぎるのを待っていると…明るい女の声がした」

私はギョッとした。まさか…


「楽しげに騒ぐ女どもは、新鮮な牛乳と天ぷらを供えてくれた…馳走になった…。そして、元気な声で詣でてくれた。久しく人の優しさを忘れていた私は、気が安らいだ。年始から、めでたき時を過ごせた…感謝する」


私は呆気に取られていた。

まさか、あの時酔っ払って願掛けしたお稲荷様が…

「お前の望み通り、最高の売上と、繁盛を授けた。私は商売の神でもある…容易いことだ」


いや、違う。そうじゃない。
そうじゃないのよ、稲荷様。

私は暇で退屈な最高のシフトにしてほしかったのだ。


余計な願掛けをしたせいで、ひどい目にあった。

だが、その稲荷様を気取る男は、してやったりと思ってるのか微笑んでいる。

私は思った。

ここで、私が「違う、そうじゃない」と言っても傷つけるかもしれない…。

私はぎこちなく笑顔を作り礼をいった。
「ありがとうございました…」


「礼には及ばん」稲荷様が微笑む。トンチンカンなことを除けば…顔は言う事ないのに。

「お前は『かおる』と言ったな。覚えておくぞ…。大儀であった」そう言って、稲荷様は踵を返し、店から出ていった。

自称稲荷様が帰ったあと店を閉めた。

私は1月2日をやはりバイトで台無しにされた。

だが、店主からは特別ボーナスをもらい、お土産にパンやスイーツももらった。

私は帰り際、牛乳と油揚げを買った。

今回の御礼をしようかと思う。

だが、トンチンカンなイケメン稲荷様のことだ。

また勘違いをさせて、見当違いのご利益が来ても困る。

私は稲荷様にお供物をするか、それともやめておくか…悩みながら帰路につくのだった。

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