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【雑感】冒険の醍醐味(J.R.R. トールキン『ホビットの冒険』)

Inzwischen war es höchste Zeit für ein Frühstück, und weil sie sehr hungrig waren, nahmen sie sogar mit dem vorlieb, was sie in der Speisekammer der Trolle gefunden hatten. Ihre eigenen Vorräte waren knapp geworden. Immerhin hatten sie nun Brot und Käse, Speck, den sie in der letzten Glut des Trollfeuers rösten konnten, und reichlich Ale.
そうこうするうちに朝ご飯の頃合いになり、みんな腹ペコでしたから、トロールの台所からせしめたもので我慢するほかありませんでした。準備していた食料は、もう底をつきかけていたのです。ともかくパンとチーズ、それからトロールが残していた熾火であぶったベーコンと、たっぷりのビールをみんなでたいらげたのでした。(p.66)

J.R.R. TOLKIEN / Der HOBBIT oder Hin und zurück (1937, 1965)

ガンダルフの機転で3人のトロールを石にしたあと、一行(13人のドワーフと1人のホビットと1人の魔法使い)はトロールの洞窟を見つけ、家探しする。そこはひどい匂いで、犠牲者たちの骨や着るものや武器がそこかしこに散らばっている。その中から高価そうな武器や金貨の入った壺を手に入れ、食料を持ち出し、みんなで朝食に取り掛かる。

これが冒険ファンタジーの醍醐味だ(私見)。

その世界に巣食うモンスターたちにも生活があり、来歴がある。

モンスターたちとの出会いや戦いのあとには、「5ゴールドを手に入れた!」「宝箱を落としていった!」では片付けられないものが山のようにあるはずだ。

ホメロスの『イーリアス』を読んでいると、1回しか登場しない兵士1人1人にも名前はもちろん来歴があり、どこから来た誰の子なのかが述べられ、倒されると装備品を剥ぎ取られ、あるいは仲間が命をかけてその尊厳を守るため、死体を確保しにやってくる。

私がゲームをしなくなったのは、技術の進歩でビジュアルがリアルになったぶん想像の余地がなくなり、不自然さが目立つようにもなったからだと思う。

たとえばファミコン版のドラクエには、冒険をしているという実感が確かにあった。

「ドラゴンはひをふいた」と表示され、原始的電子音で構成されたSEがなった時、僕の心の目には燃え滾る炎が確かに見えたし、キャラクター達が喋る言葉は、短さやシンプルさのおかげで、どこか侘しさや秘さを纏い、一言一言がとても重要な呟きや囁きの ように見えた。当時は仕方なく迫られたかもしれない たストイックな数々の要素が、全て良い方へと作用したのだ。 これが日本のファミコンRPGの始まりだった。(p.137)

ユリイカ2009年4月号 特集=RPGの冒険 泉和良『変身するRPG』

最近公開されたドラクエ3のリメイクの画像では、遮るもののない晴天の大草原で、あるいは隅々まで照らし出されただだっ広い洞窟で、勇者たちがモンスターたちと会敵している。

そこに至るまで、お互い何をしていたのだろうか?

斥候を出していなかったのか、待ち伏せしなかったのか、罠を仕掛けなかったのか、誰も飛び道具を持っていなかったのか。お互いそこまでのこのこ歩いていって、「せーの」で戦闘を始めたのだろうか。

戦闘時、装備している武器ごとにビジュアルが変わるそうだが、寝袋や食料は誰が持っているのか。

それはもちろん全部「ふくろ」に入っているのである。「ふくろ」って。四次元ポケットじゃないんだから。

……でも、「ふくろ」なかったら困る(おい)。

やはり人はリアリティより、便利さを優先してしまう生き物なのだろうか(どないやねん)。

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