予測できないということを享受するということ【音楽】ボン・ジョビとパール・ジャム
最新のロックをシャッフル再生していて、「ボン・ジョビっぽいバンドだな〜だいぶシブいけど」と思って、アーティスト名を確認すしてみたら、なんとボン・ジョビだった。
しばくして、「パール・ジャムみたいなバンドだな〜ずいぶんブルージーだけど」と思ったら、なんとパール・ジャムだった。
考えてみると、ボン・ジョビやパール・ジャムをリアルタイムで聴いてたころって、自分でそれを聴きたいと思って、CDやテープやMDをケースから出して、プレーヤーに入れて聴いてたわけだから、聴いてる曲のバンド名が分からない、ということは、そうそうないことだった。
ラジオや有線の場合はもちろん次の曲を予想できなかったけど、音楽鑑賞としては特殊な状況だったと思う。
「これをいまから聴くぞ」「あれが聴きたい」と思って聴くのと、次から次へと聴いたことのない曲が流れてくるのとでは、鑑賞のスタイルとしても心持ちのあり様としてもずいぶん違う。
自然現象の観察、統計、占い、歴史の探求などさまざまな鋭意によって、人類は予測不可能な森羅万象を予想しようとしてきた。しかし音楽鑑賞に関しては、シャッフル再生という技術の実現によって、予測不可能性を獲得したわけだ。
人間の貪欲さってすごい。
今度は「オフスプリングにしては落ち着いてるな〜なつかしいけど」と思ったら、またパール・ジャムだった。
そうか、アルバム出したのか、パール・ジャム。
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