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#011. ぼくらの七日間戦争-補足

こんにちは、まさやです。

いつも、ご聴取頂き有難う御座います。
 
音声配信「ぼくらの七日間戦争」の回で話題になった通り、最近では映像にせよ音楽にせよ、「子供 vs 大人」という二項対立が描かれることが少なくなったと感じています。
 
人が成長する過程において、必ず通る道であり、健全な心の発達において必要なこと、とされていた「反抗期」ですが、現代の子供達には必ずしもこれが存在せず、親が適切な態度で接している限り、子供達はいつまでも親と仲良しでいてくれる、とする説もあるようです。

我々世代が子供から大人に変わる頃、大人社会を敵視し、若者の心を代弁していた「十代のカリスマ」尾崎豊も、現代の子供達には理解できない、ともいいます。当時あれだけあった、所謂「ヤンキー漫画」なども、今ではすっかり見かけなくなりました。
 
 
この大きな方向転換について、まず、我々世代と「現代」の境界線はどこにあるのか、いつから、何をもって「現代」とされるのか、を考える必要があります。旧石器時代と縄文時代の境目が「土器の出現」であり、縄文時代から弥生時代への移行が「稲作」によってもたらされた、と認識されている(諸説あります)ように、「現代の若い人」はいつから出現したのか、そのきっかけは何だったのか、を整理しておく必要がありそうです。

その答えのひとつとして、私は、「中二病」という言葉の出現、が大きな影響を持ったのではないか、と感じています。
 
Wikipedia先生によれば、「中二病」は以下のように説明されます。

中二病(ちゅうにびょう)とは、「(日本の教育制度における)中学2年生頃の思春期に見られる、背伸びしがちな言動」を自虐する語。転じて、思春期にありがちな自己愛に満ちた空想や嗜好などを揶揄したネットスラング。(中略)なお「病」という表現を含むが、実際に治療の必要とされる医学的な意味での病気、または精神疾患とは無関係である。


中学2年生という時期は、心と身体が急激に発達していく中で、時にそれがバランスをくずすことで、頭の中が夢見がちになったかと思えば、急にムカついて攻撃的になり、何かあるとすぐキレたりするのですが、その感情の発端がどこにあるのかは分からない、というストレスが蓄積していく、無限列車編です(但し、自覚症状は少なめ、本人は意外と楽しそうだったりもします)。
 
因みに私は、相方のヤマヘイ君が中二の時に、昼食でペペロンチーノ・スパゲティを作ってくれたお母様に対し、「具がねえじゃねーか!」といってキレた、という話が大好きです。
 
 
前述の通り、我々が中学2年生の頃には、「中二病」という言葉はありませんでした。

この言葉が定義され、一般化していくにつれ、我々が悩まされていたあの症状に病名が付き、そうかあれは「病気」だったのだ、と認識されるようになりました。
 
病気が発見されていない状況では、当然に無防備なわけですから、今より多くの子供達が罹患していました。昔の天然痘や、結核のようなものです。「理由なき反抗」の理由が病気だっとは、ジェームズ・ディーンもびっくりでしょう。「仁義なき戦い」、、、は、本稿ではあまり関係がありませんね。「家なき子」、、、は、また別の機会にお話しします。

さて、「中二病」という病気が発見され、病名がついたことによって、同時に専門家達の間で、薬やワクチンの開発が進んだのかも知れませんし、マスクや手洗いのように、なんらかの予防によって、感染確率を下げることも出来た、というのが、私の仮説です。

ここでいう薬とは、親や先生からの積極的な声がけだったかも知れませんし、ここでいう予防とは、子供達本人が小学生の頃から「中二病にはなりたくない」と意識し、その症状を正しく理解して、早めのパブロンよろしく、友達同士で注意しあう事だったのかも知れません。

ネットの普及により、このキャッチーな病名と症例が拡散されると共に、このやっかいな病気への対処法も、共有しやすくなりました。
 
これが、現代の子供達の罹患率を下げ、あるいは症状を軽減し、無防備だった我々の世代と比べ、素直で大人しく見える子供達が増えた理由なのでは、と思うのです。我々の世代では、いったん感染すると、あっという間にステージ5まで到達する、という状況でしたから。

 
ここでは、中二病や、反抗期の有無について、その是非を問うつもりはありません。

でも、麻疹や、おたふく風邪などは、大人になってからでは重篤化しやすいので、やるなら小さい頃にやった方がいい、と聞きます。つまり、若いうちに、身体の中で抗体を作っておく、というのもひとつの戦法なのかも知れません。

当時、「中二病」の罹患率が高かった我々世代は、それこそ「集団免疫」を獲得した、とも言えるのではないでしょうか。

因みに、「中二病」という言葉を開発したのは、あの伊集院光、という説があるそうです。そう考えると、やっぱり伊集院光って、偉大ですね。

・・・って、なんの話だったっけ?

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