8月某、旅行記①
8月某日、午前8時半、名古屋鉄道、快速特急新鵜沼行き。そこから、私と彼との小旅行は始まった。
車内で何の変哲もない会話を楽しみつつ、彼は軽食をほおばり、私はスマートフォンを触ったり、眠そうにしている。
彼と行く小旅行は専ら彼のもつ鉄道趣味に付き合わされることになるが、彼とだから、私は何だかんだ毎回楽しんでいる。彼にもそれと同じくらい、行きたいところへ連れて行ってもらっているし、今回もいつも通りの旅路だ。
私たちの旅行といえば、移動手段は鉄道になることが常である。それは今回も例外でない。
今回の旅の最大の目的は夜の鵜飼見学であるのだが、それは鉄道会社の日帰りツアーで鵜飼プランがたまたまあり、たまたまお互いが興味を示したからであった。
ツアーの申し込みをしに窓口へ行くと、どうやら政府のキャンペーンの対象だったようで、2000円以上も割り引かれた価格で購入することが出来た。ごく普通の家庭の、むしろ日頃はお金に困りがちな私たちは、ただそれだけのことでも幸福を得ることができた。
午前9時ごろ、犬山駅到着。朝といえども夏の暑さは厳しく、暑さに慣れない私はうだり始めた。体に突き刺さるような鋭さを持った日光に晒され皮膚はじりじりと燃え、体内が火照り始める。日陰に入ると幾分か暑さは和らぐように感じられたが、妙な湿気と熱気を持った空気が体の周りに纏わりつき、いやな汗を噴出させた。乗継電車は発車時刻の数分前に到着した。車内の冷えた空気が私を迎え入れ、夏に疲弊した体を癒してくれた。
前日の私の心は、明くる日のことを考え浮足立っていた。彼とは未だ住処を別としていて、毎日のように会える環境ではない。私の性質を知っている彼は何かと気にかけてくれ、頻繁に顔を合わせていた。それでも彼を自分ひとりのものに出来る時間というのはそう多いものではない。それが可能な日は私にとって大きな意味を持っていた。そうして枕元で踊る心のままに時は流れ、結局あまり眠れぬまま朝を迎えた。
電車は心地良いものである。前日の疲れが十分とれぬまま夏の快晴に挑んだ私は、早くも自分の体力の限界を感じ始めていた。自身の体が休養を欲していることを察知するや否や、私は眠ることに意識を集中させた。彼の肩口に頭をもたれ掛からせ、電車の奏でる音楽とダンスのリズムに身を任せる。電車は心地良い。彼の隣だから、心地良いのかもしれない。
午前9時半を回った頃。県境をほんの少し飛び越えた私たちは、灼熱の中を歩いていた。日差しが人間を死に至らしめようと画策しているように思える。たまに太陽を覆い隠す雲たちは、人間を守ろうとしているのであろうか。私が神であったとして、太陽か雲かの味方をしなくてはならないならば太陽の味方をするであろう。
しかし、実際は神になぞなれはしない。神がこの世に存在しているわけでもない。大昔の人間が、自然の脅威や疫病に直面した時、人間の力ではどうにもならぬ事態に直面した時に創り出した空想上の、生物といえもしない何かが神である。生物でもなく、存在もしないのだから神に意思などある訳はない。それを現代でも事あるごとに引っ張り出し、崇めているのは何故なのか。
人間が死に直面した時、自身の命が幾ばくも無いと知った時、縋るのは神だと誰かは言う。それも一体何故なのか。
私自身の心の内にも、宗教的な建築物や慣習に触れた時、厳粛な、畏敬の念が浮かび上がってくるのを感じる。自分でさえわからないその心の動きを、なかなか解明することは難しい。だが、私は神ではなく人間で、人間は考えることが出来る。生きることは考えることだ、と誰かがそう言っていたような気がする。毎日とりとめもないことを考え、伝え切ることに能わない言葉たちを羅列し、生きるために足掻き、最後は神に縋って死んでいく。それが人間なのかもしれない。
道中、民家の庭先で整えられた木から蓑虫が垂れ下がっていた。虫たちにとってはもう秋なのだろうか、田んぼ道の端からは蟋蟀の声もする。真夏と初秋のグラデーションの中を歩いているようで、少しの涼風が体内を駆ける心地がした。
午前10時。名鉄資料館着。20数分歩き続け、滝のように汗をかいた私たちを膨大な資料とひとりの担当者が迎え入れてくれた。来たる疫病対策のために、この時間には私たちしか観覧者はいない。辺鄙な土地にある上、土日は開いていないとのことだったので観覧者もかなり少ないと思っていたが存外いるらしく、この日の午後はまた別の観覧者が来るらしい。
資料館の中には鉄道車両の過去写真や鉄道史料、個人保管されていたと思われる明治・大正・昭和時代の切符、雑誌、歴代の制服や鉄道部品など鉄道史のありとあらゆる資料が詰まっていた。発行されて100年が経とうとする、昭和初期の切符であっても、100年前から存在すると思えぬ綺麗さで私の眼前に置かれている。当時これを手元に置いていた人は、たった切符1枚であっても大切に保管していたのだろう。人間の何かを思う気持ちはいつになっても不変で、貴いものである。
その後、彼が好きな部品や、好きな車両の写真を見ている様子を私は微笑ましく眺めていた。彼は担当者と過去に走っていた鉄道の話や部品の話をしている。彼からもだが、担当者の話しぶりからも鉄道への愛着を感じられる。担当者は以前鉄道の運転手をしていた経験があるらしい。2人の記憶には鉄道と切っても切り離せない思い出があるのだろう、あの車両が、あの撮影会が、と話はどんどん膨れていった。私もこれから、彼との記憶と同時に鉄道との記憶も膨大になっていくのだろう。私にとって彼と過ごす時間は、鉄道に目を向け思いを寄せる時間になり得る。
退館時間となり、私たちは資料館をあとにした。時刻はほぼ正午、太陽の熱気は勢いを増して地面を焦がしている。流石にここから歩くことは難しいと感じた私の強い要望に応じる形で、帰り道はタクシーを使うことにした。昼ご飯を食べられる場所が行きで降りた駅周辺にはないらしく、別の少し規模の大きな駅まで向かう。車内で改めて見る、彼の満足げで楽しそうな顔が私の心を満たしていった。