100.ツツジ山再生プロジェクト
倉敷市中庄のツツジ山再生プロジェクトは、旧帯江銅山一帯に広がっていたコバノミツバツツジの群生地を再生するために、種から育ててツツジの名所をつくりあげていく市民活動として、2012年に始まりました。
著者は、まだツツジの全国調査を始めて間もないころの2016年4月6日の夕刻に、岡山県内の予定の撮影を終えてから、ネットに載っていた同プロジェクトの連絡先に電話をかけました。今からでもお待ちしていますと快く迎えられて、17:00頃に指定された場所に伺いました。暗くなる前にと早速、帯江銅山跡の、ツツジが咲いている山の中を案内していただきました。「木々が覆い茂って、沢山あったコバノミツバツツジが失われています。そこで、少なくなったこの山から種を採って、育てて増やしています。」と説明を受けます。
次に、熊野神社の境内地を案内されました。竹を割った杭で丁寧に囲まれたコバノミツバツツジの苗が植えられています。
種から育てている中心メンバーの自宅の庭に案内されました。著者が近所の仲間と行っていたのと同様に、ポット苗を育てています。かなり丁寧に、育てているという印象でした。そして、神社や、銅山の跡地にある倉敷中庄自動車学校の敷地とともに、近隣の中庄小学校では児童とともに校庭にツツジを植えていることを聴かされました。愛知県豊川市の善住禅寺住職から、「あなたたちは偉い。種からまいて、それも子どもたちと一緒にツツジを育てている」と褒められたこともあって、とても嬉しくなりました。また、ツツジ写真コンテストを行っていることも伝えてもらいました。これがきっかけで、毎年ツツジ旅で訪問して交流しているのが、善住禅寺とともに、中庄のツツジ山再生プロジェクトです。
著者は、おかげさまで翌2017年の第4回ツツジ写真コンテストに応募して入賞、2018年は優秀賞、2019年は最優秀賞をいただきました。
このコンテストは、コバノミツバツツジを含むミツバツツジの写真が、表彰対象になっています。最優秀賞を期に、全国のミツバツツジの群生地を回っているので、以後応募しないので、各地で応募チラシを撒く審査員にさせてもらいました。また依頼を受けて、2019年10月5日は、「コバノミツバツツジの復活とまちづくり」というタイトルで、自身の地元での活動と、全国のツツジ旅の成果を発表しました。
2020年3月13日は、ツツジ育て方講習会に参加させてもらいました。
中庄小学校の中の植栽地を案内してもらいます。敷地内にある「ふれあいの森」などに、コバノミツバツツジが植えられています。
JR中庄駅の橋上デッキにも、植えられていました。
2020年8月21日にドローンで撮った、旧帯江銅山跡地の倉敷中庄自動車学校の周辺です。
2021年7月31日の、表彰式の会場の倉敷北公民館です。
2024年7月20日の表彰式からは、通常の表彰とともに、新たに募集した倉敷高校の高校生の応募作品の表彰も行われました。倉敷高校の校庭にも、コバノミツバツツジが植えられています。
表彰式ではさらに、中庄小学校の児童152人が参加した第1回 ツツジ絵画展の講評も行なわれました。
写真の作品展は、倉敷北公民館と、協力を得られた銀行の支店などで行われています。公民館では、この写真展のあとで児童の絵画展が行われました。
表彰式の後、帯江銅山の史跡を案内してもらいました。民地の中に、レンガ造りの発電所跡と倒れた煙突が残っています。土地所有者が、見学しやすいように、草を刈って整備しています。
倉敷中庄自動車学校の中には、帯江銅山のレンガの遺構が残っています。
また、銅を精錬した残りの鉱滓でできた鉄兜のような形のカラミが、自動車学校の山側の擁壁に使われています。ここの前にも、コバノミツバツツジが植えられています。
自動車学校の建物の受付には、帯江銅山の歴史を紹介するパネルが並んでいます。帯江銅山は、古くは750年頃、奈良の東大寺大仏に銅を献納し、江戸時代にも銅の採掘を続けており、1891年から坂本金弥が近代的な採掘を始め、銅の精錬を行いました。この精錬によって亜硫酸ガスの発生で、周囲にはげ山が広がり、田畑の作物にも被害が出ました。1909年には銅山周辺の被害をなくすために、瀬戸内海の犬島に精錬所を移します。1919年には銅山と精錬所の操業を停止しますが、1938年には戦時中の物資不足を解消するために操業を再開します。そして戦後の1949年に、閉山になりました。1909年以降、徐々に銅山周辺が緑化されて、戦中戦後にかけて、倉敷市民のツツジの花見の名所になっていきました。ツツジ山ができて花見が盛んになった経緯については、別途調べて報告したいと思います。
1895年測量の地形図と、1947年10月1日撮影の航空写真を示します。地形図に記された2本のつるはしを交差させて下に矢印を記す記号が、2か所の銅山の坑口付近です。坑口の周りには建物が建っています。山は、草地と、アカマツと考えられる針葉樹の林です。航空写真では、鉱石とともに掘り返した土石で、銅山の地形が変化しています。写真上部の白い部分が小学校のグラウンドで、その北側に2列の校舎が建っています。
ツツジ山再生プロジェクトは、毎月例会を行い、地域の様々な団体を巻き込んで、13年にわたって種から育てて増やすコバノミツバツツジの育成を行い、児童生徒の参加を促進し、ツツジ写真コンテストなどで広くPRする活動を続けてきました。一般的な里山保全とは異なり、市街地で多くの市民の目に触れるツツジ再生の活動を行ってきたという意味で、全国のお手本になる事例です。著者も僭越ながら、岡山県内の地方区的なツツジ写真コンテストを、チラシをまくことで少しは全国区に広めることには貢献させていただいたかと思っています。
第1話の全体像、第2話の地元、第3話の善住禅寺で始まった、当マガジンのツツジ旅の連載として、第100話の区切りを、ツツジ山再生プロジェクトで記せたことは感慨深いものがあります。