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人間たちよ、AIの天然をおもしろがっていられるのも今のうちだ

最近、ついつい生成AIの動画を見てしまう。

人間には思いつかないような、突飛な解釈や、とんちんかんな展開がおもしろい。

しかしそれがなぜ魅力的なのかというと、それが今しか楽しめない、ほんの束の間のエンターテインメントだということを、みんな知っているからだ。

かつて、特撮映画とかテレビゲームとか、テクノロジーに依存した娯楽は、「今」が最高で最新だった。その先は見えなかった。想像がつかなかった。

例えば『イー・アル・カンフー』を遊んでいる時は、それがマックスだった。テレビで対戦格闘ゲーム(そんなジャンルもなかったが)ができるというだけで新鮮だった。将来ポリゴンとかVRなんてものができるなんて、ほとんどの人が予想してなかった。せいぜい腕時計型のテレビがあればなあと思っていたくらいだ。

しかしAI動画については、AIがどんどん賢くなっていることをみんな知っている。今日楽しんでいるとんちんかんなAI動画は、来月にはもう誰も見向きもしないだろう。来年にはもうみんな忘れているだろう。

『ブレードランナー』のレプリカントではないが、人が作った動画と区別がつかなくなる日は必ず来る。

かつてナンシー関は、天然ははかない、と言った。天然ボケ型の芸人は、自分の何がウケているのかに気づき、それをコントロールしようとしたとたんに、面白くなくなる。

今日も朝から2、3本見てしまった。しかし、時間の無駄だとは思わない。時間をやりくりして観るようにしている。

AI動画の天然を楽しんでいられるのは、今しかない。

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