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56.古代神籠石式山城 鬼ヶ城

 鬼ノ城きのじょうは、岡山県総社市の標高397mの花崗岩の鬼城山きのじょうざんに築かれた、古代の神籠石こうごいし式山城です。1978年に城址の調査が行われ、全体の規模や構造が明らかにされ、7世紀末から8世紀初頭の土器が出土しました。そして、城跡を含む鬼城山きのじょうざんは、1986年に国の史跡に指定され、2006年に日本城郭協会の日本100名城の69番に選定されています。吉備史跡県立自然公園の区域に指定されています。

鬼ノ城きのじょう   パンフレットより

 鬼城山きのじょうざんは、すり鉢を伏せたような地形で、その8~9合目に、鉢巻状に高さ6m、全長2.8kmの城壁を築いています。城内の面積は約30haです。城壁は、両側の下部に石畳を敷き、砂と粘土とを交互に層状にして突き固めてつくる古代の版築土塁でできています。石畳は、城壁の外側に向かって雨水が流れるように勾配をつけて、城壁を壊さない工夫をしています。

城壁内側の石畳

 663(天智天皇2)年の白村江の戦いで、倭と百済の軍は、唐と新羅の軍に敗れて、国際関係が緊迫します。対馬、壱岐、大宰府を守る大野城・基肄城きいじょうと平野部の水城大堤、瀬戸内の山城、大和の都に至る防衛体制を整えました。昼は煙、夜は炎を高く上げる狼煙台を設けて、通信網を築きます。

古代7・8世紀の山城   鬼ノ城きのじょうビジターセンター展示より

 2022年7月16日、倉敷のツツジ仲間を訪問したときに、山陽道のSAで入手した岡山県のガイドを見て、帰りに訪れました。まずは、駐車場横の鬼ノ城きのじょうビジターセンターで、展示を見ます。
 2回目は、2023年4月2日です。

西門に向かう上り坂

 3回目は、満開が近い、2024年4月15日です。
 城門は、東西南北の4か所にあります。西門と南門は大きく、東門と東門はより小さいです。

南門の遺構

 西門は、上部まで含めて復元されました。

上部の建物が復元された西門

 西門の北側には、角楼が建っていました。角楼は、基礎の部分が復元されています。西門近くの版築土塁や石畳も、同時に復元されています。

角楼

 西門近くの山頂は、芝生広場となっています。

山頂の広場

 城内中央には、兵舎、食料倉庫、兵器の製造修理を行う鍛冶工房などの、7棟の建物の礎石が残されていましす。
 場内には小さな池や湿地があり、水場が確保されています。城郭から流れ出る6か所の沢には、石積の水門が設けられています。

水門遺構

 発掘調査で樹木を伐採した関係もあり、ツツジ科の植物にとっては生息しやすい環境が整ってきました。

ツツジ科の植物   鬼ノ城きのじょうビジターセンターより

 鬼ノ城きのじょうは、西側だけとはいえ、古代の神籠石山城の中では、最も復元さています。
 また、鬼ノ城きのじょうは、桃太郎の物語の原型となる温羅うら伝説の地です。1世紀に、朝鮮半島からやってきた鬼神の温羅うら鬼ノ城きのじょうを拠点としてこの地を支配し、大和朝廷に反逆します。朝廷は、手こずりましたが、最後には吉備津彦を使わして、温羅うらを退治しました。これが変質して、桃太郎の物語につながったといわれています。

大吉備津彦命を祀る吉備津神社の回廊

 最も復元されてよくわかる古代の城、ツツジ科植物に適した花崗岩質の自然、古代の人々と同様に我々が見渡す瀬戸内海の眺望が揃った名所が、鬼ノ城きのじょうです。


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