49.摩崖仏観音の右田ヶ岳
山口県内で山陽新幹線や山陽道から車窓を見ると、花崗岩の岩肌の山が、いくつも目に付きます。その中でも峨々として聳え立つ姿が特に目立つのが、防府市の右田ヶ岳です。
コバノミツバツツジが、まだ開花前の2021年3月26日と、7分咲きの2024年4月12日に、標高426mの右田ヶ岳に登りました。
最も一般的な登山路の、右田小学校前の天徳寺駐車場に車を置いて、天徳寺の境内を通り、天徳寺道を登ります。まずは観音堂まで石段を登ると、1915(大正4)年に聖観音像を勧請し、1924(大正13)年までかけて彫った、三十三観音の摩崖仏があります。
実際は、本堂に聖観音像があり、製作中の摩崖仏が一体あるので、花崗岩に彫られて完成した摩崖仏は31体です。
観音の摩崖仏を囲んで、コバノミツバツツジが咲いています。
時期が早い2021年3月26日は、数ヶ所でかろうじて咲き始めているコバノミツバツツジに出会っています。
その先は、標高194mの石船山のピークです。
振り返ると、防府市内や瀬戸内海が見下ろせます。
ここから一旦降りて、右田ヶ岳のまずは南ノ峰へ。南に広がる防府市の市街や瀬戸内海の眺望が抜群です。
標高426mの右田ヶ岳の中ノ峰は、花崗岩の大きな岩の広場となっている山頂です。天徳寺の「右田ヶ岳観世音菩薩縁起」によれば、1274(文永11)年に、周防国の守護仏として大内弘貞によってこの山頂に観音堂が建てられました。そして大内氏の一族である右田氏の山城となりました。石船山中腹の観音堂は、1873(明治5)年に山頂から移転されました。
山頂には国旗が立っています。駐車場や山路の案内板を設置している地元の右田地域おこし協議会か、山頂の箱に案内チラシを置いている防府山の会の方が、毎朝夕に、国旗の掲揚・降納をしているのでしょう。
地元の登山者が多い山です。2021年3月26日は、著者より2・3年若い地元の女性に声をかけられ、案内されながら、一般的な下山路の塚原道から降りました。
彼女は「私はいくつに見えますか」と聞いてくるから「僕と同じぐらいでしょう」とはぐらかすと、「だから年齢は」としつこく尋ねられます。仕方がない「60代前半でしょ」と言うと、安堵したように「そのとおりです。年齢より上に見られることが多くて困ってるのです」とにこやかに話されました。右田ヶ岳には、週に半分ぐらいは登っているとのことです。一人で車で静岡の駿府城に行きたいので良い方法を尋ねられたので、24時から4時の夜を利用して、山陽道・名神高速・東名高速を夜間料金で乗り、PAで車中泊がよいと伝えました。「女一人で怖いです」と言うから、「自分は3年前に、紀伊山地の明神岳の山頂からの帰り、同年代の女性と会って一緒に下山し、自分の軽自動車を見てもらって、ここにこんなマットを敷けば快適に眠れると言われて、車中泊を始めました。彼女は、人気の少ない登山口駐車場で車中泊で大丈夫たといってました。PAは、夜中でも人だらけで安全だし、車にカーテンなどをつければ十分です。」と答えたら、とても満足してくれました。
750年前の観音信仰が、110年前の観音摩崖仏を生み出し、今日、多くの地元民が登っている魅力的な山です。