難病患者による腎移植の体験談
2022年12月、私は母から腎臓を提供してもらい、腎移植手術を受けました。親子での移植という特別な経験は、感謝や不安、希望が入り混じった複雑な気持ちに包まれていたことを今でも覚えています。
今回は、この手術の体験を振り返り、皆さんにお話ししたいと思います。
入院と最後の透析
12月18日(日曜日)
腎移植のため、日曜日の午後に入院。
入院時には大量の水が必要で、荷物が多くて大変でした。この水は手術後、移植した腎臓の機能を十分に発揮させるため使います。
当時、私は透析を受けていたため、翌日に移植前の最後の透析が控えていました。
日曜日に入院、月曜日に透析や事前説明、火曜日に手術、という流れです。
12月19日(月曜日)
透析室に向かう廊下を歩きながら、「これが最後の透析だ」と感じたときの安堵と、手術への不安が入り混じる独特の感覚は今も忘れられません。透析が終わった瞬間は、いつも以上の解放感を味わいました。
その後、手術前の説明や、術後の生活に関する説明があり、「この手術で本当に生活が変わるんだ」と思うと、この日の夜はなかなか眠れませんでした。
手術当日と術後の痛み
12月20日(火曜日)
手術当日、手術着に着替え、心拍が速くなるのを感じながら、母と一緒に手術室へと向かいました。手術台に横たわり、医師や看護師が準備を進める様子を見ていると、「無事に手術が終わってほしい」という思いと、全身麻酔に対する不安が込み上げてきました。
次に目を覚ましたときには、すでに手術は終わっており、HCU(高度治療室)に運ばれていました。お腹には手術した部位からの出血などを外に出すための管が、首には点滴のための管が挿入されていました。
意識がはっきりしてきた夕方、傍らには父がいて、「お母さんも無事に終わったよ」と告げられた瞬間、体の力が抜け、ようやくホッとしたのを覚えています。
しかし、その夜から予想以上の痛みに襲われました。
麻酔が切れ始めると、手術箇所が火で炙られているかのような焼けつく痛みが続き、鎮痛剤を投与しても効果が感じられません。寝返りも打てず、息を殺して耐えるしかない時間が永遠に続くようで、ただ夜明けを待つことしかできませんでした。
回復とリハビリの始まり
12月21日(水曜日)
翌朝、痛みが少し和らいでやっと安堵を感じられたものの、「この痛みがどれくらい続くのだろうか」と不安がよぎりました。
また、HCUでの時間は想像以上に孤独でした。
スマホの持ち込みができないため、家族や友人と連絡を取ることもできず、唯一の娯楽は病院から借りたラジオのみ。ラジオから流れる音楽やアナウンスはわずかな気晴らしになったものの、何もすることがない時間の長さが辛く、ただベッドに横たわり、ひたすら回復を待つ日々が続きました。
12月23日(金曜日)
この日、状態が安定してきたため、一般病棟の隔離個室に移りました。医師から「退院は年内になる」と聞かされたものの、まだ歩くことすらできない状態だったので、内心「本当に退院できるのか」と不安が募りました。
その後、体重を測るため立ち上がると、数秒立っているだけで強い痛みが走り、立つことがこんなに難しいのかと愕然としました。
また、この日から移植腎の機能を維持するために、毎日1.5~2リットルの水分摂取が始まりました。透析中の水分制限とは真逆の生活で、意識して水を飲むことも少し大変でした。
予期せぬ出来事
12月25日(日曜日)
クリスマスの日には、看護師のサポートのもと少しずつ歩けるようになり、退院に向けて、着々と体力が回復しているのを実感しました。
12月26日(月曜日)
手術後の状態が安定してきたため、お腹や首に挿入されていた管が外されました。医師から「今週末には退院できる」と告げられ、退院が近づいていることに少し安堵。
しかし、二日後に予期しない出来事が起こります。
12月28日(水曜日)
朝から体がだるく、寒気を感じたため体温を測ると38度。思わぬ発熱に、移植した腎臓に何か問題があるのではないかと不安になりましたが、医師からは「術後の免疫低下で風邪を引くことは珍しくない」と説明され、少し安心しました。
その日のうちに熱は下がったものの、念のため経過を見るため年末年始も病院で過ごすことになりました。
年末年始の入院生活と退院
12月31日 (土曜日) 1月1日 (日曜日)
大晦日の病院は人が少なく、静かな年越しを看護師さん達と過ごしました。
病室の窓から見える初日の出を見て、「ここから第二の人生が始まるんだ」と強く思いました。
お正月らしい病院食をいただいたのも、心に残る良い思い出です。
徐々に体力が回復し、一人で歩けるようになると気持ちも徐々に前向きに。日ごとに体調が改善していくのを感じ、リハビリにも力が入りました。
1月10日 (火曜日)
三連休明けの火曜日、ついに退院の日を迎えました。
退院の際に感じた解放感は今でも鮮明に記憶に残っています。
退院後の生活
退院後の試練
退院後は体力が落ちていることを実感し、無理せずリハビリを続けました。
薬の管理も今まで以上に意識しなければなりません。朝と夜に欠かさず薬を飲み続けなければ、移植した腎臓が拒絶反応を起こしてしまうからです。
また、移植後半年間、寿司や刺身などの生魚が感染リスクのため、食べられなかったことも辛かったです。食べられないと思うと余計に食べたくなり、その制限もまた移植後の試練の一つでした。
現在
今は移植した腎臓の数値も安定しています。もちろん、移植しても難病のSLE(全身性エリテマトーデス)が治るわけではないので、引き続き健康には注意しながら生活を送っています。
手術の傷も大きく残っていますが、透析をしていた頃と比べて体調は良くなり、日常生活の質が大きく向上したことを実感しています。
まとめ
今回の腎移植を通して、母への深い感謝の気持ちが心に刻まれました。術後の痛みやリハビリ期間を経て、健康であることと透析から解放されることのありがたさを痛感しています。
母から受け取った命を大切にし、感謝の気持ちで日々を過ごしながら、今後も前向きに生きていきたいと思います。
この記事が、今後手術を受ける方の参考になれば嬉しいです!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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