個人的な、あまりに個人的な【日本語】個人的な
なんだか最近「個人的」というフレーズを、以前より目にし、耳にするような気がする。
「個人的にはこう思う」「個人の見解です」「個人的ベストアルバム10選」などなど。
自分もよく使うけど、個人の発言はすべて個人的なものだから、わざわざ断る意味がない、ということは皆さんご承知の上だろう。
なぜ、それでもあえて言うのか。
要はオブラート効果なのだろうと思う。意見の押し付けや、断定と思われないように、という配慮だろう。
逆に言うと、強い言葉に「個人的」をつけると、ソフトにできるのではないか。
実験してみよう。
たとえば、個人的な強盗。
状況はよく分からんが、犯罪にはなりそうだ。
個人的な拷問。
自傷行為ということだろうか。普通の拷問より陰湿な感じもする。
個人的なテロ。
組織的な背景のない、単独犯ということだろうか。だがテロはテロだ。
個人的な戦術核兵器。
自宅で自作したのだろうか。ヤバすぎる。
個人的なビッグバン。
唯一神による天地創造だろうか。もはやオブラートに包むとか、そういう次元じゃないだろう。
というわけで、「個人的な」のオブラート効果は、危険物やスケールの大き過ぎるものには使えない、ということが分かった。
これからも意見とか、見解とか、ベストアルバム10選とかに使っていくのがよろしいかと思います。